odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書)

 西洋の音楽の通史を新書200ページ強で説明しようとする野心的な試み。専門家向けには数巻に及ぶような微に入り細を穿つ「音楽史」の叢書があるが、素人が通読するのは困難。そのうえ、「西洋」や「西洋音楽」をどこまで取るかで、範囲は膨大になる。ここでは、思い切って「西洋音楽」はフランス、イタリア、ドイツの「ヨーロッパ」の「芸術」とみなされてきた音楽であると切り詰める。この「ヨーロッパ」はたとえばクシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」(平凡社ライブラリ)の問題意識に近い。その結果、ロシア、東欧、北欧はおろか、スペインやイギリス、アメリカですら切り捨てられる。これらはヨーロッパの辺境、周辺であり、中心の影響が数十年後に「遅れて」現れたとみなすことになる。当然20世紀後半の日本は対象外。さらに「芸術」ということで、楽譜で設計された音楽であり、知的エリートにささえられていることを重視する。その結果、古代の音楽(例えばグレゴリオ聖歌)や民衆の口伝や即興の音楽も対象外になる(CDショップでは「クラシック」の棚の一ジャンルに西洋世俗音楽があるけど)。
 通常、この国で西洋音楽ファンになるには、聴くことから入る(親の薫陶でピアノやバイオリンのレッスンから入る人もいるが少数者)。そうすると、西洋音楽は作曲の大家や名人による作品の歴史になるのであるが、そこには過去の歴史からの思い込みが入っていて、19世紀ドイツの作曲家を中心にして、交響曲弦楽四重奏曲ピアノソナタの作品を聴くことになる。たいていのCDガイドブックや初心者向けの啓蒙書はそういうかきかただ。 吉田秀和「LP300選」(新潮文庫)ですら、その考えに基づいている。でも、これは19世紀ドイツの教養主義やロマン派などの考えを濃厚に反映したもの。なので、作品評価でも「内面」「深さ」「精神性」などのロマン派の美学や倫理を基準にしている。

 それはおかしいのじゃないのという疑問を、自分も30歳ころにもった。CDガイドに出てくる「名曲」をほとんど聞き終えたあたりで、次に聴くものを探していたころ。疑問のきっかけになったのは二つの方向で。ひとつはニーチェ(たしか「ワーグナーの場合」)がドイツの音楽史とは別の音楽史があるとか、ドビュッシー「音楽論集」(岩波文庫)でドイツの作曲家の出てこないフランスの音楽史を述べるとかを読んだこと。もうひとつはバブルの時代のワールド・ミュージックの流行(とくにバリ島でのケチャ体験)で、西洋音楽ではない音楽の面白さを知ったこと。そうして考えたり、読んだり、聞いたりしているうちに、西洋音楽を優位に思わなくなり、本書の著者と同じく「クラシックも民族音楽」という発見に至った(そのころはポストモダン相対主義が流行っていたので、影響されたのだろう)。なので、それから四半世紀後に本書を読んで、同じことを考えている人がいたと驚いたのだった。
 本書では音楽史を、中世、ルネサンスバロック、ウィーン古典派、ロマン派、世紀末転換期から第一次世界大戦まで、20世紀に分ける。この区分は一般的な区分に準じている。各時代の特徴を簡潔に表現している(うまいキャッチコピーを採用)ので、おおよその時代傾向が把握できる。こういう編集と圧縮の技術はみごと。そのぶん作品紹介が少ないので、より聴取者ないし消費者になるには情報が不足。それは別のガイドでおぎなえばよい。興味深いのは、20世紀の音楽でポピュラー音楽を西洋音楽に加える。作曲者の実験意識と聴衆の需要がマッチしてすぐれた作品をつくりだしたジャンルに1945−65年のジャズ(ビ・バップ)をあげているところ(個人的には1980年代のアストル・ピアソラを追加したい)。「クラシック」の定義が楽譜に記譜することや知的エリートに支持されていること、西洋発信であることにおけば、ジャズもその範疇にはいるという考えはとても柔軟で、自分には説得的だった。
 さらに本書の記述が面白いのは、音楽史をインサイダーとして見ないところ(作曲家と作品の変遷や傾向と分析にしぼるような)。なので、作曲家のパトロンはだれか、なぜパトロンは変わったのか、聴衆はどのように変遷したのか、作品はどこで聞かれたのか、メディア(印刷技術など)やテクノロジー(楽器の改良、ホールの建築など)が音楽にどのような影響を及ぼしたか、など社会や経済、政治体制、科学技術などの変化も織り込んで歴史をみる。それもまた音楽における作曲家の優位(これもドイツロマン派の考え)を相対化する視点になる。音楽社会学という学問分野がやっていることの反映。この学問成果が音楽批評やCDガイドに出てくることはめったにない。
 自分が過去に考えたかったことが書かれているので、とてもおもしろかった。それは、ヨーロッパの歴史や哲学、社会などの勉強をして知識を得ていたため(例えばバロック時代が絶対王政期であり、古典派がフランス革命の時代であるなどの歴史時代区分と音楽時代の区分けの並行関係がすぐにわかるなど)。音楽を聴くことで、社会や歴史にも知識と理解を増やすといい(そうすると、テレビのドキュメンタリーや旅番組がより楽しめる)。
 気になるのは、巻末の参考文献リスト。自分が読んだ本もたくさん載っていて、
T・G・ゲオルギアーデス「音楽と言語」(講談社学術文庫)-1
T・G・ゲオルギアーデス「音楽と言語」(講談社学術文庫)-2
パウル・ベッカー「西洋音楽史」(新潮文庫)
エドゥアルド・ハンスリック「音楽美論」(岩波文庫) 
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー「音と言葉」(新潮文庫)
テオドール・アドルノ「ベートーヴェン 音楽の哲学」(作品社) 
浅井香織「音楽の<現代>が始まったとき」(中公新書)
テオドール・アドルノ「不協和音」(平凡社ライブラリ)
テオドール・アドルノ「音楽社会学序説」(平凡社ライブラリ)
などがそれ。あいにくのことながら、かなり古い本が並ぶ。内容が西洋中心主義であって、本書と同じ視点を持っていないものが含まれる。個人的には浅井以外の本は「古典」として批判的に読まなければならないと考える。著者や自分と同じような問題意識を感じさせる本がこの国ではとても乏しい。
 付け加えると、本書では二つの疑問が取り残されている。ひとつはなぜ西洋音楽は世界音楽になったのか。ことにポピュラー音楽において(ポピュラー音楽は19世紀のサロン音楽の延長にあるとされる)。この音楽が20世紀後半に世界中に席巻して、その土地の民族音楽を駆逐した。その理由は内在的にも外在的にあると思うが、ここでは考察されない。
 もうひとつは、日本で西洋音楽を聴く/演奏することの問題意識がないこと。20世紀の1980年ころまでは日本人に西洋音楽(という民族音楽)は理解可能かという問いがあった。それはバブルの時代に無効であると思われたのだが、今度は東アジア、東南アジアで西洋音楽の受容と需要が起きているとき、また問題であるような気がする。ここは別の本で検討することになるだろう。
(バブル時代からすると、韓国の指揮者とオーケストラが西洋のメジャーレーベルからCDをだすとか、タイや香港で「指輪」全曲が上演されるとか、マレーシアやベトナムのオーケストラが来日公演をするとかの21世紀の事情は驚異なのだ。)