文庫本であれば数百ページに喃々とする漱石の大長編。普通、このくらいのサイズになると、主人公たちは大冒険をしたり、深遠な議論をしたり、いくつもの謎が解決されたり、愛憎のもつれがほどけるかよりをもどしたりもするのであるが、本作では何も起こらない。主人公たちは自分から動こうとはせず、若い夫婦の生活がこまごまと描写されて、うだうだとどこを取っても同じような会話が繰り返されるのだ。長編を読み通す根気がなくなって、途方に暮れてしまう。実際、漱石は
「津田には何が何だかさっぱり訳が解らなかった(百三十九)」
と書いているのであって、それは読者のことだよ、と嫌みのひとつも言いたくなる。
半年ほど前に、30歳の津田はお延23歳と結婚した。それまで男とつきあったことのないお延は津田を愛そうとする。夫婦が世話になっている吉川夫人(ほかにも多数の女性たちも)はこの夫婦がうまくいっていない、それは津田に原因があり、津田の結婚の直前に許嫁の清子が逃げてしまったことが問題だ、旅費を出すから温泉湯治場に行きなさいとけしかける。そこに行くと、清子がいて、津田は半年ぶりに再開した。
大まかな筋はこれだけ。おそらく金と結婚が主題になるだろう。津田とお延の夫婦の問題はここにある。胃病があって切除手術をした津田には金がない。父に無心をすると怒りを買って断られる。ではお延の育ての親の岡本に頼むか、むしろ津田の上司の吉川に用立ててもらうか。どちらも金を出すだろうが、津田にもお延にも面倒な負担が増える。実際、延を嫌いらしい吉川夫人は上のように夫婦に介入してくる(でも本文を読んでも意図はよくわからない)。そのうえモッブ@アーレントの典型である小林はニヒルとシニシズムをもって、津田に迷惑をかけ、しきりに無心していく(代助@「それから」が職業を見つけられなかったら、この小林になっただろうなあと妄想)。ともあれ、津田には金がないし、それによる人間関係が煩わしい。一方、延は当時の女性の常として結婚相手は親や周囲が決めるのであって、結婚してから人を愛することを覚えようとするのであり、そこには拒否や別れの決断をいれることはできない。そのうえ、周囲の女性たち(姑、上司の妻、友人、下女など)は延を品定めし、妻として良いの悪いのと口さがない。愛の経験に乏しく自己主張を禁じられている明治の女性はいかに愛を実践できるのだろうか(という問いは21世紀のものだから可能なのであって、作中では女は男を韜晦したり当てこすりをしたりはできても、それ以上の自己主張や判断は男が禁じるのである)。とむりやりにテーマを見出してみた。あっているかどうかは不明。
津田とお延の問題は、過去作の繰り返しのようにみえる。「彼岸過迄」「行人」が近いか。でも、本作ではフォーカスされる登場人物は津田とお延に限定される。彼らの金や結婚に影響を及ぼす叔父や叔母、兄弟姉妹はほとんど姿を現さない。彼らとの関係は津田と延の問題に表れてこない。そしてこの見合いで一緒になった夫婦は、互いのことを探ってばかりで本音や不満をぶつけあうことがない。おのずと会話は形式ばり、たわいないことの繰り返しになる(明治のモッブである小林はいやらしさの極致で、トリックスターの役割を十分に担っている)。
埋めるのは津田と延が何を考えているかをリアルタイムで実況すること。女性の視点でできごとを書くのは漱石では初めてではないかな。ここはすばらしい。文体の清明さと的確さは、これまでの夏目漱石の作を超えているのだが、進まないストーリーにはへこたれました。
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