odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

岡田鯱彦「樹海の殺人」(別冊幻影城)

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 富士山麓の樹海に近い村に構えた私設の物理学研究所。もと神職の中年男性・坂巻久が3年前に設立した。一人娘の久美子に、研究員である須藤と玉川、中学を卒業したばかりの書生・渋谷に小山田爺やが住み込んでいる。久しぶりに坂巻の旧友・田島T大学物理学教授が訪問した。二人は学生時代からの親友。卒業間際に、この樹海のある村で、ひとりの女性を取り合った。そのときは坂巻が勝って結婚し、一人娘・久美子を産んだものの3年前に急逝していた。
 さて、坂巻のデータ録りを田島が手伝っている最中、実験室が突然爆発。田島は即死し、いあわせた久美子は九死に一生を得た。それから、研究所近辺では不可解な事件が続く。須藤が樹海の中で刺殺され、久美子が風穴に落とされ、新しい神職になった杉田の妻が殺され、玉川が近くの沼で溺死している。なんともせわしなく事件が相次ぐ。
 1957年初出の長編。なんともおざなりなサマリーになってしまったが、事件らしい事件はこれくらいしか起こらない。おそらく原稿用紙700-900枚くらいの大作なのではあるが、メモするべきことはこれくらいなのだ。では、何にページを費やしているかというと、それぞれの事件のさいに、およそ10人の登場人物がどこでなにをしていたかを克明に描いていること。なので、同じ時間をいったりきたりしながら、こいつはここでこういうことをしていて、こういうことを考えていたという記述が続く。「薫大将と匂の宮」では文学では写実が大事と力説していたが、その実践がこの大作になるわけか。キャラクターが際立っているとか、エキセントリックな行動や反応を示すとか、何か興味を引くものがあればこの方法でもかまわないのだが、ごく普通の平凡な人間がルーティンの生活をするものなので、とても退屈。19世紀の自然主義リアリズム文学で探偵小説をやっているみたい(自分の読んだ範囲でいうと、トルストイ島崎藤村志賀直哉が犯罪小説を書いている感じ)。
 ヴァン=ダイン「グリーン家殺人事件」はこの国の長編探偵小説の規範になったが、形式だけを持ち込むと、私小説が盛んだった時期にはこの小説のようになってしまう(浜尾四郎「殺人鬼」や木々高太郎甲賀三郎なども同じような欠点をもっていた)。それでいて、ときに文体は仰々しく大げさになり、恐怖や不安、陰謀やほくそえみ、疑惑と思い込みなどを紋切り型で表現する。
 1953年の「ポケットミステリー」、1957年の「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の刊行でスタイリッシュでモダンな海外ミステリーが市場にでてきた。1957年から翌年に松本清張「点と線」が連載された。それらを読んだ読者は、この本邦作はおどろおどろしくて読むに堪えなくなったのではないかしら。すっきりした文体と草紙趣味を廃した「大人の物語」に読者が向かったのも理解できる。
 著者は1949年から1962年まで活動していて、一時中断。1973年に復活したが、1976年で沈黙。1993年に87歳で没。実直で真面目な作風だけど、物語のふくらみや人物の簡潔な描写のできなかった人。マチズモや父権主義の強い一方で、童女や乙女には過剰なロマティシズムを持つ。香山滋や蒼井雄、高木彬光らに似ている。今日読むのはとても困難。この大作も戦前に書かれていれば、「大傑作」になったはず。残念。

 

  


(ひとつだけほめておこう。玉川殺害の際に、彼が呼び出されたメモに「ふう公」と書かれていて、何を指しているのかわからないという謎があった。この解決がスマート。なるほど、あれをあの30年前に使っていましたか。)