odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

アントニイ・バークリー「ピカデリーの殺人」(創元推理文庫)

 文庫のサマリーから。

「<ピカデリー・パレス・ホテル>のラウンジで休んでいたチタウィック氏は、目の前で話し合っている二人連れにいつとはなしに注目していた。年配の女性と若い赤毛の男。とそのうちに、男の手が老婦人のカップの上で妙な動きをするのが目にとまった。しばらく席をはずして戻ってみると男の姿はなく、婦人はいびきをかいて寝ているではないか。異常を感じた彼は、やがて死体の第一発見者にして、殺人行為の目撃者になっていた。氏の証言から、容疑者はただちに逮捕される。疑問の余地のない単純明快な事件と思えたが・・・」

 思えなくなったのは、容疑者の妻とその一族からチタウィック氏から再調査をお願いされたため。というのも、若い赤毛の男は殺された老婦人の甥であり、公爵夫人でもある老婦人の遺産の受け取り手であるから。もともと氏は証人として関係者にあわないつもりでいたが、公爵家は手を使って呼び寄せ、ついには容疑者の若い妻直々のお願い(ネグリジェがしだいにはだけるという当時としては最高にエロティックな描写)にチタウィック氏は折れたのである。そこから氏は容疑者の妻や甥などといっしょに自分の目撃したことを再チェックするのであった(これを警察は察知しながら黙認していたが、いいのかね)。
 そこでチタウィック氏はラウンジにいた人たちの証言を集めるのかと思いきや、そんなことはせず、自分の記憶を再検証することに費やす。すなわち、赤毛の男から長いこと怒りの目で睨まれていた。カップの上での妙な動きのあと、ウェイトレス(ママ)から電話があったといわれて席を外した。鏡に赤毛の男が映っていた。電話はかかっていなかった。ウェイトレスはある部屋の宿泊客にそっくりだったからと言い訳した。そうしたできごとから不審をみつける。たとえば、妙な動きから老婦人の死まで20分も空いていたが、通常青酸カリは即効性である。老婦人は手に薬瓶をもっていて、容疑者の指紋が残っていた。
 記述の大半は、チタウィック氏と容疑者の甥や妻との会話。時に氏はでかけることもあるが、イギリス紳士である氏は礼儀正しく(しかし策略をもって)接するので、騒ぎは起こらない。暴力沙汰もなければ、エロスの誘惑もない。たんたんとした筆致で、ラウンジの20分ほどのできごとを繰り返し考える。そのうちに、チタウィック氏は騒がしいラウンジで人目をひかずにいろいろなことができる状況を思いつく(それは当時のイギリスのウェイトレスは受け持ちのテーブルを持っていて、それ以外の接客はめったなことではやらないという習慣が前提)。ああ、なるほど公爵夫人や軍人士官、ブルジョアなどが出入りするラウンジはそれ自体が閉鎖された空間。外部の出入りを考えることもないような場所だった(なので、ブラウン神父と同じ発想ができたときに、出入りの可能性を発見する)。
 「毒入りチョコレート殺人事件」でもそうだったが、チタウィック氏は犯罪の関係者の心理を探ることに熱中する。その結果、警察の捜査を一顧だにしないし、関係者の証言をとることもしない。あくまで観察と論理にこだわる。その結果、物証なしの解釈ゲームにふける。これは英国の長編探偵小説によくみられる傾向。知的遊戯にこだわる(そこがウィトゲンシュタインが好んだ理由かな)が、正義や法治をわきに置く。この無責任さ、無頓着なところが最近は気になってあまりたのしめなかった。
 事件の絵は、いろいろな思惑が絡みあって複雑になった。この図は同時代のクリスティの長編に出てきたものに似ている。でもバークリーの書き方のほうが達者。たぶん作者の批判精神や論理のこねくり回しという手法があっていたから。でも数年後にクリスティは新しい書き方をみつけ(「ABC殺人事件」「オリエント急行の殺人」など)、バークリーの古いやり方を追い越してしまった。クリスティの才能のすごさだね。
 1930年初出。