odd_hatchの読書ノート

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小栗虫太郎「完全犯罪」(春陽文庫)

 小栗の初期短編を収録したもの。1901年生まれで、若いころから秀才。19歳で結婚。21歳で亡父の遺産で印刷所を開業するものの4年で倒産。以後は働かずに小説を書き、ずっと売れないまま。一家は転々と放浪し、最初に売れたのが「完全犯罪」。結核で倒れた横溝正史の代わりに、小栗が投稿しておいた原稿を編集長の水谷準が取り上げたのだった(この原稿も甲賀三郎江戸川乱歩を移動したうえで「新青年」に持ち込まれた)。このとき小栗32歳。

完全犯罪 昭8.7 ・・・ 苗(みゃお)族共産党に配属されたソ連共産党元秘密警察のザロフ。ここに配属される前に「東洋語に専念した平和な三年を上海で送った」とされるが、1925年に上海で5.30事件(上海騒乱)が起きていたり(横光利一「上海」参照)、1928年第6回コミンテルン大会で中国への方針が変わったのを思い起こせば、彼の使命もおのずと明らかに。この設定だけでこの小説の異様さがわかる。なにしろ当時は湖南や江西省共産党と国民党の覇権争いがあり、日本もまだ満州から中国南部への電撃戦は開始していないころ。まず日本人の行けない雲南省を舞台にしているというのがすごい(のちの「人外魔境」シリーズを想起すること)。そのうえで、中国共産党誕生ころから急速に英米人は中国から撤退したのだが、そこに一人残る中年婦人がいて、巡業サーカス団には東欧の孤児兼娼婦が登場するという次第。なるほど、こういう状況が当時はアクチュアルであったのだ。いまではこんな設定をした瞬間に、ファンタジー扱いになるだろう。密室で孤児兼娼婦が毒殺され、隣室で麻雀をしていた連中は男の野太い声を聞く。扉からも窓からも出入りができない。そして意外な動機(当時ならリアリティがあったのだ!)。自分は、新鋭・小栗がポー「モルグ街の殺人」にたたきつけた挑戦状とみた。それほどに設定が似ていて、しかし、まったくポー的ではない。このような設定や人物の新しさに加え、徹底的に翻訳口調の文体もまた当時には斬新であった、と付け加える。
 エドガー・スノー「中国の赤い星」(ちくま学芸文庫)、アグネス・スメドレー「偉大なる道」(岩波文庫)で当時の中国の情報を得られる。
2018/04/06 エドガー・スノー「中国の赤い星 上」(ちくま学芸文庫) 1937年
2018/04/09 エドガー・スノー「中国の赤い星 下」(ちくま学芸文庫) 1937年
2018/04/10 アグネス・スメドレー「偉大なる道 上」(岩波文庫) 1953年
2018/04/12 アグネス・スメドレー「偉大なる道 下」(岩波文庫) 1953年


2014/05/16 小栗虫太郎「白蟻」(現代教養文庫) に感想の補足があるので、あわせてみてください。


W・B会綺譚  昭9.6 ・・・ 噺家パトロンの紹介で西洋館(これが荒俣宏「目玉と脳の冒険」筑摩書房あたりで紹介される徳川伯爵の別荘を彷彿させる)の管理人になる。一室を除いて自由に使えるというものの、深夜その部屋から奇怪な物音が。幽霊譚が暗号譚に変わり、奇妙な結末に。「越川秋浪」「武侠会館」「斗南土留(トナン・ドル)」など遊びも充実。これは小栗の講談文体模写を楽しむに限る。

夢殿殺人事件 昭9.1 ・・・ 仏教系の新興宗教施設で死体が発見される。夢殿の密室の中で、両足義足の修行僧が血液を失って仁王立ちで死んでいる。死体には梵字と同じ刺し傷が残る。同じ夢殿の二階では尼僧が絞殺。付近には鳥の足跡が残り、どうやら孔雀法王が絵図から抜け出してこの事件を起こしたと見える。今回の自分の読みでは一体何が起きたのか、いったい何人の尼僧がいるのか、いったい法水は何を問題にしているのか、さっぱりわからなかった。まあいいや、とにかく建築物が事件を起こし、法水は事件を錯綜させるのが目的であるのがわかった。

コント(A) ・・・ 当時流行していたヴァン・ダインと心霊術をコケにする小品。

聖アレキセイ寺院 昭8.11 ・・・ 今度はロシア正教の礼拝堂が舞台だ(1891年に竣工した神田ニコライ堂は名所になっていた)。亡命白露人親子が管理する礼拝堂で、堂守で高利貸しのラザレフが死亡する。死亡時刻にはなぜか大きな鐘が鳴る(構造上、小さい鐘が先になるべきところ聞こえなかった)。この守銭奴には娘姉妹がいて、姉は禁欲的な戒律の一派に所属し、妹はまあ普通のお嬢さん。守銭奴の死んだ日の前には守銭奴は姉に結婚を強いようとしていた。例によって、なぜ法水が死体の異様さにこだわるのか分からないし、一種の遠隔殺人の手法もよく分からないし、変態心理の理由もよくわからない。書かれた時代と、容疑者は亡命ロシア人のみという奇妙さに酔いしれよう。あと、この事件が終わったところから「黒死館殺人事件」が始まるので、続けて読むのがよろし。

コント(B) ・・・ 明治終わりのころ。人力車が迷路に紛れ込んで性も根もつきたとき、太った客は窒息死。そこにまかり出でたるは名刑事落葉拳三郎。涙香のパロディとみるもよし、講談の名調子とみるもよし。

後光殺人事件 昭8.10 ・・・ さて法水が挑むのは仏教寺内の枯山水風の庭の中。不審な足跡が見当たらない中、修行僧が絶命している。いわゆる盆の窪に、鉄心が打ち込まれていたらしい。さて、この修行僧は新しい奥さんを迎えたものの、まだ三角関係が清算されていないなど家族の状況が妖しい。それになぜか寺には画学生も住んでいるし。問題は殺された夜に、仏像に後光がさしているのが見えたという複数の証言があること。庭にほとりには被害者以外に喫煙者はいないのに、すいさしの煙草が見つかっている。1990年以降に、寺や僧院が舞台になった日本産のミステリが書かれているが、これはその嚆矢となるもの(かしら)。例によって、どういう人物がいて、どういう証拠物件があがったのか、よくわからない。

寿命帳 昭8.11 ・・・ タイトルを現代風にすると「デスノート」。広津という将来を嘱望された理学士があろうことか角倉財閥の婿になる。実は、広津は親の敵をとるために、角倉一族抹殺をたくらんでいたのだった。殺害予定者は6人。本来はこの復讐が完結するまでを書くはずであった(もちろん最後の一人を追い詰めたところで失敗するのだろうが。ぜひともそれは日本海に面した断崖絶壁の上であって欲しいものだ)。あいにく最初の被害者を出し、法廷闘争の場面で終了。自分の妄想では、著者が晩年に構想した「社会派探偵小説」はこういうものになるはずだったのでは、と。あてずっぽうだけど。

失楽園殺人事件 昭9.3 ・・・ 中島河太郎編「日本ミステリベスト集成1戦前編」(徳間文庫)に書いたので省略。


 このころの小栗の試みというのは、
1.「本格」探偵小説 ・・・ 「」付なのは、本人もいっているように、普通の探偵小説とはずれているから。この短編集に収録された法水ものは「黒死館殺人事件」で再び物語られるので、注意しておこう。死体が後光/燐光に覆われるとか、鐘突きの部屋で事件が起きるとか、失血した死体が暗室の中で見つかるとか。
2.伝奇小説 ・・・ 冒険やスリルが主題になるもの。
3.講談調コント ・・・ 戯作趣味みたいなもので、語り口の面白さに注力
あたりになるのだろう。1の「本格」探偵小説は「黒死館殺人事件」で頂点とデッドエンドの両方を極め、次に進めなくなってしまった。伝奇風なストーリーと疑似科学の混淆が「二十世紀鉄仮面」「人外魔境」などに向かったといえるし、「源内焼六術和尚」「倶利伽羅信号」のような戯作ものちに書かれる。その点では、この短編集は彼の可能性の知るのに便利。そのかわり、戦争中の協力小説と批判小説が読みにくい状況になっている。あまり表に出したくない話なのだろうが。
 あとは法水シリーズの感想。
・犯罪の原因は人の妄執にあるのではなく、建物・館そのものにあるのではないか、と。どうも館が「犯人」になれる人物を見つけると彼の意識を「変態」心理化させ、まるで現実的ではない方法で人を殺害させるとみえる。法水の推理も人物よりも建物の変態意識を分析しているような。東雅夫編「ゴシック名訳集成」(学研M文庫)の「竜動鬼談」を参考。
・法水の論理の基礎になるのは、当時の骨相学に人類遺伝学に変態心理学に錯視・錯覚の心理学など。それに悪魔学と文献学が加わる。今となっては、どれも疑似科学とされるもの。今の読者には科学的な前提が誤っているのがわかる分、奇妙な、不思議な、不可解な、トンデモない小説と思うことになる。
・法水のわけのわからない議論を外すと、事件の描写は意外なほど常識的。「寿命帳」の法廷や警察内部の描写は非常に具体的。「黒死館」は意図的にその種の描写をなくしている。
・にもかかわらず読み進めることになるのはいったいなぜか。いったいなにに自分は魅了されているのか、よくわからない。文章の背後にある作者の意気込み、熱意などに打たれるのかしら。