odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

夏目漱石「こころ」(新潮文庫)-1 漱石の探偵小説趣味小説。「私」の探偵行動をもっと書けば、日本初のハードボイルドになりえた。

 まあ確かに高校の教科書に先生の手紙が収録されていたのを読んで驚愕はしたのだった。漱石を読みだすきっかけになったのは確かだが、あまのじゃくな俺は最初に「こころ」を手にするのではなく、まず「幻影の盾」から読んだのだった。以後、出版順に読んで「彼岸過迄」で高校生活は終了。「こころ」を読んだのは会社勤めをしてから。とくに感想はなかったが、以来数十年ぶりの再読でもとくにこころ動かされなかった。なので、以下の駄文は読書感想文の参考にはならないよ(そんな人がいるかどうかは知らないが)。
 学生の語り手「私」は鎌倉で避暑をしているときに、孤独な中年男「先生」に妙にひかれる。とくに訓育を受けるわけでもないが、会わないと寂しいので、帰省後も「先生」のお宅に足しげく通う。そこには美人な奥さん。彼女も妙に暗い影がある。「私」が突っ込んでも、「先生」ははぐらかす。言葉の断片からすると、学生時代に仲の良い友人が変死していて、その死に強く影響されている。奥さんに知れないように毎月誰かの墓参りをしている。人に欺かれた経験があって、以来人嫌いで社交をしないようになった。奥さんは「先生」の詳しい事情を知らないので、「先生」に不信を感じてもいる(でもそれ以上に愛されているのを知っているので、文句を言うことはない)。
 以上、第1部のまとめ。過去に事件があって、ある核家族(いずれも係累はいない)に不安な影を落としている。それを部外者の「私」が知ってしまった。この発端は探偵小説の常道。たとえばウィリアムソン夫人「灰色の女」(むしろ黒岩涙香「幽霊塔」)、クイーンの「十日間の不思議」がそれにあたるし、筒井康隆火田七瀬シリーズ(とくに「家族八景」)、小川洋子「博士の愛した数式」もそう。ロス・マクドナルドの長編も似た書き出しだ。そうすると、「私」は探偵となって「先生」の謎を解きに歩き回ってもおかしくない。のちの手紙からすると、「先生」の叔父と従妹、未亡人とお嬢さん(これが現在の妻)、友人Kの姉、「先生」とKの学友たち。おそらく事件から十年ほどしかたっていないようなので、関係者は存命であったはず。聞き取り調査から、手紙の謎のいったんは自力で解いていたかもしれない。漱石は探偵小説趣味があって、影響されたと思しき作品がいくつかあるが(「趣味の遺伝」「坑夫」「彼岸過迄」など)、「こころ」がもっとも隣接している。「私」の探偵行動をもっと書けば、日本初のハードボイルドになりえたのに。もったいない。
(「彼岸過迄」「行人」「こころ」は19世紀イギリスのゴシックロマンスや怪奇小説の構成をいただいちゃったと思う。「倫敦塔」「幻影の盾」「薤露行」などのロマンス趣味を濃厚に示した作品になった。前二作は前半に後の主題には関係しない長いプロローグを入れたので小説の構成はいびつになってしまったが、「こころ」は登場人物を少なくし、構成をすっきりさせた。多少は20世紀の文学に近づいたかな。男女の三角関係が謎解きされるという趣向もあって、漱石作品では屈指の人気作になった。)
 探偵小説にならなかったのは、探偵になるべき「私」があまりに「先生」に好意的であり、距離を置いて観察することができなかったからだ。この行動性向は漱石の小説には珍しい。漱石の小説には語り手がいて人々を観察するのであるが、どうも他人には冷淡であまり関心をもっていない。事件が起きて巻き込まれても、積極的に介入しないで、むしろ遠ざけようとする(「彼岸過迄」「行人」に顕著)。ここでは逆に、対象に近すぎて異常を異常とみない。ないしは、異常の理由を「先生」の外に求める。
 そうなるのは、「私」の現在が「先生」の過去とダブることにもある。「私」の父も腎臓病で重篤な状態にある。母からは帰宅しろとせっつかれるが、それは兄と妹がとうに家を出て、簡単に帰れないから。目前に控える父の死。母一人が残される新潟の田舎の家。家を離れられない母の面倒。学生であることでモラトリアムを楽しむ「私」にいくつもの事件がおきて、どうにも身動きが取れない。仲が良くない兄や母との関係をどうするのか。できれば東京で単身で暮らす気楽な暮らしを続けたい。そこで「先生」を使った嘘も言う。ここらは「彼岸過迄」「行人」の語り手にも起きたことだ。日本の都市化と資本主義の隆盛は無責任でお調子者のモッブを生んだが、家や田舎と関係を着ることができないという陰鬱な問題をもっていたのだった。唯一の解答は都市で資産を得て名声を獲得することであるが、だれもができるわけではない。世俗的な栄達に関心のない「私」には到底できることではなく、モッブの先達である「先生」の係累のない孤独な暮らしはそうありたいと思えるモデルになっていたのだった。
 という具合に、「こころ」は似た問題を二つ扱っているのだが、「私」の問題は先送りにされてしまった。代わりに長大な「先生」の手紙(全体の半分以上を占める解決編)が残される。語り手以外のものが書いたりしゃべったりしたモノローグが解決をつけるというのは「彼岸過迄」「行人」と同様。内容が異様なので、多くの読者のこころを打ったらしいが、俺からすると探偵小説になり損ねた雑な構成のうえに、もうひとつの問題を放置してしまったので、どうにもおさまりが悪い。

 

  

2022/01/20 夏目漱石「こころ」(新潮文庫)-2 1913年

 

トリビア
 「先生」は学生時代を思い出す際に、神田神保町から小川町の古書店を見て回った。20世紀の初頭にすでにこれらのエリアは古書店街になっていたのだった。まあ、杉田玄白蘭学事始」が発見されたのは、明治になる前の年の神田の本屋であったので、歴史はとても古そう。

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