odd_hatchの読書ノート

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筒井康隆「全集10」(新潮社)-1971年前半の短編「陰悩録」「家」

 1971年上半期の短編。

わが名はイサミ 1970.11 ・・・ 甲州鎮撫隊となった近藤勇絶頂期のどんちゃんさわぎ。

ナポレオン対チャイコフスキー世紀の決戦 1970.11 ・・・ 大序曲「1812年」の実況。楽器が闘う(のちの「虚航船団」第3部の先取り)。

女権国家の繁栄と崩壊 1970.12 ・・・ 当時のウーマンリブ運動と新左翼運動のカリカチュア。女権国家といっても、男権社会の裏返しとして描写される。

蜜のような宇宙 1971.1.1 ・・・ 130年後の社会、世界に6台しかないコンピュータが一般開放される日。ある少年が女の子を好きになって、データがなくて答えられないコンピュータが懸命に答える。

陰悩録 1971.01 ・・・ 風呂にはいっていたら陰嚢が栓に吸い込まれてしまって…。ああ、痛そう。どこかのエッセイによると、実際にあったことらしい。

桃太郎輪廻 1971.01 ・・・ じいさんが山に芝刈りに、婆さんが川に洗濯にでかけると、上流から尻が流れてきた(手塚治虫@フースケほか数人のマンガ家に類例あり)。以降、東西の童話を適宜混ぜあわせながら、大人風に修正。ハインラインの「輪廻の蛇」の筒井版。いくつかのギャグは星新一由来らしい。

融合家族 1971.01 ・・・ 土地の権利がどうのこうので、同じ敷地に二つの家をつくった2組の夫婦。和式と洋式の家が融合しているところで、互いを無視しながら暮らす。このころ「マイホーム」を持つことは庶民の夢で、政策の後押しがあってたくさん作られた。で、21世紀の初頭には高齢化と過疎が進行中。

カンチョレ族の繁栄 1971.04 ・・・ 太平洋戦争さなか、ニューギニアの原生林に入り、ネイティブたちを支配しようとする日本軍人。文化交流に挫折し、「野生」化していく息子と妻。使命を忘れる男。よくいえば「メタモルフォセス群島」「ポルノ惑星のサルモネラ星人」の先駆。悪いところは、ここにあるネイティブ差別の感情(と帝国軍人の傲慢)。

奇ッ怪陋劣潜望鏡 1971.05 ・・・ 童貞と処女が新婚旅行に行き、初夜の翌朝、浜辺にでると潜望鏡がこちらを向けていた。以来、性交のたびに周辺に潜望鏡が現れて、彼らを覗く。性の解放とかポルノ自由化とかある一方で、社会の恋愛や性交に対する抑圧があった時代。

家 1971.06 ・・・ 伝馬船の行き来する家。そこに生まれた少年の家をめぐる探索、感想、確執など。とりとめのない、しかし論理的な想念が、長めで句読点が少なく、会話のほとんどない文章で描かれる。福永武彦の短編にありそうなテーマでありながら、ああいう叙情はなくて、不可思議ばかり。集中して読まないと途中で挫折しそう。上下左右、東西南北に無限に広がる家や住宅は著者に繰り返し現れる。

特効薬/帰宅/タイム・カメラ/自動ピアノ/みすていく・ざ・あどれす/墜落/体臭/涙の対面/電話魔 ・・・ ショートショート


 現実に取材した作品がちらほら。1960年代後半に、さまざまな分野で先駆者(イノベーターとアーリー・アダプター)が突っ走ったわけだが、このころにアーリーマジョリティも生まれてきた。そうすると、アイデアは社会に伝わるが、保守派からの反発がある。保守の力が強く、変化を好まない人たちによる抵抗がある。それが「常識」「世間」の見直しになり、保守の守ろうとする現実や伝統のいい加減さ・あいまいさ・無根拠さが見えるようになる。
 著者はSFの手法をもって、その保守のいい加減さやあいまいさや無根拠さを描く。あえて行き過ぎた状況を設定し、保守的な人物を状況に投げ入れて、反応をみる。状況に適応できない保守的な人たちがパニックになる。権威や威厳を持っている人がどたばたやスラップスティック、言語のぎこちなさを産んで、大いに笑える。
 この巻の短編には傑作はない。その理由は、語り手の父権主義や権威主義があること。男や大人などの常識を笑い、彼らを誇張してカリカチュアする筆は冴えていても、返す刀で社会的に弱いもの(女性や子供など)まで切り捨てるのがどうも。時代の制約になるのだろうが、個人的には居心地が悪い。