ドストエフスキー「罪と罰」で改心のことを考えていて、そういえば改心がテーマの小説に「クリスマスキャロル」があったと思いだし、青空文庫で森田草平による戦前訳を入手した。
だめだ、読めない。ひどい内容だ。スクルージに代表されるユダヤ人が、有形無形の圧力を受けてキリスト教に改宗させられる話だ。
スクルージの外形はユダヤ人であり(大きなとがった鼻)、職業も金貸しであり(中世以来、職業ギルドに加われないユダヤ人が就ける数少ない職業)、吝嗇であり(これもユダヤ人への偏見)、クリスマスを祝わないという悪を行っている(そりゃユダヤ教徒はイエスの降臨には無関心)。キリスト教徒からすると異形な人物が、共同体を破壊しているように見える。そのような異教徒を聖霊が懲らしめる。すなわち死のみじめさと天国の崇高さを対比させ、貧しい家族が放置させられている罰を見せつける。恐怖によって改心したスクルージはキリスト教に改宗し、キリスト教文化を受容する。進んで同化したユダヤ人をキリスト教徒が祝福する。ユダヤ人への偏見を戯画化して、キリスト教優位を強調する。グロテスクな植民地主義、同化政策が称揚され、読者に強制する。
耐えがたい。こんな物語は読めない。
18世紀終わりころのフランス革命後、ヨーロッパはユダヤ人開放策をとるようになった。ゲットーに押し込まれていたユダヤ人は非ユダヤ人社会に住んで、世界経済に参加するようになる。職業差別・居住差別はあったので、多くのユダヤ人は金融業を行った。成功する者が生まれ巨大コンツェルンを作る一族もあった。19世紀ヨーロッパはユダヤ人の同化が進んでいた。一方で姿が見えなくなったユダヤ人を悪人に仕立てる反ユダヤ主義が起きていた。同時代の視線はたとえばマルクスのこの本。
2022/06/21 カール・マルクス「ユダヤ人問題に寄せて」(光文社古典新訳文庫) 1843年
ヨーロッパのユダヤ人の全体状況は以下が参考になる。
2022/03/23 上田和夫「ユダヤ人」(講談社現代新書) 1986年
2021/12/03 川崎修「ハンナ・アレント」(講談社学術文庫)-1 2014年
2021/12/02 川崎修「ハンナ・アレント」(講談社学術文庫)-2 2014年
2021/11/26 牧野雅彦「精読アレント「全体主義の起源」」(講談社選書メチエ)-1 2015年
2021/11/25 牧野雅彦「精読アレント「全体主義の起源」」(講談社選書メチエ)-2 2015年
専門家が研究していた。
長谷川雅世「ディケンズにおけるユダヤ人とキリスト教徒」2006
http://www.dickens.jp/archive/general/g-hasegawa.pdf
「「クリスマス・キャロル』 でディケンズは、スクルージをユダヤ人的な人物として描くことで、彼の無慈悲さや拝金主義という道徳的堕落を顕在化させようとした。翻って言えば、登場人物の道徳的堕落を明確にするために、ユダヤ人が持つ否定的なイメージを利用したのだ。 ここにもやはりディケンズのユダヤ人に対する偏見が感じられる。さらに、改心前のスクルージと改心後のスクルージは、ユダヤ人的なスクルージとキリスト教精神に目覚めたスクルージであり、彼の人物造形にはユダヤ人とキリスト教徒の対比が読み取れる。 そのうえ、善人への変身がキリスト教への回心として描かれている点で、 彼は善良な人物であるためにキリスト教徒化されるライアの登場を予言している」
とのこと。自分は少し短絡的でキレ気味の反応をしたのかも。
これは1843年の小説だが、同時代のロンドンの状況はこういうもの。小説にでてくるようなだれもが幸福に暮らせる状況はなかった。同じイギリスのキリスト教徒の間でも格差と搾取があった。
2022/06/17 フリードリヒ・エンゲルス「イギリスにおける労働階級の状態」(山形浩生訳)-1 1845年
2022/06/16 フリードリヒ・エンゲルス「イギリスにおける労働階級の状態」(山形浩生訳)-2 1845年
この状況は世紀が変わっても相変わらず同じだったようで、それはイギリスの植民地では露骨だった。
ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」では、ダブリン(当時はイングランド領)に住むユダヤ系アイルランド人であるブルームがごく平凡な一日でも、各所で差別にあっていた。
19世紀になると、ヨーロッパ各地で反ユダヤ主義が激しくなり(とくにドイツとロシア)、アメリカに大量のユダヤ人が移民した。
大澤武男「ユダヤ人とドイツ」(講談社現代新書)
アメリカに移住したユダヤ人であるが、アメリカの白人社会でもなかなか企業に就職できないし、土地を取得して農業をすることができない。そのために集住地区を作り、小売店をつくったり士業についたりした。
20世紀初頭ころのアメリカに移住したユダヤ人の話。すでに二世、三世が生まれている。音楽の才能を持つ人は当時の新興産業だったブロードウェーミュージカルやラジオなどで活躍する(人手が足りないので、人種・民族に関係なく採用した)。とりわけ有名なのがジョージ・ガーシュイン(東欧ユダヤ人移民の子)。20世紀初頭にはクリスマスソングが流行ったので、ユダヤ人作曲家に依頼があって、たくさん作られた。その中には今に残るクリスマスソングがある。ときにはユダヤ人差別を反映させたかのような曲もある。有名なのは「赤鼻のトナカイ」。
クリスマスにはキリスト教徒のレストランが閉店になるので、クリスマスを祝わないユダヤ人は開いている中華料理店に行くしかなかった。大皿を分け合う中華料理のスタイルがユダヤ人の食文化にあっていたので、クリスマスに中華料理店に行くのはアメリカユダヤ人の習慣になったとのこと。アメリカにある中華料理店なら人種や民族で入店拒否をすることはなかっただろう、と妄想。
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