odd_hatchの読書ノート

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アンブロズ・ビアズ「いのちの半ばに」(岩波文庫) 他人と大衆が嫌いなペシミストはバッドエンディングを夢想する

 本書は1891年にでた短編集から7編を集めたもの。解説には書いていないが、米版は増刷されるときに、収録作の入れ替えがあったようだ。「ふさわしい環境」には蓄音機が登場するので、1900年代ゼロ年代の作とわかる。
 ビアズは1842年生まれなので、年がいってからの作品。兵士の物語が南北戦争を舞台にしているのは、19世紀アメリカが対外戦争をほとんどしていなくて、南北戦争だけが誰もの記憶に残る体験であったからだろう。この厭人癖のある男は1914年にメキシコにわたりそのまま消息不明になった。しばらくは存命のうわさが繰り返し立ったという話を聞いたことがある。

空飛ぶ騎手 ・・・ 1861年南北戦争のころ、富裕な家の息子が北軍に志願した。父は南軍支持であった。息子が自宅近くで歩哨にたったとき、夢で立派な騎手をみた。目覚めるとまさにその騎手がいた。息子は銃を構える。任務に忠実であることの悲劇。

アウル・クリーク橋の一事件 ・・・ 北軍に捉えられた兵士が橋げたを使った絞首台で死刑になろうとしている。踏み板が落ちたとき、縄は切れ、彼は助かった。川を潜り、森を抜けて、家に帰る。そこには妻がいるはずだった。アンフェアな落ちであるが、このストーリーでは迫真的な効果をもたらした。

生死不明の男 ・・・ 北軍兵士が斥候に出ていてある家屋を調べているところに砲弾が命中する。がれきに埋まって身動きができなくなったが、銃弾を込めたライフルが自分の頭を狙っているのがわかった。小さな衝撃で発射するかもしれない。男は焦燥する。しかし・・・。

哲人パーカー・アダスン ・・・ 南軍にとらえられた北軍スパイのパーカー・アダスンは将軍の尋問に機知や冗談で返す。明日朝絞首刑になることが分かっているから動じることがない。しかし将軍が即座に銃殺を命じたと聞いて動転する。わめいたあげくに将軍につかみかかり、同席した高給副官も加わり、その上にテントが落ちる。三者三様の死の模様。サルトル「壁」の遥かな先駆。

人間と蛇 ・・・ スノッブのブレイトン氏が博物学者の家に泊まることになった。さて休もうとすると、ベッドの上で蛇が威嚇している。逃げるか、いや男らしくない、と撃退しようとしたら、体が動かなくなし、しかしどんどん蛇に近づいていく。もうじき、蛇はとびかかるに違いない、恐怖に身がすくむが、動きは止まらない・・・。

ふさわしい環境 ・・・ 少年がその部屋に忍び込んだとき、男が蝋燭の炎で何か読んでいた。少年は恐怖に襲われ逃げ出し、翌日そこに行くと見知らぬ男が死んでいた。手記に書かれた驚愕の真相・・・。(と煽ってみたが、いまいち落ちがよくわからない。たぶん、差別的な落ちだ。)

ふさがれた窓 ・・・ 老人の妻が死んだ。すべての感情をなくした老人は何も手につかない。その晩、恐ろしい音がして、何かが老人を襲うような気配がする。老人はライフルをぶっ放した。翌朝みたものは・・・。

 

 以下は青空文庫収録作

www.aozora.gr.jp


妖物(ダムドシング) ・・・ 開拓時代のアメリカ西部。不審な死を遂げた男の検死審問が行われる。死者の最後を見ていた記者は小説にした事件を読み上げ、「妖物ダムドシング(dammはくそったれとかバカもんとかの意味でつかわれる品の悪い罵倒語)」に襲われたとする。しかし検死官は猛獣によるものと断定した。北アメリカにはコヨーテと狼はいても、小説にでてくるような人間より大きな獣はいない。そこに猛獣を幻視するために科学的な仕掛け(ここでは人間に見えない化学線で説明)を持ち込む。ここが怪談の新しい型。このあとラブクラフトに継承された。また小説に書かれた死因を読者が納得するのは、死者による日記=告白があるため。死に望んで嘘はつかないというプロテスタントの教えが背景にある。ポーストの「大暗号」(レイモンド・T・ボンド 編「暗号ミステリ傑作選」(創元推理文庫))ににているかな。あと作者不明黒岩涙香訳の「怪の物(東雅夫編「ゴシック名訳集成」(学研M文庫))にも。岡本綺堂訳。

チカモーガ ・・・ タイトルのクリークの近くで、子供が地べたを這って進む死者の群れを幻視する。子供がその光景を見ても一言も発しないわけは・・・。南北戦争時代、こういう敗残兵や難民の姿は南部でよく見られたのだろう。

羊飼いハイタ ・・・ 幸福な羊飼いハイタが死に恐怖し人生の意義を懐疑すると、羊たちはみな憂鬱になった。そこに乙女が現れ、道を示そうとするが、ハイタが口を開くたびに乙女は消えてしまう。キリスト教教化の寓話。羊飼いはイエスのメタファーであり、転じて清浄な人、正しい人の意。彼が近代的自我に目覚めると、神は遠くに行ってしまう。

マカーガー峽谷の秘密 ・・・ 西部を冒険している男がマカーガー峡谷の廃屋で一夜をあかすことにした。しかしなぜか恐怖感にとらわれ、行ったことのないエディンバラの夢を見る。一年後、ある会席でその廃屋を知る人物から真相を聞く。ここでもある場所には怨念がこもっているという神智学的な説明がある。ほとんどエドワード・ブルワー=リットン「開巻驚奇 竜動鬼談(または「幽霊屋敷」)」。あいにくアメリカには白人の古い歴史はないので、ごく最近の事件で説明をつけるしかない。

 青空文庫収録の4編は怪奇小説。手練れの作。昭和の初めに西洋怪談が流行ったころには、ビアズの典型的な作品はわかりやすくて、受け入れられたのだろう。今読むと文体が軽いので、ちょっとね。こういうのを読むほどに、エドガー・A・ポーの短編が別格であると再確認する。

 

 同時代の作家はマーク・トウェインで、年下がオー・ヘンリーかな。この3人に共通しているのは、人嫌い・大衆嫌悪・ペシミズム。他人に辛辣、自分自身も好きではない。なので、「いのちの半ばに In The Midest of Life」のタイトルにあるように、誰もが生を全うせずに外部の力で死ぬことになる。非業の死か唐突な死か。似たような辛辣で他人に容赦ない作品を書いた作家にモーリス・ルヴェルがいるけど、彼はまだ恋愛や嫉妬のような人情の機敏に触れることができた。ともあれ後味の悪さでは、ビアズのものがダントツだ。
モーリス・ルヴェル「夜鳥」(創元推理文庫)-1
 俺の思い込みかもしれないが、1850年代の南北戦争から1945年のWW2終結までのアメリカ主流文学は、総じてペシミズムの色が濃い。メルヴィルより後のアメリカ文学はあまり読んでいないけど、ホーソン、ドライサー、スタインベックヘミングウェイフィッツジェラルド、H.ミラーなどからの妄想。まあミステリ、SFなどの娯楽小説はその限りではないが。ペシミズムが払しょくされるのは私見では1950年代になってから。フィリップ・ロスとかトマス・ピンチョンとか。この見立てはいいかげんすぎるか。
 戦争物では兵士の死を扱う。強制的に孤立化アトム化され、隣の人と交流を結ばないようにさせられる兵士はモッブ@アーレントの究極の姿。その死に人間的な意味を見ようとしても、不条理や残虐などを先に見てしまい、個々の人間への共感に向かわないのだなあ、と思った。いくつかの作品はビアズの少し前の作家ガルシンの書いた「四日間」によく似ている。19世紀半ばから戦場小説が生まれたのだ。
フセヴォールド・ガルシン「あかい花」(岩波文庫)

 

アンブロズ・ビアズ「いのちの半ばに」(岩波文庫

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