odd_hatchの読書ノート

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筒井康隆「全集17」(新潮社)-1975-76年の短編「メタモルフォセス群島」「バブリング創世記」

 1975-76年の短編。このあたりの作品はさまざまな出版社の原稿の取り合いがあったのか、複数の文庫に収録されている。「メタモルフォセス群島(新潮文庫)」「バブリング創世記 (徳間文庫) 」など。


メタモルフォセス群島 1975.02 ・・・ 核実験が繰り返されて人の住まなくなった南太平洋の島。そのエコシステムが奇怪なものになっているということになり、学者2名が派遣される。そこでは異種交配はおろか、異目交配があり、なんと植物と動物の交配とも寄生ともいえない不可思議な生物が生まれている。学者たちの困惑。初読でびっくりしたのは、生態学分類学のきわめて正確な描写がエンターテインメントになっていること。なるほど同時期に「私説博物誌」が書かれて学問への関心と探究は進んでいたとはいえ、こんなハイブリッド小説ができるとは。のちの「ポルノ惑星のサルモネラ星人」とあわせて、博物学趣味を持つ者は熟読玩味(あと「関節話法」「顔面崩壊」もあわせて。オールディス「地球の長い午後」も)。そのうえで「キングコング」1933年や「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」1960年の換骨奪胎であり、さまざまな生物の交配が言葉の交配でもあること(「虚航船団」の文房具とイタチのあいの子の遥かな先駆)を確認し、楽しむ。傑作。

定年食 1975.02 ・・・ 昭和ヒト桁(生まれ)の55歳の定年の日。家族に寿がれ、久しぶりに手に入った二級酒を飲む。皆で「かにばるのならいめでたや」と歌う。映画「ソイレントグリーン」とか、アンデスの聖餐事件があったなあ。資源の枯渇、人口爆発が恐れられていたとか、経済の失速もこのころだったなあ、とか。

走る取的 1975.04 ・・・ 地方のバーで取的をバカにしたら。ヒッチコックの「鳥」だな。肥満に見える巨体がユーモラスで不気味。アメリカにはこうやってプロレスラーにちょっかいを出して、やりこめられた素人がたくさんいるそうな。

こちら一の谷 1975.07 ・・・ 一の谷の合戦をきちんと考証して書こうとするのだが、決定的なものがないので、正確であろうとするほどドタバタに。そのうえ現在が闖入して、ますますハチャメチャに。「追い討ちされた日」参照。

母親さがし 1975.07 ・・・ 久しぶりに大阪に帰阪した男、弟のアパートに6歳の「弟」を見つけ、おふくろのもとに返そうと悪戦苦闘。会話のみ。

特別室 1975.08 ・・・ 一泊百万円(現在価格だと3-5倍)の特別室に泊まる。専用のバー、宿泊者の講演、喧嘩、美女。ブニュエルブルジョワジーの秘かな愉しみ」みたい。ホテルは作者の偏愛する場所。「国境線は遠かった」「富豪刑事」「フェミニズム殺人事件」「残像に口紅を」「遠い座敷」あたり。

老境のターザン 1975.09 ・・・ もしもターザンが年を取って意地悪くなったら。作者の小説で「老い」がテーマになった最初?

平行世界 1975.10 ・・・ 平行世界の俺が無数にいる世界(という「世界」とはなんなんだ)。俺のところに250だか260だかうえの俺がやってくる。こういうときに、世界の不思議さに興味を持たず、「俺」という自我の多層性に興味を持つのが作者のつくるキャラクター。

毟りあい 1975.10 ・・・ 帰宅したサラリーマンがみたのは、脱獄囚が自分の妻と子供を人質に家に立てこもっていること。警察やマスコミの無礼な態度に激怒した「おれ」は脱獄囚の妻の家に行き、妻と子供を人質にして立てこもる。被害者を強要する加害者と社会に対して自分を優位にするためには自らを加害者に根源的に転換しなければならない。というわけで、二人の立てこもり犯が「毟りあい」を始める。「蜃気楼」という昔の短編が似たシチュエーションだったか。「三菱銀行人質事件」1979年より先に書かれていたのか。まあ、金嬉老事件ほか人質をとって立てこもる事件が相次ぎ、対処法は1990年以降に劇的に変化した。

案内人 1975.11 ・・・ 日本の観光地に飽きた「おれ」がどうってことない田舎で「源さん」を案内人に雇う。日本の観光地はどこも同じ、観光地のパロディであるという冒頭の認識が読者にすりこまれていてこその強烈なオチ。かつては「東海道」「ベトナム」「新宿騒乱」「農協観光」など意外なものを観光にしてきて作者がそろそろ虚構を観光するようになったころ。ここから「遠い座敷」「ヨッパ谷への降下」まではわずかな差しかない。

バブリング創世記 1976.02 ・・・ 聖書にある系図のパロディ。この活字を拾った職人と校正した編集者に脱帽。全編を暗唱した猛者のファンがいるとか。音の変異する面白さ。ここから「残像に口紅を」まではわ(略

蟹甲痒 1976.04 ・・・ クレール星植民者におきた伝染病の記録。タイトルは小林多喜二のもじりだろうし、奇怪な伝染病の記録は「顔面崩壊」につながる。呆けた末の多幸感は作者がまだ壮年だったからだろう。

鍵 1976.05 ・・・ 今は成功したライターが疲労困憊のなか、使っていない鍵を見つける。その鍵の思い出がよみがえり、その鍵を開けると、そこに別の鍵があり、さらに思い出がよみがえる。そしてポイント・オブ・ノーリターン、事象の地平線に到達しようとする。そこから逃れられない。「鍵」は抑圧を開けるメタファー。オブセッションや恐怖など押込めていたもの、封印されていたものを開けること、すなわち自己自身と向かい合うことの恐怖。自分もときに、長らく帰っていない部屋を退去しなければならないという恐怖の夢を見ることがあるので、この一編は心底恐ろしい。

問題外科 1976.06 ・・・ インターンを終えて役付になった若い医者。夜間のオペに向かう。この10数年あとにこの国でもスプラッター小説が出るようになったが、先にこっちを読んでいたので、大したことはなかったね(と強がりを言う。今は痛みに弱くなったので、ちゃんと読めませんでした)。このころは日本医師会の政治への影響力が強くて、医師の高収入が問題になっていたものでした。


 どれもエンターテインメントであるし、そこに言語や虚構の実験が行われていて、多様な読み方のできる短編が集まっている。サマリーでは系譜や共時性に注目してみたけど、この短編集に共通することに、グロテスクイメージや暴力性がある。微細で解剖学的な身体描写だし、過激な暴力だし、スカトロやゲテモノ食いなどのバッドテイスト趣味だし。なるほど西欧ではバッドテイスト趣味の芸術(というか表現)が出てきたころだったなあ(映画で言うと「ソドムの市」「最後の晩餐」「ピンク・フラミンゴ」あたり。ポルノの「ディープスロート」「グリーンドア」とか。ペキンパーヤシーゲルの暴力描写とか)。そういう運動と同調するかのように、グロテスクイメージや暴力描写を行っている。登場人物がスラップスティック・コメディにふさわしいものばかりで、そのうえ軽妙な文章もあって、笑いに問っている。でも中身は過激。発表年代をみてびっくりする。