odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ブリジット・オベール「マーチ博士の四人の息子」(ハヤカワ文庫) 殺人者の手記を読んだメイドはサイコパスを探し出そうとするが、その手記をサイコパスも読んでいた。恐怖と共犯の歪んだ関係。

 タイトル「マーチ博士の四人の息子」は、日本では「若草物語」で知られるオールコット「マーチ博士の四人の娘」のパロディだという。この少女小説のタイトルを借用しているのであれば、息子の確執が語られるのではないか。読書前の予断をメモ。

医者のマーチ博士の広壮な館に住み込むメイドのジニーは、ある日大変な日記を発見した。書き手は生まれながらの殺人狂で、幼い頃から快楽のための殺人を繰り返してきたと告白していた。そして自分はマーチ博士の4人の息子―クラーク、ジャック、マーク、スターク―の中の一人であり、殺人の衝動は強まるばかりであると。『悪童日記』のアゴタ・クリストフが絶賛したフランスの新星オベールのトリッキーなデビュー作。
https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/61301.html

 誰が殺人者であるのかわからないのであれば、ふだんの言動から殺人者にふさわしいなにかが見つかるのではないか。それを隠れて観察するにはふさわしいメイドが描くであろう。この趣向はパット・マガー「七人のおば」に先行例があるが、そのリプライであるのではないか。
 という思い込みはスカされる。というのは、われわれに「マーチ博士の四人の息子」のタイトルで送られた書物には、メイドのジニーと殺人者の手記が交互に記されているから。そこでは4人の息子の言動はほとんど語られない。18歳の青年たちの行動には特異なところが見えない。それに父のマーチ博士もほとんど登場しない。書かれているのは、殺人者の手記(サイコパス風な猟奇趣味と過去の自慢)と、それを読んで怯えるジニーの内面。通常であれば、殺人者の手記を博士や警察に持ち出せば「事件」になるだろうが、あいにくジニーは過去に何かをしでかしたらしく、警察にいくことができない。それに恐怖が増して彼女の酒量はどんどん増えていく。ウィスキーだったのが、ジンになり、しだいに仕事に差し支えるようになっていく。このように殺人者は自分の存在を隠蔽し、ジニーはアルコールの多飲で正常な判断を失っていく。
 ではこのような事態にどのような「真実」がありうるか。自分は3つの解決案を用意した。自分の創意ということはなく、過去に読んだミステリの同趣向のものがあったのを思い出しただけ(秘密のノートには書いておくが、公表はしない)。なので、ラストの謎解きで「やられた」という感はなかった。むしろもっともファンタスティックな解決だったところを残念に思った。
(手記をなぜ一人称で書くかということは重大な問題。夢野久作「ドグラ・マグラ」都筑道夫「誘拐作戦」筒井康隆「ロートレック荘事件」ジャブリゾ「シンデレラの罠」ヘレン・マクロイ「ひとりで歩く女」 など。その意図自体に別の意味があるのだ。それに一人称は語り手は真実を書いているという思い込みを生む。)
 それよりも、中盤から殺人者の手記をジニーが読んでいることが分かり、その逆でもあることもわかり、彼らは手記に相手のことを書いたり、脅迫や警告の文書をやり取りするようになるのが気になった。互いに相手に忠告したり警告したり脅迫したりいきがったりする。やり取りの回数が増えるごとに、彼らは自分の心情を書くようになる。それが昔の文通による恋人のやり取りに見えてね。だんだんエロティックな関係に溺れていくような。明智小五郎と黒蜥蜴の関係を思い出した。それが俺に予断を生じる原因になったのだね。
 1992年刊行。解説でようやく思い至ったが作者は女性だった。殺人者の手記が一本調子で、ジニーの手記が多彩な文体と感情で書かれているのはそのせいかもしれない。

 

<参考エントリー> メイドが探偵になるミステリ。

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