odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」(ハヤカワ文庫) 正義や悪の問題にふれないマーロウは快不快で行動するので、感情移入や共感もできない。

 21世紀になって別の訳者による翻訳がでたが、自分には懐かしさもあるので、清水俊二訳を読む。こちらは全訳ではなく、一部省略された抄訳だとのこと。

 マーロウはバーで酔っ払いのテリー・レノックスと出会う。見捨てておけなくて世話をしてやったら、奥さんを殺してメキシコに逃亡してしまった。メキシコ逃亡のほう助をしたという容疑で、警察の尋問を受けたが、のらりくらりとかわす。帰宅すると分厚い手紙が届いていて、自分がやったという告白の手紙と5千ドルの紙幣が入っていた。
 しばらくしたら、ニューヨークの出版エージェントの依頼で、アルコール中毒の作家ロジャー・ウェイドの面倒を見てくれと頼まれた。その依頼は受けなかったが、作家の世話を焼きはした。禁酒すると抑鬱になり、飲みだすとべろべろになるまでとまらない。一時行方不明になったが、麻薬をだすもぐりの治療院に隠れていた。探し出して連れ戻したが、書けないと泣き言を言って、自殺してしまった。この奥さんはバーで初めて見たとき「夢の女(dreame woman)」と思ったくらいの美人。過去の経歴は不明。
 テリー・レノックスの妻シルヴィアは、ハーラン・ポッターというミリオネラー(百万長者)で、マスコミに手を打って事件をもみ消すことのできるほどの有力者の娘。これまでにシルヴィアは5人と結婚離婚を繰り返してきた。シルヴィアの姉リンダはお堅い医師エドワードを結婚しているが、家庭は冷え切っていて、独り者のマーロウを誘惑する。そのうえ、テリーの友人と称するギャングのボスやカジの経営者が現れ、テリーのことをほじくるなと警告する。1940年代、ヨーロッパ戦線に従軍したときの戦友で、テリーは敵の砲撃で顔に傷をつけたという。
 テリーの失踪から自殺、ウェイドの自殺と二つの事件に深く関係したので、マーロウは警察に疑われ、あるいはギャングの用心棒やシルヴィアのハウスキーパーにつけ狙われる。誰の依頼でもないのに(まあ、テリーから5千ドルの紙幣を受け取っているが)、マーロウは事件に介入する。
 1953年初出の最後から二番目の大長編は、作者の代表的傑作ということになっている。それがおおかたの評価であるとすると、自分はこの作家とは相性がよくない。ストーリーが緊密でない(テリー・レノックスの話が早々にかたがつく。ロジャー・ウェイドの話につながるのがそうとうあとになってから)とか、プロットが冗長である(もぐり医師3人の捜査を長く書くとか)、よく言われる欠点がそのまま当てはまる。細部の描写を楽しむのもつらく、後半に頻出する格言(「ギムレットにはまだ早すぎる」「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」)もさほど思想があるとは思えない。それにここには正義と悪の問題も希薄。マーロウの行動原理が快不快にあるので、感情移入や共感もできなかった。
 いくつか。
・テリー・レノックスは1940年前後に召集されて、ヨーロッパ戦線に赴いている。そのときの経験がいま(1953年)につながっていて、彼の成功と失敗を生み出してる。1953年はまだまだ「戦後」問題の渦中にあったのだね。
・ロジャー・ウェイドはアルコール中毒のベストセラー作家。書き物は常に大作で、出版されるとベストセラー。でも内容にはまったく自信がなく、書くことも苦痛になっている。そのためアルコールに耽溺し、麻薬におぼれる(アルコール中毒治療で麻薬を投与されたのが原因のようだが)。地に足のついていないインテリの弱さを描いている。このシーンでメイラー「鹿の園」を思い出した(アルコール耽溺の映画監督が登場)。発表もほぼ同時期。この作家の「書けない」病は多くの作家にあるらしいが、発表時期からどうしてもマッカーシズムで書くことが不自由になったことを連想する。書きたいことがあっても書けない(身に危険が及ぶ)、書かないうちに書きたいことがなくなる。しかし転職もできず書くことに執着しないといけない。そういう作家の苦しみ。人によってはロジャー・ウェイドにダシール・ハメットを重ねるという。そこまで言えるかどうかはよくわからない。
・この長編の前には、チャンドラーは小説を書かないでハリウッドにいって脚本を書いていた。有名なのはヒッチコックの「見知らぬ乗客」。このコンビは一回限りで終わったらしい。ロジャー・ウェイドの描写は自身の体験を反映しているのかもしれない。
・この小説では正義や悪の問題にふれることが少ない。ハメットのような社会悪は登場しないし(ギャングたちの抗争が背後にあるようだが、マーロウはそこには入らない)、マクドナルドのような神話的な「悪」を指摘することもない(ハーラン・ポッターが「父」の位置にいるが、その影響力は小さい)。そうすると、マーロウの困惑は友情とビジネスの義理の確執ということになるのか。なるほどマーロウは友情を選んで、不利益になることを厭わない(暴力を受けるとか、無報酬の活動をするとか、多くの関係者から嫌われるとか)。このような行為にはリスペクトを感じても、その選択に至る心情がよくわからないのだよな。彼の皮肉や投げやりな態度、女性への振幅の激しい対応(人によって嫌悪をあらわにし、あるいはキスをせまる)など、気に障ることが多いし。

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