odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

マイクル・コニイ「ブロントメク!」(サンリオSF文庫)

 地球から移住可能な惑星アルカディア。ここに住むマインドというプランクトンは50年おきに大発生し、人間の脳波に影響を与えてうつ症状を引き起こし、集団で入水自殺する事態を起こしていた。それを抑えるのは自生している植物から抽出した イミュノールという薬剤(多幸症を起こすが、依存性がすくないらしい)。その処置が遅れたので、移住者は惑星の開拓をあきらめ、人口の30%が脱出している。そういう放棄されようとしている土地。
 そこにヘザリントンという企業体が援助を申し出た。長年の不況で借金漬けの住民の負債を肩代わりし、最低賃金も出すという好条件で、惑星のすべての土地を買い上げることにした。それはよいと思っていたが、従来の仕事をしても市場がないので、最低賃金以上の収入がない。ストライキにでると、企業体は物資と貨幣の供給を止めるだけで、団体交渉もできず、国家も介入できない。そのうえ、ブロントメクという巨大トラクターというかマシンで、土地を破壊していく(ブロントメク=BRONTMEKは、ブロントザウルスの接頭辞のブロント=巨大と、メカニズムの合体語。外見はたぶん1980年代以降のSF映画に出てくる武骨で不格好な巨大メカや自走マシンと思えばよい)。接収した土地に近づく人間には無警告でレーザー銃を発射する。住民は、地域貨幣を作ったり、自給自足体制に移行するなどして、企業体の統治に対抗しようとする。
 住民との折衝には、アモーフという不定生物があたる。これは近くにいる動物に感応して、セルフイメージや愛している人の理想化されたイメージに変身する。スタニスワフ・レム「ソラリス」のように、無意識が現実化されるわけだ。最初のうちは、物腰柔らかだが物分かりのわるい統治者としてあらわれるが、住民の生活に入るにしたがって、その存在(とアモーフの投影される無意識イメージ)が住民たちを不安に向かわせる。

 こういう大状況はSFイメージというよりも、1976年初出時のイギリスを反映しているのだろう。すなわち生産性も効率性も悪い経済において、人々は改革意欲をなくし、国外に脱出する。そのような停滞した社会を改革する体制として全体主義社会が外から到来する。すべての資本を国家が所有し、市場と貨幣をなくされ、利潤は国家によって再配分され、国家(ここでは企業=資本と同義)意思が個人の原理よりも優先され、住民には不可視の権力が彼らを監視している。この全体主義社会の特徴はイデオロギーではなく、テクノロジーで維持されるところ。住民の持っているテクノロジーは低劣で(主人公ケヴィンの手作りヨットがことごとく欠陥品であることに注意)、それをしのぐテクノロジーで圧倒する。住民たちは近代社会の抵抗権を駆使するのだが、権力はことごとく抵抗を鎮圧する。この全体社会では、個人原理が働かないし、人権思想もないから、セイフティネットを設けるなど、住民の権利を保護することをしていないのだ。そのような社会と到来するかもしれない全体主義国家のイメージは当時のリアルであるだろう。
 以上を背景として、小説は地球から最近地球から移住したケヴィンに寄り添う。地球で食い詰めたこの中年男は、アルカディアでボート製造者として自立しようとてあれこれ画策するが失敗ばかり。ようやく小さなコロニーの友人たちの支援を借りて、ヘザリントンから世界一周航海のボートつくりを依頼される。これによって惑星の観光資源開発と安全をアピールしたいわけだ。搭乗するのは偏屈な医師で前途は不安。それは航海が始まってからの映像でも明らか。一方、ケヴィンは絶世の美女スザンナと出会い、愛の生活が始まる。しかし、ヘザリントンの執行官たちは隠し事をしているらしく、ケヴィンの身辺はきな臭くなり、失踪者や死者がでてくる。ケヴィンも危険な目に合うようになり、独自に調査を開始するのだが……。
 この小説はイギリスのユートピア/ディストピア小説を総合しているとみる。自分のわずかな読書でも、モリス「ユートピア便り」、ウェルズ「タイムマシン」「宇宙戦争」、オーウェル「1984年」ハックスリー「すばらしい新世界」などのストーリー、ガジェットをこの小説から想起する。異なるのは、これらの小説にあるような暗鬱な、閉塞された雰囲気は希薄なところ。それは、最近地球から移住した主人公の能天気な性格にあるだろう。アルカディアのよそ者であることから、事態の核心に入り込めるのであるし、企業の統治と監視、それに抗する住民たちの運動を客観視することもできる。この設定は小説の大状況を膨らませることにはなったが、問題をアクチュアルにするまでには至らなかった。当事者ではないのが切実さを生まない。上記のユートピア/ディストピア小説の傑作群に並ぶまではいかなかった。シリアスなものをヴェールにくるむ上品さどはイギリス人のジェントルや品位にあるのだろうけど、ものたりない。では、どうすればいいかというと、さあ困ったな。
 さて、この小説は、それまでに書いた長編の決着編でもあるらしい。ケヴィンに近しい海洋学者は前の長編(未訳の「Syzygy」)の主人公でマインドによるマインドコントロール事件に関与したらしい。スザンナは「カリスマ」の登場人物と同じ名前で境遇も似通っている。先行作品の本歌取り、小技の使い方などは熟練の技。でも読書はスイングしない。そのうえ、1976年作なので、ディテールは古くなってしまった。

 「ブロントメク」に近いメカの一例
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<追記>
 2016年3月に新訳で文庫化された。