タイトルは「つたかずらきそのかけはし」と読む。長らく講談社文庫大衆文学館だけでしか入手ができないかと思っていたが、青空文庫に全文がアップされていた。労多謝。
「講談雑誌」博文館に1922(大正11)年9月から1926(大正15)年5月まで連載されたのちに、1930(昭和5)年7月に単行本になる。
まずは編集者による紹介を読もう。
時は室町の末。木曽の領主・義明に愛妾として迎えられた遊女の鳰鳥(におどり)には、秘めた大望があった。イスパニアの司僧であった父を惨殺した義明への復讐である。兄の御嶽冠者もまた御嶽山中深く一党を率いて仇の隙をうかがっていた。兄妹の怨念が数多の妖士怪人を呼び集め、風雲まさに急を告げるとき、妖異壮大な物語の幕は開く! 無類の構想力、ロマンの錬金術師の三大伝奇小説第1作、いよいよ登場!
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この惹句は冒頭数十ページしか要約していない。このイスパニアの妖術と日本の陰陽道の対決が小説の大状況になるのでないかと思うが、作者の筆はすぐさま脇にそれる。すなわち、木曽義明とマドリド司僧の遺児の対決は宙づりにされ、木曽義仲に諫言した家臣の忠と義の葛藤になり、その意を組めない息子は許嫁ともども放逐され、一方信州のやまには百地三太夫と石川五右衛門の妖術対決があり、それに巻き込まれた若い武士と可憐な乙女の旅が起き、妖術使いのオースチン師は金石の採掘失敗の責を取らされて若い男女とともに別の旅に出る・・・
なにをいってるかわからないと思うが、俺もなにをいっているのかわからねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・ と嘆きたくなるほどに、物語はどんどん転がっていく。講談社文庫は全二巻であるが、前半が終わったところで、いったい何人の登場人物になるのか。きちんとメモを取る気がなくなるほどの人数がでて、その関係の複雑さといったら。
その代わりに、細部は抜群の面白さなのだ。歌舞伎調ともシェイクスピア調ともいえるような雄弁・多弁で説明過剰なセリフを読んでいれば、このシーンでは誰が良いやつで誰が悪い奴で誰が卑劣漢であるのかはすぐにわかる。ことに作者は城砦が襲撃される場面と、山道の待ち伏せ(もしくは仇敵との邂逅)にあって自衛する場面を好んでいて、本書でも何回繰り返されるかわからない。そのうえ、忠と義の対立は容易に親子の断絶になり、何組の親子で勘当と息子の出立が繰り返されたことか。野良の偉丈夫は妖術使いであり、主君を持たないのは敵討ちに凝り固まっているわけであるが仇はよく彼らの前に姿を現すのである。そのような手に汗握る場面の連続は読書を飽きさせない。
しかししばし本を離れて物語を回顧しようとすると、簡単なことではなくなる。それは筋が脇にそれまくり、人間関係を把握できないことにあるが、あわせて正邪、善悪の二分法がわからないのである。木曽義明は稀代の悪人で間違いないが、それにかかわる鳰鳥と御嶽冠者は悪なのか善なのか、陰陽道を体現する百地三太夫は正なのか大盗賊の石川五右衛門は邪であるのか、ここまででは判然としない。複数の凛々しい武士と可憐な乙女のカップルは誰についているのか、それが正しさにいたるのか、わからない。一体読者はどこに運ばれていくのか。
2022/02/25 国枝史郎「蔦葛木曽桟 下」(講談社文庫) 1922年に続く