odd_hatchの読書ノート

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レイモンド・T・ボンド 編「暗号ミステリ傑作選」(創元推理文庫)

 1947年に編まれた暗号を主題にするミステリのアンソロジー。下にも書いたように、テクノロジーの発達は暗号を機智で解くことを不可能にしてしまった。本書は、ポーやドイルのような暗号小説の幸福な時代だったころを思い出すよすがになる。


序 レイモンド・T・ボンド
1 文字合わせ錠 (R・オースチン・フリーマン)(The Puzzle Lock) ・・・ 窃盗団の追跡で発見した奇妙な文書を解読。金庫をあける鍵をみつけようというもの。さて、後半でソーンダイク博士は金庫に閉じ込められる。うーん、サンダーバードパタリロにも同じシチュエーションがあったな。というわけで、そういう物語の起源になりそうな話。

2 大暗号 (M・D・ポースト)(The Great Chipher) ・・・ 初読のときは「このおちは、なんじゃこら」だった。再読したら、これはポオ「蛾」と19世紀冒険小説のアマルガムなのだ、と気づいた。ハガードあたりの世界にミステリー風味を利かせるというのが新基軸。

3 救いの天使 (E・C・ベントリー)(The Ministering Angel) ・・・ 瀕死の男が悪妻に隠れて遺言書を残そうとした。暗号が残されている場所が普通でない。文書でもないし、身につけた宝飾品でもない。ではどこにあったのか。探偵の観察眼が試された一編。

4 トマス僧院長の宝 (M・R・ジェイムズ)(The Treasure of Abbot Thomas) ・・・ 修道院に隠された文書と画像から秘宝を発見するまで。途中からホラーに変わる。どこかで読んだことがあるなあ、と思ったら、荒俣宏「レックス・ムンディ」とかインディー・ジョーンズのどれか。それに、発端はレンヌ・ル・シャトーだし、後半はツタンカーメン王の呪につながる(たぶんM.R.ジェームズが先)。というわけで、これらの物語の起源にあたりそうな小説だった。

5 QL 696・C9 (アントニー・バウチャー)(OL 696.C9) ・・・ ころは第2次大戦前か最中。FBIに協力する図書館長が殺害される。事件をまかされた警部補は場末の酒場ののん兵衛に事件の解決を依頼する。というわけで、隅の老人の後継者であり、都筑道夫の酔っ払い探偵の先祖である。

6 ミカエルの鍵 (エルザ・バーカー)(The Key in Michael) ・・・ ロシア革命でパリに亡命した貴族が残した暗号。ヒルトン「鎧なき騎士」の後日譚だな、これは。

7 キャロウェイの暗号 (O・ヘンリー)(Calloway's Code) ・・・ 日露戦争のスクープ合戦の模様。検閲されるので真実を伝えられない記者はどうしたか。誰が書いたか忘れたが、電話が混線して単語しか聞こえなかったところ、彼のフィアンセが文章にしたという話を思い出した(昭和30年代のサラリーマンものの大衆小説)。戦闘国以外で書かれた日露戦争を舞台にした小説というのは珍しい。

8 比類なき暗号の秘密 (F・A・M・ウェブスター)(The Secret of the Singular Cipher)

9 龍頭の秘密の学究的解明 (ドロシー・L・セイヤーズ)(The Learned Adventure of the Dragon's Head) ・・・ 古書店で見つけた17世紀の古文書。そこから宝探しの旅が始まる。ポオ「黄金虫」の再話、でもイギリスの田園に限られているので、冒険小説の楽しみは消える。その代わりにあるのが、イギリス文学の格調高く重厚な文体。

10 恐喝団の暗号書 (ハーヴィ・オヒギンズ)(The Blackmailers) ・・・ 探偵募集に応募した16歳の少年。大人の探偵世界に飛び込んで、恐喝団の端っこの捕り物に参加する。社会に入ろうとする少年の初々しさと背伸びした意欲が印象的。

11 屑屋お払い (マージェリー・アリンガム)(The White Elephant) ・・・ こちらも窃盗団の暗躍を見破る探偵の活動を記録した物語。なぜかそこにはいない人の名前を呼びかける婦人がそこここで気になる。

12 ヒヤシンス伯父さん (アルフレッド・ノイズ)(Uncle Hyacinth) ・・・ 第1次世界大戦中。アルゼンチンでスパイ活動をしていた男が客船で祖国に戻ろうとしたが、その船にはUボートの撃沈命令が発令されていた。あわてるスパイ、暗号を入手したイギリス人船長の機転と彼の仕掛けたコン・ゲーム。皮肉でスパイスの効いたコメディ・ミステリー。

13 盗まれたクリスマス・プレゼント (リリアン・デ・ラ・トーレ)(The Stolen Christmas Box) ・・・ サミュエル・ジョンソン博士(なぜこの人が高名なのかよくわからなかったが、18世紀に個人の編集で英語辞書を作り、その定義が独特であった---初版のころの明解辞書みたいなもの---であったこと、面白いエピソードを持つ愉快な人物であったということ)の登場する歴史ミステリ。クリスマスの夜に娘が見つけていたダイヤモンドが盗まれる。いくつかの暗号が見つかり、それはどうやら盗難事件の準備であったらしい。語学の大家ジョンソン博士が暗号と謎を解く。


 現実世界のコードを解析するやり方の暗号はとてつもなく複雑になって、専門家と電子計算機(あえて死語で語る)がなければ解けなくなってしまった。それは第2次世界大戦中に、敵国の暗号を解析しようと軍隊がやっきになって研究したためなのだが、おかげでポオ「黄金虫」、ドイル「踊る人形」のような古典的な暗号小説は姿を消してしまった。こういうタイプの暗号小説はもうなくて、せいぜいストーリーに花を添える一点景になってしまった。暗号は発信者と受信者がいて、その関係がわからないようにするためにある。となると、暗号が出てくるとなると、誰かと誰かの共謀ということになり、暗号を解く複雑な鍵を準備できる組織となると限られることになって、リアリズムのミステリーには居心地が悪い。残っているフィールドは、時代をさかのぼった歴史ミステリーか、発信者はいるが受信者を特定できないダイイング・メッセージくらいでしかなく、そこには乱歩の分類した暗号方法はほとんど現れず、寓意法による謎掛けだけとなる。
 この世界の事象は神の意志の表れに他ならず、そこには何らかのメッセージがあるのだ、という思想の持ち主には、世界には解けないメッセージが満ち溢れ、暗号を解くことが重要、ということになるのだ。そうだよね、クィーンさん。

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