odd_hatchの読書ノート

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ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル 下」(角川文庫)-1 社会の矛盾、父と子の葛藤が1832年のパリ暴動に向けて収斂していく。

2017/03/01 ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル 上」(角川文庫) 1862年の続き。


 さてジャン・バルジャン、コゼット、マリウス、テナルディエ、ジャベール警部の因縁の深まりは、偶然の出会いと必然の衝突を繰り返し、次第に沸騰していく。それは、1832年6月5日のパリ暴動に向けて収斂していくのである。この日とその翌日の2日間に起きた怒涛のできごとは、丹念にしっかりと読み進めよう。

第4部サン・ドニ街とブリュメ街にまつわる物語群 ・・・ テナルディエに脅迫されジャベール警部に吸収されたところを逃げたジャンは、パリの裏町でコゼットとひっそりと暮らす。コゼットは美しい娘に育つ。理想の女性への愛と父として保護の感情に揺れ動く(ワーグナーマイスタージンガー」のザックスの主題に通じる)。コゼットを探しているマリウスはようやく見つけ、それぞれが一目ぼれ。愛の日々を送る(この純愛の美しいこと)。ついにそれぞれが結婚を持ち出し、了解を得ようとする。コゼットに打ち明けられたジャンは動転、ロンドンに移住することを決意。マリウスは結婚資金を90歳の祖父に依頼しようとするが、偏屈な老人は援助する代わりに思わず罵倒を繰り出す。二人とも絶望の日々。さて、1832年6月5日(パリ6月暴動)の朝、ラマルク将軍の葬儀の日、大群衆が集まり、軍の警備が厳しい時、ついに市民は蜂起する。武装した市民は銃撃戦を開始、一時撤退した軍が戻ってくるまでに、パリ市内のあちこちにバリケードをつくる。あるバリケードで小規模な衝突があったとき、市民の旗が折れる。だれか掲げないかと怒声が行きかう中、博物図鑑の出版に半生を費やし窮乏の底にあった80歳の老人が旗を持ち、バリケードの頂上に登る。旗を振る中、銃弾に倒れる。男の子供は市民軍に進んで参加し、斥候になって軍と武装市民の行きかうパリの道を歩き回る(という具合に、蜂起は日常を乗り越えて英雄的な瞬間をもたらす)。マリウスは「ABCの仲間」とともに、蜂起に参加。銃弾にうたれそうになるところ、テナルディエの娘に助けられる。重傷を負った娘はマリウスに恋を打ち明け、息を引き取る。マリウスはコゼットに脱出の手紙を送るが、ジャンに届く。ジャンはマリウスとコゼットのたくらみをつぶそうとする。

第5部ジャン・バルジャン ・・・ バリケード封鎖2日目。ジャンが来てバリ封に参加。ついに軍隊は総力を挙げる。囚われのジャベール警部をどうするかの論議に、ジャンは俺に任せろといい、だれもいなくなったところで解放する。軍の襲撃によって、武装市民は次々と倒れる(ここの悲愴な死の様子は池上遼一「男組」で繰り返される)。ついにマリウスも銃撃され、瀕死の状態になったところをジャンが担ぎ、下水道に逃れる。一昼夜の彷徨のあと、鉄扉の前で力尽きそうになる。そこにテナルディエが現れ、ジャンの現金と引き換えに扉を開ける。待っていたのはジャベール。ジャンは馬車を借りることと望み、マリウスを家に送り届ける。ジャベールの「改心」と自殺。マリウスは祖父の手によって息を吹き返し、祖父と和解する。コゼットも無事な姿を見せ、翌1833年2月16日に結婚式。ジャンは持参金を提供し、マリウスに自分が前科者であることを告白する。マリウスはマドレーヌ市長を殺しジャベールも殺害したのがジャンであると誤解し、コゼットに合わせないようにする。次第にコゼットはジャンによそよそしくなる。ジャンは衰弱してしまう。テナルディエが情報を売ろうとマリウスを訪れる。そこで、マリウスはジャンに対する自分の思い込みが間違っていて、さらにバリケードで自分を助けたのがジャンであることを知る。急いでコゼットとともにジャンを訪れる。ジャンは二人の若者の許しを聞き、大いなる満足を得て、天に召される。ジャンの10年間の冒険と試練の時が終える。


 長い長い話(10年という時間の経過でもあるし、850ページという書物の厚さでもある)を読み終えたときに、深い満足感を得る。ジャン・バルジャン、マリウス、コゼットがそれぞれもつ誤解や思い込みが長い時間をかけて解消し、敵対する人物と和解でき、これから生きる人々には希望を、舞台から去るものには安心を得る。過去のもやもやはここですっかり消え、未来の輝きが残る。ほとんどすべての登場人物には、それぞれの物語があり、それぞれの主題を生きる。脇にいるとりたて主人公たちに絡みそうにない人物でも、最終章にはなんらかの役割を働き、主人公たちに深い印象を残して、小説世界から去っていく。この人物の創造と行動を描き切った著者の手腕には驚きと感動を覚える。
 さらに、1815-32年というフランスの変革する社会を丸ごととらえ、世代間の思想や物の味方の違いを鮮明に描く。なるほど、1791年革命で絶対王政は打倒され、ナポレオンの没落後王制は復活したとしても、以前のような権力集中は望めない。社会の中心が貴族から工場経営者や商人に移り、資本主義生産のもとでの自由と平等は社会全体に必然的に広がっていく。社会の格差や貧困が拡大し、人口の移動は新たな産業の創出と既存事業の没落となる。そういう変化の時代のダイナミズムがよくわかる。
 ただし、奇妙なことに、ジャン・バルジャン、コゼット、マリウス、テナルディエ、ジャベール警部という主要人物たちはほとんど変化しない。登場したときの性格や行動性向、思考は10年を経ても同じままだ。とくにジャン・バルジャンか。19年の牢獄生活でねじくれた、人を信頼できない心情が神父の慈愛によって改心する。それはマドレーヌという別名を名乗って、地方都市の社会起業家として生まれ変わる。この変化は素晴らしい。ただ、ジャベールの追求で前科人であることをカミングアウトして以降は、起業にも社会貢献にもかかわらず、隠遁生活に入る。ここで社会を捨てて、コゼットの養育(しかし修道院内では親子関係は解消される)に専念する。のちには、コゼットが成人し、恋人を見つけ結婚を持ち出すと、嫉妬と偏見に悶える。ここらの気分の移り変わりがよくわからない。ジャン・バルジャンを名乗るのは前史にあたるところだけ。そのあとはさまざまな名前を使い分け、前科者であることや市長であったことを隠す。ほかの人物と異なるのは、経験の豊富さのわりに、彼の思想や振る舞いに深みがないこと。ジャン・バルジャンは真理とか本心とかいうのはなく、その都度の名前で仮託されるキャラクターを装っていたのだろう。そういう点では、ジャン・バルジャンは20世紀以降の人間に近しいのかもしれない。
 
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2017/02/27 ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル 下」(角川文庫)-2 1862年 に続く。