odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

森村誠一「ミッドウェイ」(講談社文庫) IFを重ねて歴史を捏造しようとしても日本海軍は勝てない

 1976年のジャック・スマイト監督の映画「ミッドウェイ」は、海戦・空戦のシーンになる後半になると、ドラマがなくなる。どうにかして戦争や戦闘の全体を伝えたいという意欲があるものの、カメラの眼は目前のシーンに注目してしまう。なにしろ、戦闘の帰趨を決めた米軍機による日本空母強襲はせいぜい数十分のできごとであり、たぶんに偶然性の高い一発の被弾で、空母の甲板が炎上爆破したとなると、将官の優柔不断も甲板でまつ兵士の閑と突然の戦闘へのとまどいと飛行機乗りの疲労などの人間ドラマの入る余地はない。

 本書で特に注目したのはミッドウェイ海戦の失敗であるが、どうやらすでに8か月前の真珠湾奇襲のときから始まっていたことであるらしい。貧乏国家がようやく集めた兵器を大事にして、日本海海戦のような艦隊決戦に固執したために、自らが起こしたイノベーションの重大さに気づかない。以後のプリンス・オブ・ウェールズの撃沈、珊瑚海海戦の勝利と失敗に学ばない。米軍の準備の整わないうちの電撃戦での連戦連勝は、海軍全体の士気を弛緩させ、基本的な行いをいいかげんにしたあげくに、準備不足でミッドウェイの海戦に突入する。一方、連戦連敗のアメリカは、戦略目的を明確にし、戦闘場所を指定し、人・物のリソースを十分に用意し、指示連絡体系を明確にし、戦闘方法の改良を行い訓練をして、士気を高めたのであった。「孫子」を読むまでもなく、戦闘以前に勝敗は決していたといってよい。しかも、戦闘による消耗をすぐさま取り戻し、数年を絶たずして日本海軍が十数年かけて手に入れたリソースを凌駕してしまったとなると、その後日本海軍が新しい戦術による海戦を一度もできなくなったのは当然すぎるのであった。
 というような日本海軍への悪口はいくらでも書けるのであるが、あいにく著者はその問題を整理することなく、その場で書いては捨てていくので、結局残るところはない。本書を書くにあたって膨大な資料の読み込みがあったとしれるが、事実の羅列だけであり、戦闘を鳥瞰する視点がないまま時間が過ぎたとなると、この海戦で記憶に残るのはほとんどないのだった。(実際、読後に脳裏に残るのは、最後の出撃隊を発艦させたあと、空母「飛竜」では艦船の搭乗員のために大きなぼたもちが配られたという一点だけだ。)
 この大状況を補完するものとして、開戦前に米国にいてスパイ容疑などから帰国したある女性をめぐり、立原道造の詩を愛好する兵士と、それをいたぶる上級生と、アメリカの兵士の四画関係が投げ込まれる。3人の男はいずれも飛行機乗りになり、ミッドウェイ海戦で同じ海域で飛行機を操縦するという奇縁になるが、互いが互いを認識するわけでもなく、すれ違いののち、いずれの思惑も成就しないまま無為の死を迎える。なるほど戦場のリアルとはそういうものであるが(アメリカの空母「ヨークタウン」は珊瑚海海戦のあと100日以上の無補給航海をしたために、物資不足となる。トイレットペーパーのかわりにスプーンが使われ洗浄ののちに食事に使われたとか、食堂の前に死体の一部が展示されて乗員の食欲を減退させたとか。一方、日本軍では上官による暴力とハラスメントの横行がお決まりであった)、大状況にはからまないとなると、邪魔なロマンスにすぎない。
 近代や現代の戦争を詳述しながら、個々人の動きを絡めたフィクションでは、F・ポール・ウィルソン「黒い風」(扶桑社文庫)奥泉光「グランド・ミステリー」(角川文庫)ノビコフ・プリボイ「バルチック艦隊の潰滅」(原書房)などを読んだが、「ミッドウェイ」は大状況と小状況の扱いでこれらに及ばない。
 ヒストリーチャンネルの番組にあった戦術・兵器・兵站・暗号解読などの検証ドキュメンタリーのほうがおもしろい。WW2以後の戦争は人間ドラマであるより、判断の失敗を学ぶケーススタディとしてとらえるほうが有益。