odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

福永武彦/中村真一郎/丸谷才一「深夜の散歩」(講談社、創元推理文庫) 戦中派の知的エリートはいかにミステリーを読んだか

 いくつかの本の情報を拾ってつないでみると、戦後の探偵小説史はこうなるか。1938年ころに洋書の輸入が禁止され、1941年以降に紙の配給体制が行われて、娯楽雑誌はほぼ廃刊。探偵小説の執筆は禁止され、捕り物帳かスパイ小説くらいしか発表できない。そのときの対応は作家によっていろいろ(断筆の乱歩、捕り物帳を書く横溝、スパイ小説を書く海野、冒険秘境小説を書く小栗など)。敗戦で統制と検閲が廃止。探偵小説が復活。粗悪な紙をつかった雑誌(そのころさまざまな雑誌が大量に出て、数年で消えた。若い書き手のひとりが無名時代の都筑道夫)。あわせて占領期には外国文学の翻訳には制限がかけられていた。なので、探偵小説は国産品が流通。戦前の大家(横溝正史角田喜久雄あたり)と新人(高木彬光、島田一男、鮎川哲也あたり)が書いていた。お手本は戦前の大作なので、古めかしい意匠をまとったものが多く、文章も稚拙。次第に飽きられてくる。で、占領が終了して、海外文学の翻訳が可能になる。1953年にハヤカワポケットミステリが登場。1940年代の新しい作風の小説が入手できるようになる。江戸川乱歩が随筆で1938年以降の空白期の作品を紹介していて、読みたがる読者が大量にいたのだろう。既存の国産探偵小説に飽いていたインテリや学生がこの新しさに魅了される。国内作家では、昭和20年代の大家と新人が淘汰され、松本清張水上勉、佐賀潜のような次世代の書き手に人気が移る。という具合に、昭和30年代は探偵小説の黄金時代であった(ただ自分はこの時代の国産品はあまり好きではない。というか21世紀には入手困難になってしまって読めない)。

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 さてこのエッセイ集は昭和30年代の海外ミステリ好きの集まりであるハヤカワミステリマガジン(HMM)に連載された(当時、このほかに「マンハント」「ヒッチコック・マガジン」など海外翻訳ものを集めた数種の雑誌が出ていた)。HMMの仕掛け人は編集長の都筑道夫生島治郎。書き手は福永武彦中村真一郎丸谷才一で、1958-1962年にかけて連載された。当時の海外派の趣味が分かると思うので、取り上げた本のタイトルを並べる。

福永武彦
​クリスティ「ゼロ時間へ」/ブラント「緑は危険」/ガーブ「メグストン計画」/マリック「ギデオンの一日」/チャンドラー「ロング・グッドバイ」/カンバランド「ベアトリスの死」/アームストロング「疑われざる者」「毒薬の小瓶」/アルレー「わらの女」/サンデータイムズ のベスト99/バリンジャー「消された時間」/ガードナー「検事卵を割る」/ガードナー「嘘から出た死体」/ライス「スイートホーム殺人事件」「大はずれ殺人事件」/クイーン「Yの悲劇」/マッギヴァーン「明日にかける」/ガーヴ「ギャラウェイ事件」

中村真一郎
マクベイン「87分署」シリーズ/クリスティ「無実はさいなむ」/クイーン「クイーン検察局」/ブロック「サイコ」/アンブラー「あるスパイへの墓碑銘」/ガードナー「待ち伏せていた狼」/ライス「素晴らしき犯罪」/ボックス「死は熱いのがお好き」/ブレイク「闇のささやき」/カーター・ブラウン「ミストレス」/スレッサー「グレイ・フラノの屍衣」/ロス・マクドナルド「ギャルトン事件」/エリン「特別料理」/マスル「霊柩車をもう一台」/モーム「アシェンデン」/ルブラン「奇巌城」

丸谷才一
クリスティ「クリスマスプディングの冒険」/ソマーズ「震える山」/コリンズ「月長石」/カサック「日曜日は埋葬しない」/デヴィッドソン「モルダウの黒き流れ」/デュレンマット「嫌疑」/クェンティン「私の愛した悪女」/シモンズ「犯罪の進行」/チャンドラー「プレイバック」/フェア「おめかけはやめられない」/ケイン「殺人保険」/スタウト「毒蛇」/ヴィカーズ「迷宮課事件簿」/マッギヴァーン「殺人のためのバッジ」

 半世紀以上たって今も読み継がれているものもあれば、忘れらているものもある。本格もあればスリラー・サスペンスもあり、軽謎解きもあればハード・ボイルドがあり(アメリカ小説の伝統)、冒険小説にスパイ小説もある(イギリス小説の伝統)。古典もあれば、最新刊もある。このころから探偵小説、推理小説、ミステリが同列に使われるようになり、サブジャンルの確立と拡大があったというのがわかる。
 書き手がいずれも純文学の作家で文学研究家であるところに注意。彼らは戦時中のわかいときに、ミステリーの洋書を数名で同時に読んで犯人あてをする遊びをしていた。知的娯楽のない時にかっこうの遊び相手であるし、論理的思考のレッスンでもあった。そういう経験をもっているので、彼らはもっぱら知的娯楽として探偵小説を読む。なので、ミステリの作法のことより(意外な犯人が、トリックが、謎解きの論理が、というのはほとんど無視)、小説の出来を評価する。人物描写の的確さ、プロットの自然さ、心理のリアルさ、伝統と独創の配分、会話の妙や風俗描写などなど。ほとんど一般小説や純文学と同じ評価基準でミステリを評価する。
 そうするのは、戦前からの流れで探偵小説(ほかのエンターテインメント小説全般)が価値のないもの、評価に値しないものとされていたから。なので戦前とこの時期に探偵小説は文学たりうるかという論争がおもに探偵小説作家の間で行われていた。それを横目で見ていた福永他の作家はその問いは無効だよといった(この論争における文学の指すものが狭いのじゃない、高尚かどうかという評価軸で測れるものではないよ、知的娯楽も教養になるんだよ、など)。この議論が有効であるかとか書き手の結論に同意できるかはさておき、このあとその種の論争は起こらなくなった(かわりにSFが俎上に上がる論争が1970年代末まであった)。
(エンタメは文学たりうるかの論争が消えたのは、読者が変わったからだろう。「純」と「大衆」の区分がさらに細かくなって、大量の小説が生産されるようになり、読者は全部を追いかけることができなくなり、自分の好みのサブジャンルに引きこもる。ことに「純」を主に読む層が少数になり、他の「大衆」を読んで批判する機能が失われる。そうなると、読者の層の間で「交通」が行われなくなり、論争(ことばの交換)が消える。もう論争はジャンル横断的ではなくなり、ジャンル内でしか行われなくなる。こんな図式を妄想してみた。)
 およそ40年ぶりの再読。最初に読んだ昭和50年代でも、このような「文学」的に探偵小説を読むのは、勉強にはなるが、ピントの外れた、あるいは余計なムダ話のように思えた。例えば角川文庫が横溝正史森村誠一の小説をブロックバスター手法で大量に販売していて、文学論争に関心を持つ人がいなくなっていたから。それは初の単行本化のときもそうらしく、あとがきによると1963年の初版がでてもほとんど売れなかったらしい(再版がかからなかった)。断片的ではあっても、あの時代の最先端の探偵小説論として、インテリやスノッブにだけ読まれていたのだろう。
 今回の再読で取り上げられた本はほとんど忘れていたが、細部はよく覚えていた。どうやら自分の探偵小説の読み方はこの本の影響を受けているらしい。彼らほどの知識と論理を持っていないので、感想文のできは惨憺たるものばかりだけど。

 

  

<参考エントリー>

2012/10/10 都筑道夫「髑髏島殺人事件」(集英社文庫)