筋のつじつまはあわないし、盛り上がりを乗り越えて一息つくところで容赦なくぶった切り、突然新たな人物が現れて別の話を始める。物語冒頭の設定は忘れられて、数十ページを過ぎて現れた時には別の意味をもたされている。およそ近代的な物語ではないのだが、しかしページを繰る手は止まらない。なんとも不思議な小説世界。
諏訪の鏡家にどこからともなく子供が現われ失神する。これこそ夭逝した息子の生き代わりと養子にした。子供でありながら大人を打ち負かす剣の使い手であり、気力胆力ともに並みの人間をはるかに超えている。長じて葉之助と名乗り主君内藤家につかえるようになると、妖怪退治を命じられる。行った先でわかったのは、水狐族という教団が諏訪湖に沈んだ石棺を護ろうとしていること。それを奪取したい殿様が狙われているのだった。白法師なる老人に出会い、葉之助の因果を教え、「実の父を殺す」呪いがあるという。白法師の指示通り、宗介槍で水狐族の長を斃すも、「未来永劫死なない」「年を取らない」呪いをかけられる。そのうえ人を切る体験が忘れらず夜な夜な路地をさまよう人切りにもなる。さて、江戸に出仕することになる。内藤家には主君を乗っ取るという陰謀があり、敵は妖術を使うようだ。葉之助は調べを進めるが、陰謀にかかってとらわれになり生き埋めにされてしまう。どうにか逃げ出して横穴を進むと、道場にでるが、そこでは邪教の宗徒が淫靡な集まり。葉之助を殺せの命令で切りかけられるのを逃れると、今度は熊や狼が葉之助を襲う・・・
実は葉之助には平安時代の因果がある。キリスト教(えっ!)の教えを守る武家に、宗介と夏彦の兄弟がいさかいを起こしていた。宗介の許嫁は実は夏彦を愛している。夏彦を滅ぼした宗介を待っていたのは許嫁の死骸。世を呪った宗介は世を恨む人間を集めて、集団で隠遁する。それから千年もたち、集団は窩人族として残っていたが、ある行商人によって宗介の黄金の甲冑が盗まれる。以来、窩人族は甲冑の行方を追っていた。一方、行商人と駆け落ちした娘は裏切られて男の子を産む。恨みを晴らせと子供に歯形を残し、病死した。幼子は自然児として育ったが、あるとき諏訪鏡家に紛れ込んでしまう。
なにをいってるかわからないと思うが、俺もなにをいっているのかわからねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・ と嘆きたくなるほどに、物語はどんどん転がっていく。上のサマリーもいろいろなことを漏らしているので、筋だけ取り上げると支離滅裂になってしまうのだ。
(ラストシーンの江戸の混乱ぶりは、のちの都筑道夫「幽鬼伝」(大陸文庫)に継承された。都筑道夫はきちんと平仄を合わせて、雄大なシーンにすることができた。)
いったい、国枝史郎という人はクライマックスだけを書く人であり、これまでの状況を整理し情報を集めるダレ場を書かない。剣劇やアタック・アンド・エスケープの刺激的な場面を書くと、わずかな濡れ場を挟んで、別の話を始めてしまう。読者からすると、予告編だけを読んでいるようなものでどれが本筋かかわらない。それなのに、細部の迫力はすさまじく、およそ現実に存在するとは思えないハイテンションの人物の饒舌は読んで飽きない。そこに惹かれるのだが、巻を閉じると一体何を読んだのかさっぱり覚えていない。なんともやっかいな作家。
おそらく作家の意図は、白法師vs黒法師、窩人族vs水狐族、人間vs超自然的存在のように、世界における善と悪の対立、個人に課せられる業への闘い、それらを超越する手段や人生の目的として慈愛を描くことにあるはず。この長編にも端々にでてくる。あいにく、それらを仮託する人物や集団を描くまで筆が届かなかった。
こういうモチーフは伝奇小説には珍しい(というか他の例を知らない)。キリスト教道徳に共感するとか、西洋ゴシックロマンスのシンボルをだすとか、日本のエスニシティに収斂するような趣味や感覚だけではない作家だ。それは作家の活躍時期の1910年代から50年代をみるときわめて例外的。そこがこの作家を特異にしているところ。同時代の伝奇小説家の吉川英治や山本周五郎とか角田喜久雄とかにはないので、俺は興味や関心を持続できている。
1924-26年に雑誌連載。作家にしては珍しく「完」で結ぶことができた長編。
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