odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

都筑道夫「髑髏島殺人事件」(集英社文庫)

 能登半島の先にある通称「髑髏島」にそれぞれ知り合いではない数名の男女が集められた。その日から起こる猟奇的な連続殺人事件! コードネーム「髑髏」が暗躍、彼らは生き延びれるか?島を脱出できるのか? ・・・というような話は、マイケル・スレイド「髑髏島の惨劇」でも読んでください。
 ここで取り上げるのは国産の別の探偵小説。初出の1987年というと、伝聞情報になるのだが、新本格派の1960年代生まれのミステリー作家が古い探偵小説の意匠を復活させた犯人あて小説をたくさん書いていたそうな。復活された意匠には、閉ざされた館・ダイイングメッセージ・密室・一人二役(二人一役)・変装などなど。社会問題? 男と女のセンチメンタル? トリックの実現可能性? 人物造詣のリアリティ?なにそれ?という作品がでまわっていた(そうな)。
 戦後に乱歩御大がカーを礼賛したのは探偵小説の近代化を遅らせたと主張するセンセーはこのような状況でどうしたか?そういう古い趣向の探偵小説も書けるけど(「朱漆の壁に血がしたたる」など)、ここではそのような状況をパロディにしてみた。

 舞台は国鉄中央線多摩由良駅にあるメゾン多摩由良。コーコは短大を卒業し、お春は多摩文化大学で江戸文学を研究する院生になり、民雄は翻訳者として名前が載るくらいの仕事をするようになり、風間先生と浜荻先生は悠々自適。さて、コーコが父が殺された夢をみて、あわてて家を飛び出す。部屋に戻ると、見知らぬ男が殺されていて、読みかけの探偵小説を持ち出していた。その作者・風折圭一はメゾン多摩由良の住人。風折はコーコたち「今谷少年探偵団」の会合に参加(ついでに駅前のスナック「伊留満(イルマン)@名探偵もどき」が登場。でも蘭子は登場しない)。
 さて、続けて事件が起きる。バットマンのTシャツを着た中学生が自動車にはねられ、浜荻先生の知り合いのもと挿絵画家・高瀬さんが六道の辻と呼ばれる林の中で頭を割られている。このとき下弦の月にしっぽの生えたような絵を残している。さらには近くの林の中で、ある人妻が刺殺されて木にさかさまにつるされていた。
 奇妙なのは、この一連の事件が風折の「髑髏島殺人事件」を見立てにしているように進んでいることだ。風折は迷惑顔だが、民雄はとことんこの推理を進めていく。事件解決のカギになったのは、浜荻先生が古い編集者とあい、雑談の中から、最初に殺された男が昭和30年代の仙花紙雑誌で中編と短編を書いていた作家のようなものだったのを思い出したところから。この先は置いときましょう。
 雑誌編集者との雑談で、当時の雑誌と探偵小説界の思いで話が出てくる。戦後すぐは邦人作家のものが盛んに読まれた。でも、1955年をすぎて、「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」「マンハント」「ヒッチコック・マガジン」がでて読者の趣向は翻訳探偵小説に移る。いわく邦人作家の推理小説は泥くさい、という評価になった。それを決定的にしたのは、中村真一郎福永武彦などがNHKのラジオの座談会でそう発言したから。そのころには海外探偵小説を読んでデビューした佐野洋などがでて、ますます一世代前の作家の人気がなくなっていった。ここらへんの証言は重要だな。まあ、センセーの第1作「やぶにらみの時計」(昭和36年)は、海外ものの影響大で、泥くささを一掃したものだった。自分はカストリ雑誌の出身だが、昭和30年代の翻訳ミステリブームでも忘れられなかったよ、というプライドを見てもよいかな。
 それから30年たつと、読者層が入れ替わって海外の黄金時代ミステリを読み込んできた連中が、邦人作家の泥くさい作品を要求するようになったのだから面白い。それはなぜかという視点の探偵小説史は笠井潔が書いているみたいだけど、自分は未読。そういえば自分も国内ミステリをそれほど読んでいなくて、いくつか思いあたる理由ででっちあげることができそうだが、個人的体験は普遍的ではないので、胸にしまっておく。

 マイケル・スレイド「髑髏島の惨劇」も紹介。荒唐無稽さとグロテスクさがキャンプ趣味になって、大いに笑えるという倒錯した読み方が可能。

<参考:コーコシリーズ>
2012/10/12 都筑道夫「全戸冷暖房バス死体つき」(集英社文庫)
2012/10/11 都筑道夫「世紀末鬼談」(光文社文庫)
2012/10/10 都筑道夫「髑髏島殺人事件」(集英社文庫)
2012/10/09 都筑道夫「まだ死んでいる」(光文社文庫)
2012/10/08 都筑道夫「前後不覚殺人事件」(集英社文庫)
2012/10/07 都筑道夫「南部殺し唄」(光文社文庫)