探偵小説から見ると、15年戦争の敗戦によって起きたことは、1)戦争動員体制で書けなくなったジャンル小説を書けるようになった、2)弱小出版社が林立し、雑誌がたくさん発行された、3)洋書輸入禁止で読めなかった本が入手できるようになった(その結果、欧米の1930-45年の情報がどっと入ってきた)、4)翻訳権の支払が義務付けられしばらく翻訳ができなかった(この本によると昭和24年に出版エージェントができてから再開された)、あたり。50代の江戸川乱歩はもはや小説を書く情熱を失った代わりに、欧米の情報提供と評論、新人発掘に力を入れる。そのために、池袋の蔵はたぶん本の山になっていたのだろうなあ。
いったいこの人は最初の探偵小説の博物学者。その作業は、まず個体収集から始まる。手当たり次第に、あるいはつてを求めて本と雑誌の入手に狂奔。そのもっとも情熱的なエピソードは、アイリッシュ「幻の女」を入手する経緯だろう(「幻影城」には未収録)。あと、この時代には清水俊二(映画字幕の第一人者だけど、同時にチャンドラーの翻訳者)や植草甚一も活動を開始していて、乱歩と交友があったみたい。たぶん洋書の貸し借りや入手で彼らに手伝ってもらっったこともあるのではないかな。そういう協力者を含めて、とにかく個体(本と雑誌)の収集を行う。ここまでであれば、愛書家であるわけだが、その次に乱歩の行ったのは、分類と命名。ここでも怪談を分類し体系化している。探偵小説のトリックは類別トリック集成に結実するのだが、それは「続・幻影城」に収録。収集した個体の分類と体系化の情熱は博物学者のもの。そうすることで、ジャンルの全貌を把握しやすくなるのだしね。他人の便宜を図り、後進の成長に期待するという意図もあるだろうけど、分類と体系化自体が面白いのだよな。エンターテイメント小説というジャンルだから、人為的な分類にならざるを得ず、どうしてもそこに観察者の意図とか思い込みとかが透けて見える。乱歩の分類と体系化も万全のものではないし、そこに乱歩の稚気も感じるのだが、それを含めていつくしむことにしよう(おいらは探偵小説の分類と体系化を自身でやるつもりはないもので)。
このエッセイ集では、収集と体系化の作業で得た情報の提供を主に行っている。1920年代から1935年くらいまでのアメリカ探偵小説はおおむねリアルタイムで紹介済。なので、乱歩の発見したのは1930年代のイギリス探偵小説。イネス、ポストゲート、アリンガム、ブレイクなどの新進作家の傑作を紹介するときのうれしそうなこと。これをうけてだろうけど、ハヤカワポケットミステリや宝石の増刊号などでこれらが翻訳紹介されたのだった。あいにく文学味のつよいこれらの作はいくつかの例外を除いて、1960年以降にはしばらく入手難になったのだが。あとはアイリッシュなどの心理サスペンス。アイルズ、ハルあたりもかな。ちゃんとデュ・モーリア「レベッカ」を読んでいるし、怪談ではラブクラフトもフォローしていて、収集の範囲と熱情に驚こう。乱歩にとって悲しいことに、彼が紹介しないスピレーンとガードナーの方が売れたのだった。これは美女と拳銃がテーマ。やはりこの種の煽情的な小説のほうが受けるわけか。ここにこの国の精神や思想を見てもよいかも。
あと、「探偵小説は芸術か」「探偵小説の定義は?」というのを執拗に問いかけている。木々とか甲賀のような論客がいたからこその反応。おおむね乱歩の立場のほうが自分には近しいが、ここらの論述を読んで思うのは、ジャンルを内部の論理で定義しても無理がでてくる。謎と解決を主眼におくと怪奇小説との境界があいまいになるし、合理的解決となるとほぼすべてのジャンルに共通してくるだろうし。あるいは「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」なんかの居場所をどこに置くかで混乱するだろう。これは探偵小説に限らず「純文学」についても同じか。これも定義できないだろうなあ。とはいえ、「探偵小説」が存在しないわけではなく、読者はある小説を読んで「探偵小説」であるか否かは判断できるのであって、これが何を根拠にしているかも説明しがたい。ここらは博物学の対象となる個体と種の関係と同じ。そのような問題を抱え込みながら、論を立てる技術と知識は乱歩にはなかったよう。「評論」というには中身はおそまつ。その代わりにあるのが、探偵小説というジャンル、および作家や編集者などそのステークホルダーに対する熱情であって、溢れるばかりの恋情を読者は読むのだ。
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