odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

アガサ・クリスティ「ポアロの事件簿 2」(創元推理文庫) WW1後にイギリス上流階級は没落しているのにその自覚がない。

 ポアロの、クリスティの初期短編。1923-30年にかけて書かれたもので、1974年に出版された「Poirot's Early Cases」に基づく。「戦勝舞踏会事件」が短編デビュー作。
 創元推理文庫の「ポアロの事件簿 1,2」はハヤカワ文庫の「ポアロ登場」と「教会で死んだ男」にほぼ一致する。創元推理文庫版のほうが収録数が少ないようだ。

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戦勝舞踏会事件 ・・・ 戦争(たぶん第1次世界大戦)の祝勝舞踏会でコンメディア・デ・ラルテのパントマイムをすることになった。するとアルルカン役のクロンショー卿が刺殺され、女優のコートナー嬢がコカイン中毒で死んでいた。卿は紫の房飾りをもっている。ポアロは話を聞いただけど、ほぼ推理を完成。コンメディア・デ・ラルテの知識がないとわからない謎だな。あと、チェスタトンの短編にも貴族の屋敷で仮装した面々が寸劇をするというのがあって(飛ぶ星@童心1911、機械のあやまち@知恵1914)、これも失われた風俗。

料理女を探せ ・・・ 高慢な婆さんが失踪した料理女を探せと横柄にポアロに頼んだ。プライドを刺激されたので、格安料金で引き受ける。婆さんの家には銀行マンが住んでいて、数日前に失踪していた。ドイルの有名作の換骨奪胎。ストーリーがもたもたするのは、上流階級のできごとだから。

マーキット・ベイジングの謎 ・・・ 密室で死んだのに自殺とは思えない状況で死体が見つかった。拳銃は右手に持ち、銃弾は左から撃ち込まれていた。死者は犯罪常習者。部屋のにおいをかいでポアロは真相を発見。狂言回しのジャップ警部の趣味は植物採集と優雅なもの。

呪われた相続 ・・・ ある一族は、長男は相続できない呪いをかけられたという伝承を信じている。実際、現在の当主は長男が死んで跡を継いだ次男。その息子二人のうち、長男にばかり事故が起きる。心配した母親がポアロに調査を依頼した。

潜水艦の設計図 ・・・ 海軍大臣が畏友を自宅に呼んで、潜水艦の設計図を見ることにしたら、小間使いの悲鳴がして、部屋を出ている間になくなった。アーサー・モリスン「ディクソン魚雷事件@シャーロック・ホームズのライヴァルたち)ルブラン「ハートの7@怪盗紳士リュパン」同様、潜水艦・潜水艇は当時の最新鋭兵器で軍事機密。

ヴェールをかけたレディ ・・・ 若い時の恋文をネタにゆすられているので取り返してほしいとレディに頼まれる。ポー「盗まれた手紙」ドイル「ボヘミアの醜聞」への挑戦状。もちろん意外な隠し場所だけでは短編といえども十分ではない時代なので、もうひとひねりある。変装して容疑者の家に侵入するポアロが実に楽しそう。

プリマス急行 ・・・ 列車の中である貴婦人の死体が見つかった。列車に乗るまでに、婦人は奇妙なふるまいをしている。その家では宝石が盗まれていて。

消えた鉱山 ・・・ ポアロがなぜビルマ鉱山株式会社の株を持っているかという因縁話。ビルマの鉱山採掘権の権利書が行方不明。事業に関係していた男と一緒にアヘン窟に忍び込む。

チョコレートの箱 ・・・ ポアロの失敗譚。数人で食事をした後、たばこを楽しんでいる最中、一人の男が顔を真っ赤にして死亡した。ふたと箱の色違いのチョコレートにポアロは注目。鉛管工に化けて容疑者の家に忍び込む。

コーンウォールの謎 ・・・ 夫に毒殺されるのではないかと恐れる婦人がポアロのところにやってきた。その翌日に夫人は死亡。容疑者は二人。

クラブのキング ・・・ ブリッジをしている部屋に大女優が闖入して失神。離れでは大立者が殺されている。

 

 第1集同様に低調な作品が続く。探偵小説としては面白くもなんともないので、他のことを見ることにする。
 1920年代のイギリスは第1次世界大戦の復興期。資産や生産設備などはようやく戦前の水準にもどり、たぶんアメリカからの援助や投資があって生産性があがり好況に転じていた(おかげで、日本の商品は国際競争に勝てず、小さい不況を繰り返していた)。そこで重要なのは、旧来の貴族は資産を目減りして、はぶりが悪くなり、銀行家や貿易業者などの成金が生まれ、メディアの発達で映画女優という新しい職業と時代のシンボルが生まれていた。イギリスの長らく続いた身分が壊れつつある時代。そんな時代に、クリスティは保守的な短編探偵小説を書く。そうすると視点が向くのは、これらの新旧の資産階級。金や資産のあるものが事件にあう。上流階級に起きた危機は当事者では解決できないので、外国人のポワロに依頼して解決する。上流階級が信頼する、ないし権威を認める外国人だから、利害関係のないところで公平で科学的な判断をして正義を実現するというわけなのだろう。そういう問題意識は同時代のチェスタトンにはあって、上流階級の信頼と不信を同時に持ったりするのだけど、この時代のクリスティにはそういう意識はない。その分、小説の深みは消えてしまう。そのうえに探偵小説としてもダメなので、どうにも読むのがつらい。
 「ヴェールをかけたレディ」に「カンヅメの魚を食べて死ぬ」という文句があって、この時代はまだ殺菌や真空の技術がまずかったのだなと思い出した(のちのモンティ・パイソン「人生狂想曲」1983年でもそんなスケッチがあったので、殺菌技術が確立するのはつい最近なのだね。まあ、われわれも遠足の弁当には気をつけろとしつこく言われたし、食材の腐敗を確認するようしつけられたし)。