2024/02/20 河出文芸読本「高橋和巳」(河出書房)-1 若い人にはウケたが、年上の人は批判的だった「苦悩教」の作家。 1980年の続き
没後に編集された高橋和巳評。
座談会 高橋和巳の文学と思想(大江健三郎/小田実/中村真一郎/野間宏/埴谷雄高) ・・・ 作家を知っている人たちの作品評。埴谷がとても雄弁で、中村と野間は静か。大江は50代の大学教授を語り手にした「悲の器」を青春文学としているが、それは人生の可能性を展望しながら現在の自分を考えるからだそう。後、高橋の小説は「私」を書くが「私小説」ではない。若い人にはウケたが、年上の人は批判的だったとのこと。
高橋和巳と中国文学(井波律子) ・・・ 作家の小説は「情念と主知性が混在しているように、中国文学研究も論理と鑑賞の間を行きつ戻りつしている」。高橋和巳の小説は多彩な文体を駆使するのだが(とくに「邪宗門」に登場する様々な文書、口伝、記事など)、由来は中国文学に出てくる美文を研究したことにありそう。また下降したがる男たちは大見得を切る役者のようになるという指摘がおもしろい。
エッセイ(梅棹忠夫/村上一郎/磯田光一/大島渚) ・・・ たぶん河出書房の「高橋和巳作品集」の月報に収録されたエッセイ。メモしておきたい指摘はなかった。
清官(竹内好) ・・・ 中国文学研究の先達が弟子の若い死を悼む。
全共闘運動と高橋和巳(真継伸彦) ・・・ 「わが解体」ほか評論について。メモしておきたいことはない。セクトの暴力主義に非暴力主義はどうするかという問いがある。これは暴力主義者を排除するということで21世紀には解決。暴力主義者には冷笑で、というのは誤り。シニシズムは暴力を排除できない。暴力主義者には非暴力の数で対峙する。以上は書かれてから50年の試行錯誤で出てきた答え。
壮大な「第二歩」への期待(小松左京) ・・・ 小松左京は京大文学部の同級生。高橋和巳は知識人論と文学の責任論をやった。(俺からすると、知識人の範囲や機能は国や民族によって異なるし、文学のありようも違うので、高橋のように一般化して語るのはあまり興味がわかないなあ。)
高橋和巳の文体(柄谷行人) ・・・ 高橋和巳の小説で愛好できるのは「文学ではない」と語り手に言わせた「悲の器」だけで、文学であろうとしたほかの小説は空疎な比喩ばかり。
「高橋和巳の不幸は、生活の累積が導き出す観念のかわりに、観念の累積が導き出す生活を持ったことだ(P155)」。
なので、議論はブッキッシュで空疎な一般論におちていき、寡黙な体験的思想家に抗することができないとのこと。
エッセイ(小川環樹/鶴見俊輔/柴田翔/宮川裕行/橘正典) ・・・ たぶん河出書房の「高橋和巳作品集」の月報に収録されたエッセイ。メモしておきたい指摘はなかった。警察がデモに対して暴力をふるう様子はひどかった。「かかれ」の号令で警官が警棒で殴り掛かり、逆関節をとってスクラムを引きはがす。それがずっとエスカレートして昭和40年代の大学闘争から特に成田の闘争での暴力に発展する。それの反省があって21世紀には警察の暴力は抑えられてきたが、いまだに過剰警備があり、レイシストを優遇している。
高橋和巳の思い出(高橋たか子) ・・・ 高橋和巳のパートナー。無名時代から妄想を聞かされ、1966年まで原稿を清書していた(小栗虫太郎の妻もそうだった)。 「虚無僧になりたい」「絶望、憂鬱、妄想が口癖」「誇大妄想狂の自信家の男」。「邪宗門」のあとは出版社の担当が清書などをしたが、作品の評は落ちていったという。同時に二人が酒に溺れていったとのこと。
高橋和巳を20代に読んだときは、饒舌な理論や議論に圧倒される思いがあったが、老年になってからの読み直しではとくに感銘もおきないような陳腐な議論の羅列だった。それは柄谷行人がいうようにブッキッシュで空疎な一般論を書いているからなのだね。
作家は1971年に39歳で夭逝したが、この後の時代を生きていたとしたらどういう文学になっただろう。強い自意識と低い自己肯定感の持ち主が自分から不幸になるように、苦痛を受けるように堕落・転落していくという主題はリアリティをもったかしら。ことに村上龍や村上春樹や田中康夫の出現以降。そうすると、作家は埴谷雄高「死霊」のような観念・幻想小説を書くしかなさそうと妄想。
河出文芸読本「高橋和巳」(河出書房)