odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

フィリップ・K・ディック「死の迷宮」(サンリオSF文庫)

 さまざまな技能士言語学者、経済学者、神学者、医師、物理学者、写真家、心理学者、海洋生物学者社会学者、コンピューター技師)たちが選ばれて植民惑星デルマクーO(オー)に派遣される。片道燃料だけを搭載した飛行機で到着した。技能士たちは全部で14人。しかし、そこにはデルマクーOでの任務を知っているものは誰もいない。
 ここには彼らを監視する人工昆虫が放たれ、テンチと呼ばれる未来を予言し、さまざまな複製品を生み出す生物が生息している(これはPKDのおなじみの動物)。巨大な動く建物が現れ、そこには多数の入り口があるが、人によってドアのメッセージが異なる。そのうえ、<フォーム・デストロイヤー><ウォーカー・オン・アース><インターセッサー><メンチュファクチュラー>の神が現れ、彼らに謎めいた言葉を残していく。その<神>は多数の前にはあらわれず、ひとりの時にしかでてこない。スペクトスキーの描いた「ザ・ブック」が理解のための手がかり。

 さて、技能士たち14人はやることもなく、おしゃべりし、自分の関心を語る。通常、こういう「無人島」に放置されると、共同や協働が生まれるものだが(たとえば、スタニスワフ・レム「砂漠の惑星」(ハヤカワ文庫))、彼らはけんかやののしりあいを繰り返す。通信機が故意に破壊され、一番最近到着したばかりの技能士が一人になったところを殺される。続けて、一人、また一人と殺される。遺留品をテンチにみせると、理解しがたいお告げが帰ってくる。次第に、疑心暗鬼になり、リーダーを選定して事にあたろうにも、それぞれが勝手に動いているので、被害者は増えていく。ついに14人が7人になる。われわれは心理実験の被験者にされた社会不適応者なのではないか(「死の迷宮に追い込まれたネズミ」だと認識するところからタイトルがつけられた)。死者にはいずれも刺青があり、コンピューターに聞いても情報がない言葉がある。それをテンチに見せたとき、惑星が崩壊していく・・・
 SFミステリー仕立てで、限界状況にさらされたグループの脱出アクション。といいたいところだが、PKDが書くとジャンルからはみ出ていく。ミステリーみたいな状況と展開ではあっても、それぞれトラウマや心的障害を抱えた人たちが衝動的、突発的に殺害しているだけだし、「本部」との通信が途絶している状況から本気で脱出する計画は立てられない。なにより彼らは協力して集団にことにあたる民主主義を実行できないのだ。その点では、「アルファ系衛星の氏族たち」精神疾患の氏族(クラン)たちが混乱して動転している話の続き。インテリではあるが、問題行動を起こし、敵意を向けている技能士たちは氏族たちにそっくり。(東野圭吾「パラドックス13」講談社文庫がこの長編のような感じ)
 ここでは二点に注目。「建物」と呼ばれるきみょうな施設がある。彼らはこの建物に興味を持つ。複数人が同時に到達するが、入り口は各人別々に設けられる。他人に見える入口はほかの人には見えない。入口のメッセージも各人に違う。それぞれの技能士の欲望に応えるように、彼らが見たがる自画像を見せている。建物の「正体」はけっきょくわからず、彼らには不可知のまま。実存とか存在とかをみるときに、自分の欲望を反映させてしまう我々読者の自己認識の暗喩かしら。
 もうひとつは奇妙な神学。まえがきによると「神は実在する」という著者の仮説に基づいた抽象的で論理的な宗教体系を編み出そうとして、何人かの協力者といっしょに作ったものだとのこと。通常神は存在を超越したもので、われわれの認識の前には表れないものだが、「実在」し顕現するというのがこの「宗教」の奇妙なところ。その神々はときに現れ、お告げを残すがあまりに抽象的すぎて、技能士たちの問題解決には役立たない。でも、彼らは惑星デルマクーOで生存するとき、この宗教をよりどころにする。神々の顕現に立ち合い、お告げを聞くことが彼らの正気を保つほぼ唯一の手段になるから。ただ神々の顕現やお告げは、技能士たちの共有するところではないので、共同体の形成には役立たない。(それは「逆回りの世界」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」にでてくる宗教と同じ。これがのちの「ヴァリス」にまとまるのだろうな)。
 最後に、この世界の形式や成り立ちはひっくり返される。この地と図の反転は面白い(とはいえ「虚空の眼」という先行作があるのだが)。
 PKDの他の長編のような破天荒さや展開のねじまげはない。SFミステリー仕立て、脱出劇仕立てなので、わかりやすい、とっつきやすい。そのかわりPKD「らしさ」は薄い。本人も

「何か新しいものを生み出そうとする、ほんとうにせっぱつまった試みだった。だが、できあがったものは新しいどころじゃない。多視点の手法を使って、またもやおなじみの題材を扱っているし、現実対非現実という、認識論的なテーマが中心になっている。それまでの私の在庫の最後の一冊だよ」

と評価は芳しくない(「ザップ・ガン(P367)」所収のインタビュー)。
 1968年10月31日完成原稿SMLA受理、1970年出版。

  


参考
アーシュラ・ル・グィンの短編「船内通話機」が、意思疎通のできない乗組員という点で似ている。
アーシュラ・ル・グィン「コンパス・ローズ」(サンリオSF文庫