「夢にまでみた、真白な軟式野球ボールが欲しい。山形から闇米を抱えて東京に向かう六人の国民学校六年生の野球狂たち。上野行きの列車の中は、満員のすし詰めだった。二斗六升の米を、無事に東京まで運べるだろうか。少年たちの願いもむなしく二斗の米が…。(裏表紙のサマリ)」
山形で敗戦を迎えた国民学校の6年生。軟式野球ボールがほしいということで、町の博物館にいき、館長をだまして奪おうとして失敗。そのとき東京に野球ボールのメーカーがあることを知る。兄貴や父が闇米を仙台その他に売り歩いているのをまねして、東京に行くことを決める。元祖鉄オタの少年も巻きこんで、ある朝、米5升をかかえて出発。さて、まず子供だけの移動を疑われるわ、闇米摘発の警官に追われるわ、巡業中の少女歌手といざこざを起こすわ、どたばた道中。上のについたはいいが、さっそく空襲孤児の詐欺に会うわ、渋谷の闇市でごたごたにまきこまれるわ、パンパンさんの依頼でもって病院に潜入するわで、ようやく金をもうけて、野球ボールを買うことができる。でも戦災孤児の不良少年に絡まれるわ、上野駅にもどったとき、鉄オタ少年が伝えたのはさらにとんでもない事態・・・。
キーワードは「代用」かな。闇市に紛れ込んだ少年たちが、香具師の販売口上を聞くのだけれど、詐欺まがいのインチキもの。そんな商品であっても、敗戦後の市民にとっては使わざるを得ない。本物が生産されていないから。だから簡素でインチキな品で代用する。本物のよさはわからないけれど、とりあえずの役にはたつだろう、すぐに捨てることになるだろうが。これは別に経済に限ることではなくて、戦争中の日本の施策も、戦後の「民主主義」も代用品なんだ、そんな指摘が隠れテーマと思った。明治時代が森鴎外の「普請中」であるのなら、昭和はこの「代用」ということになる。初出は岩波書店の雑誌「世界」で、1980年ころと覚えているから、作者はたぶんその時代でも「代用」は続いていると見ていたのかな。
もうひとつ。少年たちは、詐欺にあったり、博打で稼いだり、不正に関与して礼金をもらったりする。そういうドタバタのあと、野球のゲームにたとえると、8回の攻撃で8対7のシーソーゲームだった、と総括する。人生とはそういうものかな。損と益が交互に現れるけど、集計してみたら、プラスマイナスゼロか少しの利益だった、そんなものだ(so it goes.@ヴォネガット)、という述懐。ただ、少年たちは自宅にもどったあと、大人たちの激しい叱責、折檻その他に合うはずで、それを考えると人生は終わるまではゲームの結果は決まらない、ということかな。この少年たちが戦後の貧乏と高度経済成長と社会の高齢化でどうなったのか、それが心配。生きてりゃ2012年で約80歳。
〈追記2023/7/12〉 8対7の試合はルーズヴェルト・ゲームというらしい。
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