odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「後期短編集」(河出文庫他)-3「おとなしい女」 男から受けた侮辱や屈辱を晴らすために妻にあたったミソジニストの悔恨

おとなしい女 1876.11 ・・・  「作家の日記」1876年11月号に掲載された短編を読む。本文全文。

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サマリーは下記を参照。
2019/12/10 フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 上」(河出書房)-3(1876年下半期)「宣告」「おとなしい女」 


 なんとも胸糞のわるい話であるが、補助線として「地下室の手記」と「罪と罰」を参照するとよい。語り手は軍隊を放逐されたのであるが、軍隊でうけた「侮辱」「屈辱」を晴らすことを人生の目的にする。その際に質屋を選んだのは、通常の売買での「命がけの飛躍@マルクス」が起こらず、「世間の侮辱に対する障壁として」つねに客を見下せるところにあるのだろう(「罪と罰」の金貸し婆さんのアリョーナも同じ目的の人生だったのかもしれない)。20年近く経営していると、小金がたまって、他人に嫌われているが、他人に排除されない(居なくなれば生活が成り立たない)ので、都市に住まうことを決める。そこで目をつけたのが家庭教師志望の16歳の娘。彼女は「心建ての優しいおとなしい女」だったから、策を弄して結婚にこぎつける。当時のこととて自由恋愛はないので、女は結婚してから(場合によっては子供を産んでから)男を愛するように努力することになる。
 夏目漱石「明暗」(青空文庫) 
 愛を探そうにも、中年男は彼女を「親友のつもり」「希望」と思いながら、「不釣り合いな感じが快楽」として「娘を屈服させる」「彼女を苦しめるために結婚」したのであった(このあたりの結婚観、女性への選り好みはスヴィドリガイロフやラスコーリニコフに似ている。自由恋愛が制限されている時代では女性に対する蔑視や嫌悪を男が持っているのはあたりまえ)。もともと男は無口で重苦しい性格で、夫婦の会話も気晴らしもなかった。なので、娘は不倫をすることになり(ドスト氏の好みの「寝取られ男」テーマ)、その現場に男は乗り込む。男はかんかんなのに、不倫相手が申し込んだ決闘を無視する。侮辱を感じていないからといいわけするが、男相手の争闘をする勇気はないのは「地下室の手記」の語り手だし。ほかに初期短編にも意気地なしはたくさんいたなあ。にもかかわらず、ふいに男は改心する。妻を「おとなしい女」を愛していると確信し、彼女の足元に膝まづき、足や床に接吻する(ラスコーリニコフがソーニャの前でやったことだね)。そのとき妻は、

「あたしはまた、あなたがあたしをこのままにしておいてくださるものとばかり思ってましたわ」ふいにこういう言葉が無意識に彼女の口からもれた。(略)それこそ最も重要な、最も運命的な言葉であり、その晩もっとも明瞭にわたしに理解された彼女の言葉であって、わたしはそのために、まるで心臓をナイフでぐさっと決られたような気がした!この言葉はわたしにいっさいを説明した、いっさいなにもかも。

 ラスコーリニコフマルメラードフ家に寄付や施しをしソーニャの名誉回復のために戦ったが、そのような他者を目的をする行為をしていない中年男は、身勝手と見られて、好意で行ったことが見とがめられるのだね。たしかに見下していた相手から尊厳を守る言葉で返されたら、「まるで心臓をナイフでぐさっと決られたような気」がするだろう。気がしなかったら、自尊心も自意識も持っていない(マルメラードフのように)。妻は自己回復の機会をもてずに、聖像を胸に抱いて窓から飛び降りる。現場で放心している男が

何よりはっと思ったのは、みんながわたしを見ていたことである。はじめがやがや騒いでいたものが、そのとき急に黙ってしまって、わたしの前に道を開いた。

 ラスコーリニコフが恐れていた苦痛(他人からの侮辱や屈辱)がこの男に起きた。死者への追悼の心持はなく、自分の名誉や自尊心の方が大事なわけだ。前に開けた道を歩くのは、男が処刑場や監獄に向かうのような心地がしただろう。そうして自尊心や自意識をへし折られた中年男は、「地下室」や「屋根裏部屋」にこもった人間と同じように、世間や社会を呪詛する。

今のわたしにとって諸君の法律がなんだ?諸君の習世、諸君の風俗、諸君の生活、諸君の国家、諸君の信仰が何するものぞ?諸君の裁判官をしてわたしを裁かしめよ。わたしをして法廷に、諸君のご自慢の公開法廷に立たしめよ。そうすればわたしは、おれはなにものをも認めないといってやる。

 なにものをも認めないと威勢の言いことを言いながら、しゃべってばかりの中年男は「地下室」の住人らしく何もしない。自首する案件ではないので警察はあいてにせず、自死もできないので、この男は都市から逃げて精神の「シベリア」「荒野」を放浪するしかないんじゃないかな。
(という具合に、スヴィドリガイロフが田舎で女中らを自殺に追い込んだ事件や、ラスコーリニコフのもう一つありえたかもしれない可能性を示唆する短編であった。この中年男の精神の荒廃は、「罪と罰」の二人よりも深い。)

 

古い思い出 1877.1 ・・・ 1845年、「貧しい人々」を書いたころの思い出。モスクワの文学青年サークルはいろいろとつながっていた。ドスト氏もネクラーソフもベrンスキーも若かった。そのネクラーソフは

新しいゴーゴリが現われましたよ!」とネクラーソフは『貧しき人々』を持って、彼の家へ入って行きながら叫んだ

その評にベリンスキーも同意したというのだが、彼らは「貧しい人々」の仕掛けを見抜いたのかしら。次作の「分身(二重人格)」を期待外れとしたので、ドスト氏の意図は分らなかったのかも。ベリンスキーはドスト氏に

あなたは芸術家として真実を啓示され、告知されたのです、天賦として与えられたのです

と励ます。その言葉はドストエフスキーを感激させたらしく、1876年になっても忘れていない。この言葉にふさわしい作家であり作品を書いたかと自問自答している。それは美しい話。おれが連想したのは、このベリンスキーの言葉は「罪と罰」のポルフィーリィの言葉、「あなたは空気をいれかえなさい、苦しみはいいものです。」「神が生を用意してくださった」に対応していること。ギフテッドであることを示して、自分で矯正し向上することを期待したのではないか(それはポルフィーリィの所属する警察の論理にはそむく)。

 

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