「〔ヒューゴー賞/ネビュラ賞受賞〕両性具有人の惑星、雪と氷に閉ざされたゲセンとの外交関係を結ぶべく派遣されたゲンリー・アイは、理解を絶する住民の心理、風俗、習慣等様々な困難にぶつかる。やがて彼は奇怪な陰謀の渦中へと……エキゾチックで豊かなイメージを秀抜なストーリイテリングで展開する傑作長篇」
1969年の作品というから、「ロカノンの世界」「辺境の惑星」「幻影の都市」に続く作品らしい。ここにおいて、ル・グィンの作品はファンタジーの文体、人物を一掃して、優れた「文学」として屹立することになった。ときとして薄っぺらい、皮相で、記号化された人物がいなくなり、作者が小説の世界に登場して何かの代弁をすることがなく語りに徹する。作中世界はリアリティをもって読者の身にしみ、主人公の冒険は読者の体験となり、読後に主人公と同じ自己の変容を見出すだろう。これは素晴らしい。
大状況は「ロカノンの世界」の延長上にある。主人公ゲンリー・アイは辺境の惑星を訪れ、エクーメンなる銀河連邦(という政治組織ではないのだが)に加盟させ、通商を開始する交渉を担当している。彼は一人で惑星を訪れ(複数人数ではカルチュラルショックが発生し、かつ侵略の意図をもつものと誤解されるため)、「国」の為政者との交渉を試みる。この設定だけでも、1960年代の民族学・文化人類学の反省が取り入れられ、「帝国」への批判がみられることに気づかされる。1950年代以前のマッチョなSFではこのような繊細な異文化との接触は描かれなかっただろう*1。このゲセンもまた興味深い世界で、惑星「冬」の名があるように楕円形軌道を取るこの国は長い冬と寒冷な気候を持ち、ほぼ曇天に覆われているために天文学の発達はまずない。そして他の科学や技術の発達が遅く、地球が300年かけた達成を30世紀かけてまだ到達していない。寒冷、生態系の単純さなどにより「冒険」「試み」は慎まれ、着実さをモットーとする。戦争は行われないが、国同士ないし民族の関係は融和的ではない。国民に対しては強制や服従を要求する。ときとして政治家の追放や秘密警察による収容所送致が行われる。このような閉鎖的にみられる世界、国家を宇宙規模の通商関係にどのように引き込むかが大きなテーマになる。もちろん、このような政治や道徳の違い、下記に述べる生物の特徴の違いをどのように乗り越えるかも問題になる。ついでにいうと、地球の科学技術の急速な変化と環境破壊に対する反省、「冬」の収容所群島という政治体制への批判なども考慮することになる。
中状況では、ゲンリー・アイが国家の駆け引きに遭遇し、強制収容所に閉じ込められ、そこから脱出し、上記の任務を遂行するまでが描かれる。ここではスパイ小説の主人公と同じように、歓待-疑惑-攻撃-危機-反撃という一連の冒険を行うことになる。軍事訓練を受けていないので、素人として事件に巻き込まれ、全容を把握できないまま、冒険に乗り出さざるを得ない。とりわけ印象深いのが、収容所脱出後の冬山というか氷河を厳冬期に横断すること。同伴者の盗んだ少量の食料とそり、スキーなどわずかな備品しかない。そして80日間の大横断を実行する。人物は二人、周囲は雪の白一色、危機は吹雪と寒冷と飢餓。前作以前にあったような デウス・エクス・マキナのごとき、保護者は現れない。自己変容が冒険のうちに行われるというのは、これまでの著書で繰り返し語られたのであるが、この冒険行の描写はとりわけ素晴らしい。
とりわけ重要なことは、このゲセン人は両性具有であることだ。彼らは性を持たない。周期的に訪れる発情期に相手を求めるのだが、パートナーとの合意のうえでどちらかが妊娠する。通常は若い時に妊娠して子供を産み、中年以降は忌避するようになる(体力が衰えるからだ)。すなわち、彼らは男であり女である。かつ男でもなく女でもない。そういう存在はバルザック「セラフィタ」のような天使の属性であったが、ここにおいては単なる人型生物の集団として描かれる。これは卓見。ゲセン人から見ると、地球人は男と女の性に分けられ、外見から感情、思考方法まで違うことになる(生物学的な性差とジェンダーのことはここではおいておく)。このような大きな違い、なにかのところでは基本的な共通理解ができないところもある他者と、どのようなコミュニケーション、協力関係、信頼関係を築けるかが問題になる。この小説では地球人アイの視点とゲセン人エストラーベンの視点の章が交互に出てくるときがある。いずれも互いが互いに対して「無知」「卑劣」「偏屈」「怒りを覚えた」などの感情を持つ。そして「理解できない」と繰り返す。このあたりの二人の葛藤の描写も圧倒的。エストラーベンが(地球人の男から見て)女性的な繊細さと男性的な強情を持つ一方、アイに対して無謀な冒険を試みたがり去勢を張りながら恐怖におびえることをみてとるなど、複雑な感情と確かな観察力を持っている。この人物は理解しがたいが非常に魅力的だった。それだけに、国の執政からの失脚、国外追放、氷河横断冒険の遂行、そして最後の悲劇的な死(自殺なのか利他的な選択であったのかが不明)が悲しみを増す。
ここでも前作同様、惑星「冬」はエクーメンに対して開放されたが、よかったのか悪かったのかの評価はかかれない。どうように、両性具有のゲセン人と性を固定された地球人の交通が可能かも示唆されない。それは読者の側で考えること。ここはやはり読者は実生活に戻り、異性との交通は可能か、文化基盤を異にする他民族との交流は可能か、この国の人は西洋の文化を理解できるかという昔からあり、今もある問題に置き換えて考え、実践することになるだろう。
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バルザック「セラフィタ」(角川文庫) 生まれながらに霊性を持ち、天に昇ることが可能な超人セラフィタ。心身の不釣り合いを霊によって超越する。 - odd_hatchの読書ノート
*1:同時期に書かれたアレクセイ・パンシン「成長の儀式」(ハヤカワポケットSF)では、異文化に暴力的に接する。