全集22で読んだ。併録は「美藝公」(感想は別エントリーで)。
「腹立半分日記」は、雑誌「面白半分」に掲載された。この雑誌名は宮武外骨のものからとったわけだが、プロの作家が編集長となり、半年間の勤めののちに次の作家にバトンタッチされた。筒井康隆はその何代目か。この日記によると、作家ではない人(たとえば編集者や芸能人、例えばタモリ、ジャズの人など)にページを渡したことが目新しい。タモリが原稿を落とした時には空白で雑誌をだしたというから、徹底している。
他の目玉として、編集者自身による日記を公開した。本人によるとずっと日記をつけていたし、癇癪持ちで人の悪口を書いていたというので、面白いだろうということだそうだ。プライバシーには気を付けつつも、編集者や作家は実名で登場している。背後で確執やうらみつらみはあったのだろうが、まあそれは読者には関係ないこと。昔書いたものも編集して発表したのであって、1958年、1967-68年、1976-78年の3期(作家の年齢でいうと20代、30代、40代の前半に当たる)を収録。
この国の人は日記を書く人であって、平安からの貴族の仕事のひとつは日記で儀式の記録をとることであり、それが貴族の栄達につながるツールであんちょこであったのだが、後世からすると当時の日常と彼彼女の社会を映し出すよい資料になる(藤原定家「明月記」など)。
堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま学芸文庫)
堀田善衛「定家明月記私抄 続編」(ちくま学芸文庫)
この作家の日記も、ほぼ40年たって読み返すと、戦後から昭和元禄の良い記録になっている。サラリーマン時代の労働環境であったり、若い作家が東京にあつまってほぼ毎日顔をあわせて遊んでは仕事に励んだりが高度経済成長を髣髴するし、一家をかまえてからは電話・FAXなどの情報機材が普及していくのをリアルに見える。書籍がよく売れていて、かなりの作家が執筆を専業にすることができていた(21世紀ではそのような作家はごく少数であり、大学の講師などの職業を持つ者が増えてきた)。
特に注目は、作家の眼からはとおくにいる大衆の様子かな。作家は彼らを罵倒するのである(そういう批判は「美藝公」に書かれる)が、その大衆が次第に中流意識をもって、個人主義に傾斜していき、自由と民主主義のフリーライダーになって、恥の感覚と足に引っ張り合いに汲々としているあたり。この時期の余裕のある暮らしとめったに失業しない夫と家庭にこもる妻という家族はこの時期にできたとか。1970年代半ばから後半はこの日記によると不況とされるのだが、一過性とだれもが思っていて、海外旅行に輸入品に家電品にと余裕のある金使いをしていた。そのころの若者が21世紀の10年代の経営者や政治家であるから、感覚のずれはでかいよなあ、とその当時を知っているおれは長嘆息することになる。
日記(1976-78年)では書いている途中の作品も出ていて、「ポルノ惑星のサルモネラ星人」「富豪刑事」「関節話法」「エディプスの恋人」「大いなる助走」「不良少年の映画史」などに注目。ほぼ毎日誰かと会い、酒を飲み、麻雀に励み、祭りを企画していて多忙なわりに、毎日数枚しか書いていないのに、あの多作はいったい何。そのうえ、先にあげたように注目作ばかりではないか。40代前半の若さが生産力をあげたとしても、そのバイタリティには驚くばかり。いやあ凄まじい生活だ。
全集22にはエッセイも収録。中では「楽しき哉地獄」が小説の方法を開陳していて珍しい。このころから方法的に書くことを意識するようになったのだ。同時に中南米文学の紹介者である。日記によるとこの時期は大量の本を読んで勉強したというが(日記にはいっさい読書の話が出てこない)、その成果であろう。
なかでも「国家――同時代によせて」に注目。1979年その年、大江健三郎「同時代ゲーム」がでて、井上ひさし「吉里吉里人」が連載中だった。それを読んだ作家は、ふたつの作がマルケス「百年の孤独」と方法と主題を同じにしながら、国家を把握のしかたが異なると指摘し(画像)、そのうえ大江「同時代ゲーム」の遡及する時間(とくに第1の手紙)がマルケス作よりカルペンティエール「失われた足跡」と共通し、井上「吉里吉里人」も語り口がバース「酔いどれ草の仲買人」を踏襲していると指摘する。さらに「同時代ゲーム」については、四国の山のなかの村=国家=小宇宙が閉ざされたものであり、かつ世界各地の村=国家=小宇宙と通底しているのであり(第1の手紙のメキシコの寒村など)、ユング的無意識でつながった世界的広がりと同時代性をもつという。この読みは見事。恐れ入りました。