odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

都筑道夫「怪奇小説という題名の怪奇小説」(集英社文庫)

 作者とよく似た境遇の作家に怪奇小説を書く依頼が届く。書き出すテーマが見つからないので、無名の洋書で盗作をすることにした。そのままでは具合が悪いので、時代小説じたてにする。なかなかうまくいかないので街中を散歩しているときに、謎めいた女をみかける。彼女は死んだはずの従姉。知り合いにその話をすると、ゲイバーによく似た男がいることを教えてくれ、作家はバーに入り浸る。男=女であるムリとなじみになって、・・・うーん、概要を書いていくとこの小説の重要なテーマがあからさまになってしまうから、続きは止めよう。

 ポイントは、ひとつのナラティブが続いているようにみえて、実は複数のナラティブが同時進行していて、そのナラティブの間にはヒエラルキーがなく、どれが真実であるのかわからないということ。ここでは作家の心中の描写がそのまま洋書の翻訳になり、あるいは作家の書き直した時代小説になり、作家自身の活動になり、いずれがいずれとも判別のつかない幻想の世界に入っていく。それほど長い小説ではないので、幻惑の世界を構築する言葉の数は少ないので、とてもうまくここがあちらに移っていく、この手際は見事。こういう物語はいくつか既読であって、ああそういうものか、たとえば笠井潔のアレとか奥泉光のアレなんかだよなと思っていたのだが、奥付を見て驚いたのは、文庫版初版が1980年だったこと。当時は少なくとも3年はたたないと文庫化されなかったから、これは1970年代のものか。とすると、この趣向の小説としてはきわめて古いものだ。文庫版が出たときには、モダンホラーはまだ読まれていなくて(映画「ミザリー」公開あたりの80年代後半から)、このような趣向の物語を消化する力を読者はもっていなかった。その点では、作者は常に新しすぎたのだろうなあ。
 とはいうものの、記憶の混乱した男が過去を求めて捜索するという話はミステリでよく書かれたテーマであり、無理やりさかのぼるとソポクレス「オイディプス王」まで行ってしまう。自分自身を捜索するテーマで最も残忍な結末は自分自身が「怪物」であることを発見すること。
 あと、最初の章で怪奇小説論を展開している。1970年代で怪奇小説は、3つのタイプに分かれる。1)昔ながらの怪談。よほどの筆力が必要。成功しても古めかしさが免れない。2)現代人に馬鹿にされないように超自然は避けて、異常な人間関係などを扱ったもの。失敗すると普通小説との境のないはがゆいものになる。3)怖がらせることは諦めて、ストーリーのひねりで読ませようとするもの(P9から抜粋)。さてこの「怪奇小説という題名の怪奇小説」はどれだったでしょう。さらに、第1章では2の名作としてスタインベックの「蛇」全編を引用している。「ミステリー指南」講談社文庫(だったと思う)で、この趣向を自讃しているので、あわせて読まれたい(といって品切れか)。もちろん、前掲書にあるようにレイモンド・ポストゲイト「十二人の評決」(ハヤカワポケットミステリ)の先例があることを知った上での所業(あれ、おかしな言葉使い。ポストゲイトはサキの「スレドリ・ヴェニスター」を引用している)。