odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

横溝正史「獄門島」(角川文庫)

門島――江戸三百年を通じて流刑の地とされてきたこの島へ金田一耕助が渡ったのは、復員船の中で死んだ戦友、鬼頭千万太に遺言を託されたためであった。『三人の妹たちが殺される……おれの代わりに獄門島へ行ってくれ……』瀬戸内海に浮かぶ小島で網元として君臨する鬼頭家を訪れた金田一は、美しいが、どこか尋常でない三姉妹に会った。だが、その後、遺言通り悪夢のような連続殺人事件が!トリックを象徴する芭蕉の俳句。後世の推理作家に多大な影響を与え、今なお燦然と輝く、ミステリーの金字塔!!
獄門島 金田一耕助ファイル 3 横溝 正史:文庫 | KADOKAWA


 例によって背景をまとめておかないと混乱する。この島には網元の鬼頭家がふたつある。本家は嘉右衛門の強力なリーダーシップで統括されていたが、息子は基地外で、孫は戦争にとられる。旅の芸人に生ませた3人の娘も生活能力をもたない。養子に迎えた早苗だけがしっかりもの。一方、分家は儀兵衛ががんばるものの、学者肌・実朴もので本家と合わない。後妻のお志保が本家の覇権を奪わんと奔走するが、ここでもひとり息子は戦争に取られている。昭和21年、本家の息子の戦死と分家の息子の帰還が伝えられた。網元がこの島で持つ権力と財力は大きく、嘉右衛門が死んだ今、島の権力は空白状態であり、力は新しい誰かに譲られなければならない。背景にあるのはこういうことだ。
 網野善彦「日本の歴史をよみなおす」によると、中世が終わるまでは時の権力が文書で謳うように「農本主義」的な生産・経済体制ではなかった。各地の物産を盛んに交易し、そこからの利益を得る地方財閥というか一家があったのだった。彼らは船と倉庫などの物流のインフラを持ち、多くの人員を抱え給与を支払っていた。交換手段の貨幣も宋から輸入して多くの地方で使われていた。さらに海産物加工や工業にも手を出して多角経営を行っていた。彼らの根拠地が孤島であることもあった。船の移動に関する利便を得て、外部からの侵略を回避するためには、そのほうが都合がよかったのだ。
 鬼頭家の描写はまさにこのような地方の財閥というか一族経営を行ってきた一族の末裔であることを思わせる。鬼頭家は、管理方法は封建的であるとしても、経営方法は十分に近代的であった。とはいえ、新しいインフラ(鉄道やトラック輸送、電話・電信などの情報入手方法)がでてきたり、孤島の一族経営のための金融資本の不足などによって、時代の変化には追いつけなくなっていたのだった。堀田善衛「鶴のいる庭」に描かれたように、海外交易が大規模資本によって行われるようになるとき、古い経営は1920年代から立ち行かなくなっていたが、戦争がそれに決定的なダメージを与えた。網元の没落は傘下の漁民の給与カットになり、彼らは島を出て行ったはずだ。それがさらに網元を逼迫させるという悪循環に入っていっただろう。物語の最後に、この家を守るという決意を示す人物がいたが、それもはかない夢に終わっただろう。金田一は一族の執念というか怨念を落とすことはできても、社会・経済の変化には対応できないし、経営コンサルティングもできない。怨念を追い落とした後には、その地を去るしかない。探偵とはそうしたものなのかしら。
 さて深読みはここまでにしておいて、最初に読んだとき(中学2年)、かならずしも高評価にならなかった。とくに意外な真犯人にカタルシスを持たなかったのだろう。読み返すと、なるほどこの意外な犯人はこの国でなければ理解しにくいと思う。なにしろ欧米の名だたる多くの犯人=加害者は、ひとりで探偵=断罪を下すものに挑戦し、その罪を一身で背負う覚悟をもっているのだ。終焉時の振る舞いのみっともないものも散見されるとはいえ、ひとりで思考しひとりで実行し、ひとりで責任を持った。これはたぶん欧米の個人主義、神と個人との関係なんかで説明できる。
 この作だと、「だれが犯人か」はさほど問題ではなく(読みなれた読者であればちゃんと証拠を元に犯人当てが可能だろう)、「誰が企画したか」が問題にされている。犯行の主体は、行為に対する責任をしっかりと受け止めるわけではない。周囲の人々およびこの小説と同じ社会規範を共有している読者は、犯行主体に共感し罪を追及しないかもしれない。このような心象はたぶん、封建主義ないしは国家の家族主義というところからでているのだ。これは翻訳されても、この国でない人には理解しにくいだろうなあ(よく言われるように、重要な手がかりも翻訳不可能だし)。
 「本陣」「蝶々」「八墓村」「犬神家」「悪魔の手毬歌」そして本書と著者の主要長編を読んできた。あまりTOP10などつける気にはならないが、この作が最優秀。3人の娘と一人の男が殺されるのだが、男の死も理由があることが判明する。このような伏線の張り方、その回収、各自の思惑などさまざまな意匠が適切に配置されている。この手腕はみごと。坂口安吾のいうようにこの作者のテクニックは世界的だ。あとラジオの復員だより、カムカム英語、「愛染かつら」など終戦直後の風俗が書かれていて、そこが時代理解の参考になる。