「宇宙における歪みが、太陽系に破滅をもたらすという予測に基づき、アルファ・ケンタウリに向かう宇宙船〈人類の希望号〉。だが、理論上のミスから宇宙船は難航し、船内には不平不満が募り、やがて反乱へと発展した・・・。人類の新天地を求めて果てしなく続ける旅の裏には、意外な事実が隠されていた!」
理論上のミスというのは、モーリー=フィッツジェラルド理論とおりにエンジンが機能せず、光速の数分の一の速度しかでなかったこと。そのため太陽系外に地球人の住める惑星を探査する冒険が、数年ではなく数百年の規模になってしまった。<人類の希望号>には約800人の乗員がいるが、科学者・技術者と生活支援者の間の階層が存在し、生活支援者(食糧生産を行うものとか、ライフラインを維持するものなど)はスターシップの運営に参加できず、選挙権・被選挙権ももっていない。そのため最初の船長にして科学者レズリーは自分の子供を次代の船長としてそだてる。そのため最初の3世代は世襲制。そのうち船を捜査するさまざまな技術や知識は世襲制で秘匿されるものになり、次第に知的に後退していく。3世代にであったある惑星人との遭遇で、推進エンジンは改良され、光速を超える速度を出すことに成功。それまでに人類の居住可能な惑星を見つけられなかった船では地球に帰還しようとする陰謀が企てられる。ここから中身が混乱。なぜか光速を超えた<人類の希望号>は出発の6年後の地球に戻り、この冒険の企画者が偶然船に乗り込んだ。彼は、もう一度惑星探査のために外宇宙にでることを提案するが、乗員に受け入れられない。そして・・・、という感じ。
ヴォークトはあまり科学そのものに対して思い入れがないというか、調査力がないというか、科学的な設定には無頓着。「モーリー=フィッツジェラルド理論」なるものも、光速を出す原理も、エンジン機関の説明もたよりないことおびただしい。そのかわり、船のなかの組織と政治権力の奪取を描くことに集中する。たぶん、この船の中はローマ帝国の歴史をなぞっているのではないかと思った。初期は英知とリーダーシップをもつヒーローが組織を運営し、次代になると帝王学を学んだ息子が跡を継ぐ。3代目あたりから初代リーダーの腹心やその息子が権力奪取をもくろむようになり、成功することもあれば失敗もある。そのような多頭制がつづいたときに、初代リーダーの係累によるクーデタがある。船の生産力の低下(この場合はミッション遂行意識の減退になるか)が起こると、それまで政治参加していないものによる革命が起こる。たいていそれは復古的な組織運営と理念をもたらすものだ。まあ、こんな感じの短縮されたローマ帝国史が<人類の希望号>で描かれる。
では、この小説はなんだったのか、というとよくわからない。結局、<人類の希望号>は地球のもとにもどり、別の乗組員をえて、新しい惑星探査にでかける。それはまあ人類の希望であるかもしれないが、組織運営に関しては問題は解決していない。とりわけ、船の運営で自主管理ができない、地球の法律が適用される、その他の民主主義が取り入れられないことは問題じゃないの? そういう政治体制を作者はどう思っているのかしら?