odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

新潮文庫編集部編「タイム・トラベラー」(新潮文庫) 古典と大家の作品を除外して1980年代に編集した時間SFのアンソロジー。どれも良質な作品ばかり。

 20代のなかばのころ、「時間」のことが気になっていくつか本を読んだ。哲学とか宇宙論とか進化論とかその他いろいろ。この本を選んだのは、その興味の一環だったような記憶がある。空間の広がりは、テクノロジーによって圧縮したり拡大したりして、人間が制御できる部分が増えた。観測機械で肉眼ではみえないものをみえるようにするとか、内燃機関を搭載した機械にのって遠くまで行ったり戻ったりするような。ところが時間は計測できても、制御できないまま。そのうえ因果の関係があって、やり直しや順番の入れ替えができない。その行く末は人間の「死」。そういうよく知っているはずだが、理解が難しい対象。そのとき、想像力でさまざまな時間を考えることにより、時間の問題を広げることができる。

しばし天の祝福より遠ざかり Absent Thee from Felicity Awhile... ソムトウ・スチャリトクル 1981 ・・・ ある日異星人が来て、地球人の生態を見学するので700万年間同じ一日を過ごしてくれないかという。それから毎日を繰り返すのだが、それにも飽きて抵抗しようと試みる。スチャリクトウは変なことを考えるものだな。

時間層の中の針 Needle in a Timestrack ロバート・シルヴァーバーグ 1983 ・・・ 時間転移が可能になって、事故にあったら回避する選択ができる。それを誰かが実行すると、自分の生活もジャンプして変異し、ときに人を忘れてしまう。ニックとジャニーヌの夫婦は恋敵の仕掛ける時間転移に参っていた。そこで過去に戻って、恋敵とのいさかいに決着をつけることにした。スマートでスイートでエレガントな解決。高級雑誌にふさわしい短編(実際、米版PlayBoyに発表)。

遙かなる賭け The Long Chance チャールズ・シェフィールド 1977 ・・・ 難病で余命数か月の妻。どうにかして一緒に行きたいと、作曲家は願い、妻と自分を冷凍保存して未来に賭けることになった。美しい愛の物語、といいたいところだが、初老になった今から読むと、男の身勝手が社会に多大なコストと迷惑をかけたとみえる。なにしろ妻の意向は完全無視。

ミラーグラスのモーツァルト Mozart in Mirrorshades ブルース・スターリング&ルイス・シャイナー 1985 ・・・ 多時間企業がリアルタイムに過去の偉人たちを呼び寄せ、才能を現代に使うことにした。モーツァルト、アントワネット、などなどがパンクの衣装に身を包み、不良のようにふるまう。1980年代のサイバーパンクを代表する短編、ということになっていた。この短編を読みたくて、ブルース・スターリング「ミラーシェード」(ハヤカワ文庫)を買ったくらい。

ここがウィネトカなら、きみはジュディ If This Is Winnetoka, You Must Be Judy F・M・バズビイ 1974 ・・・ 肉体は物理現実の時間を過ごしているのに、内的な意識は時間を跳躍する。4歳がいきなり30歳に、70歳が20歳になる。死ぬことはすでに経験したことで、出産も経験済。そのような時間旅行者はメモをつけて全部の人生を把握していないといけない。何回目かの1970年代で同じ時間旅行者と再会する。たがいにグダグダの人生が続いているので、今度はずっと一緒にいようと約束し、次の跳躍に備える。甘い、甘いメロドラマ。「たんぽぽ娘」といっしょに知られたほうがよい。もうひとつの読み取りは、世界から孤立して単独者として生きることの困難。デカルトはこういう単独者の思考をした人。

若くならない男 The Man Who Never Grew Young フリッツ・ライバー 1949 ・・・ 世界の破滅的な戦争は次第におさまり、平穏が訪れる。いっぽう文化や思想は幼稚になり、都市はさびれていく。たった一人若くならない男は、人々が離散し、エジプトにだけ国家が残るのをみる。時間逆行テーマの古典。他の小説が個人史なのに対し、ここでは文明史。

カッサンドラ  Cassandra C・J・チェリイ 1978 ・・・ 戦争のある都市、人々はいつもの暮らしをしている。クレイジー・エイリスは人々の顔に亡霊が張り付き、家が崩壊する幻をみる。彼女はいつもそうだった。将来起こる災厄を事前に幻視するのだ。その狂気の行く末。この数年後に、レーガンの西独核配備でこのヴィジョンを多くの人が共有した。

時間の罠 Time Trap チャールズ・L・ハーネス 1948 ・・・ その全体主義的な国家では疫病の死者が10万人も出ていて、将軍の暗殺が試みられた。そこで選ばれたトロイは、暗殺に失敗したが、別の理由で生き延びる。別の不思議な治癒能力をもつミュータント。拘禁中にプールという老人に奇妙な依頼を受け、半信半疑な中、目の前でプールは殺される。エスパー能力を持つ妻アンと事態を検討し、それは30年に及ぶ。解説にはハインライン「輪廻の蛇」と並ぶタイムパラドックスの古典とある。なるほど、この時間の罠から抜け出すのは困難だし、未来で出会う「真実」はこの二つの古典で共通する。

アイ・シー・ユー I See You デーモン・ナイト 1976 ・・・ スミスの発明したオゾという装置は、遠隔地の映像を鮮明に見たり、過去の映像を再現することができた。そのうえ太陽に焦点をあわせてエネルギーを充填できる。こうして秘密とエネルギー枯渇が解消し、世界に平和が訪れる。その代りプライバシーはない。これはユートピアなのか、究極の監視国家なのか。いずれにしろ「歴史」は終わっている。

逆行する時間  Redeem the Time デヴィッド・レイク 1979 ・・・ フォルクスワーゲンに取り付けたタイムマシーンで2100年の未来に行くつもりだったが、世界は1900年だった。戦争と環境破壊のあと、人々は進歩の代わりに退化を選んでいた。さかさまのモリス「ユートピアだより」

太古の殻にくるまれて Incased in Ancient Rind R・A・ラファティ 1971 ・・・ 1960年代の重篤な大気汚染は生物と地球を変えてしまった。植物が繁茂し、地球上に天蓋をつくり、雨は遮られ、海は縮小した。太古のヒトの姿に退行しながら、長寿を誇る。まあ科学的な正確さは放棄して大ぼらを吹くことに専念。この小説のもっと先の時代がオールディス「地球の長い午後」なのだろう。

わが内なる廃墟の断章  Sketches Among the Ruins of My Mind フィリップ・ホセ・ファーマー 1973 ・・・ 地球と金星の軌道の間に「ボール」という衛星が突然やってきた。その影響か、人は一晩寝ると4日間の記憶をなくしてしまう。物理的な攻撃ではボールは破壊できない。そのうち、物理時間は経過するのに、主観時間はどんどん退行し、知識を失う。時間がたつほどに現在の記憶が失われ、過去に生きるようになるのだ。そして世界は次第に衰退していく。大統領はポロ計画でボールの破壊をめざした。「アルジャーノンに花束を」で一人に起きたことがすべての人間に起きる。「スタートレック」の台本に作ったアイデアだそうだが、どうやって映像化するつもりだったのだろう。

バビロンの記憶 We Remember Babylonイアン・ワトスン 1985 ・・・ イアン・ワトソン「スローバード」(ハヤカワ文庫)に収録されているので省略。


 発行当時(1987年はじめ)、入手しやすい短編は除外して編集した。そのためにアシモフハインライン、バラード、ディックなどは漏れた。ウェルズのような古典も除外。英語圏の作品だけ。この短編集では、当時の中堅の作品か埋もれた作品の掘り起しになった。編者の二人(伊藤典夫、朝倉久志の両氏)の選択眼はめざましく、質のデコボコがないのが素晴らしい。
 このごろ(2014年11月)でも、時間SFの要望はあるらしく、いくつかのアンソロジーが編まれている。そこにはここに収録されているもので漏れているものもありそう。個人的には、上記の大家たちのこてこての古典を集めて一冊にしたのがあってもよいと思う。