odd_hatchの読書ノート

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柳広司「トーキョー・プリズン」(角川文庫)

 1946年の東京巣鴨ニュージーランドの私立探偵が大戦中に日本近海で行方不明になった爆撃機乗りの行方を調査したいと収容所にやってきた。所長のアメリカ人大佐は、自由な行き来を承認するかわりに、収監されているBC級戦犯容疑者の記憶を取り戻せと要求する。まず、この出だしでぞくぞくした。敗戦後占領期に外国人が訪れ、彼の視点でその国の様子が描かれる。小説/映画「第三の男」を思わせる出だし。
 おりしも収容所内では毒殺殺人事件が起きている。出入りがひとつしかない所内には持込み不可能であるにもかかわらず、青酸系の毒物が入り、それによってアメリカ人軍曹に日本人捕虜が毒殺されたのである。持込が不可能であるばかりか、捕虜も看守も相互監視の体制になっているのである。
 記憶をなくした捕虜には、大学時代の親友であり戦地の戦友でもあるという富豪の息子が、彼を救うために私立探偵に接触する。リベラルな学生も軍隊内ではサディスティックな所長となり、捕虜を虐待し、暴力をふるい、脱走兵をその場で刺殺するまでしているのである。一方で、近隣のキリスト教会から感謝状を贈られるほどの篤実な行動もしている。なぜ男は記憶をなくしたのか、なぜそのような暴虐を起こしたのか、それを知るのが捕虜の願い。きわめて高い観察力と推理力をもつ捕虜に、所内の事件を説明すると、すぐさま謎のいくつかを解読し、捜査の方針まで述べる。私立探偵は、この男に興味を持ち、彼の提案に従って、トウキョーの街を歩き回るのである。
 なるほど、戦後・占領という問題は今日の文学で取り上げることは困難になり、このようなエンターテイメントにおいてのみ問題化することができるのであろうか。上にもいくつか書いた問題の他に、戦争裁判の妥当性、この国の<システム>(@カレル・ヴァン・ウォルフレン「日本/権力構造の謎」ハヤカワ文庫)の奇妙さ(とりわけ無責任でありながら、組織のノリで過激を実行するところ)、日系アメリカ人への差別、社会保障システムが崩壊した状況での弱者の扱い、戦災被害者への差別、軍隊内部の抑圧といじめ、それらをひっくるめたこの国の<システム>の外国から見たときのわかりにくさなどたくさんでてくる。これらの問題を摘出するのが、この国のインサイダーではなくて(そうすると被害者/加害者のややこしさが入ってかえって錯綜する)、この国をほとんど知らないアウトサイダーであることが重要。とりあえずこの国の利害に関係のない第三者の客観的な視線をもっているから、公平性や公共性が確保されるのだよね。登場人物たちの過去(それもたかだか10年に満たない現在のだが、敗戦と占領がものすごい隔絶をつくってしまっている)が暴かれる前半分までは見事な出来。
 まあ、このようなこの国の敗戦と占領は、戦後文学者がみようとしたものに近い。占領下のスガモ、トウキョー駅、シンバシ、GHQ(日本生命ビル)周辺などの描写、そして登場するさまざまな日本人の言動から、自分は堀田善衛(「広場の孤独」「奇妙な青春」、武田泰淳「貴族の階段」、大岡昇平「俘虜記」などなどを思い出したよ。闇市のシーンでは、開高健小田実の空襲後の都会の廃墟の思い出とか、井上ひさし「下駄の上の卵」とかも。時期は少しずれるが、占領下のこの国を外国人の視点でみるのによいのが、サミュエル・フラー監督「東京暗黒街・竹の家」1955年。ただし、ストーリーには期待しないように。
 そのような戦後・占領という問題が扱われるという期待が後ろ半分にいたると、肩すかしをくらう。二つの理由があって、まず事件の解決が19世紀探偵小説に先例をもつこと。2つの毒殺とか、記憶をなくした男の過去とか、行方不明になった爆撃機乗りの行方とか、それらの事件は江戸川乱歩編「世界短編傑作集」に先例がある。なるほどトリックを案出するのは困難なんだろうけど、レトロなミステリーの読み手である自分はもにょもにょしてしまう。あまりに人口に膾炙したのを採用しているのがその理由。マニアにくすりとさせたかったのかなあと忖度したいが、う〜ん、スベッっちゃったよとうなっていまう。たくさんのレッドへリングの配置と伏線の回収はみごとなだけに。
 もうひとつは、前半分で書かれたさまざまな社会や歴史の問題が深められることなく、置きっぱなしになったこと。その最大の問題は、記憶をなくした元捕虜収容所所長の扱いなのだと思う。強い意志と強靭な肉体をもち、脱走を繰り返し、ホームズ並みの知性を持つ魅力的な存在だったのが、従容と死刑を受け入れること。そこに至るまでの葛藤や逡巡がなくて、短い遺書だけで回心が書かれている。ここが不満。木下順二「神と人とのあいだ」武田泰淳ひかりごけ」などと比べたくなっていただけになあ。ドラマ「私は貝になりたい」のミステリー版を目したのだろうが、主人公の境遇が違いすぎてドラマと同じ結末をつけるとおかしなことになる。
 そんな具合に、このミステリーは先行するさまざまな諸作品のパッチワーク。素材の選択と縫い取りのしかたに優れた手腕をみせても、全体を統括する主題が空虚だった。前半分がよかっただけに(奥泉光「グランド・ミステリー」角川文庫ウィルソン「黒い風」扶桑社文庫に匹敵するかと期待したのだ)、「終」がでたときには大きく落胆してしまった。2006年初出。ミステリーの仕掛けつくりはうまいし、この国のエンターテイメント作家には珍しく自分の文体をもっているので期待しているから、ほかの本を読んでみよう。

※ ニュルンベルク軍事裁判で死刑判決を受けたゲーリングが執行直前に服毒自殺する。どうやって毒物を持ち込んだのか、さまざまな憶測・推理が入り乱れ、ここでもある推理が語られる。でも、実際はもっと単純な方法だった。この本をうのみにしないように。

ナチスゲーリング服毒自殺「私が渡した」元米兵告白
 【ロサンゼルス支局】独ナチス政権下で「帝国元帥」だったヘルマン・ゲーリングが連合軍による死刑執行の直前に服毒自殺した事件で、毒物を与えたのは自分だと78歳の元米陸軍兵が名乗り出た。
 米ロサンゼルス・タイムズ紙が7日付で報じた。厳重に監視されていたはずのゲーリングの毒物入手方法は、これまで歴史の謎とされてきた。証言によると、ニュルンベルク裁判の衛兵を務めていたこの元兵士は、街角で出合ったドイツ人女性から2人の男に引き合わされ、「体が弱っているゲーリングの常備薬だ」とカプセルを忍ばせた万年筆を受け取り、これをゲーリングに渡したという。
 その約2週間後の1946年10月15日、ゲーリングは絞首台に送られる約2時間前に服毒自殺した。元兵士は懲罰を恐れてこれまで黙ってきた。すでに時効となっていることを知り告白したという。
(2005/2/9 読売新聞)