odd_hatchの読書ノート

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渋澤龍彦「黒魔術の手帖」(河出文庫)

 日本の悪魔学の始まりは本書をみると日夏耿之介。そのあと、入獄中か出獄後の埴谷雄高が独学で勉強したらしい。その次が、本書の著者になる。と見立ててみた。本書は1960-61年に連載されたエッセイを収録したもの。おりしも日米安保で世情騒然としているころ、このような俗世に背を向けて、古書と観念の中に入り込むという蛮勇。
 内容は以下。
ヤコブスの豚、カバラ的宇宙、薔薇十字の象徴、夜行妖鬼篇、古代カルタの謎、サバト幻景、黒ミサ玄義、自然魔法もろもろ、星位と予言、ホムンクルス誕生、蝋人形の呪い、ジル・ド・レエ侯の肖像(聖女と青髯男爵、水銀伝説の城、地獄譜、幼児殺戮者)
 1960年代初頭に悪魔学を書くには、参考書は洋書にほぼ限られるとなると、この広範な書物の収集と読み込みはすさまじいものがある。著者30代初頭の仕事となると、早熟ぶりと書物収集熱には驚くばかり。もちろん21世紀にはいると、類書もあるし、参考文献の翻訳もある。様々な情報にアクセスしやすくなった目でみれば、ここには不備や漏れがある。
 そういうことを差し引いても、前回20代初頭での読書でも、今回の老齢の読書でも、気持ちは高ぶらない。かつては著者の本はあと数冊読んで追いかけるのをやめた。その理由を考えてみると
悪魔学を紹介するのは、おそらく近代の合理主義や理性に対する批判の意図があるのだろう。そうではあっても、著者の入手した情報を枚挙しているだけ。かつてこんな事件があった、こんな人物がいたという紹介に終始して、奥行きが乏しい。たとえば、ここにはノストラダムスがでてくるが、本書の少し前に書かれた渡辺一夫「フランス・ルネサンスの人々」(岩波文庫)1947年のほうが詳しい。それに下記のような通史とリンクしない。
鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)
会田雄二「世界の歴史12 ルネサンス」(河出文庫)
悪魔学(に占星術錬金術、さらには西洋神秘思想)は、西洋のオーソドックスから外れる異端の考え。ひとくくりにはできないさまざまな思想が流れている。でも本書では神学論争を抜きにした。サバトや黒ミサの「儀式」を詳細に書くが、オーソドックスとの対立点は書かない。そこはエマニュエル・スウェデンボルグ「霊界からの手記」(リュウ・ブックス)の訳者と同じ。表層の情報に戯れることに熱心で、思想や社会の違いを気にしない。批判機能が働かないオタク的な心情の書き物なんだよね。それが奥行きの乏しさの理由。
(西洋の異端を知るのなら、 ウンベルト・エーコ「薔薇の名前 上下」(東京創元社)のほうがいいかな。他に読んだのもあわせる(たとえば、森島恒雄「魔女狩り岩波新書、ジュール・ミシュレ「魔女 上下」岩波文庫)と、ここに登場する悪魔学のかなりは宗教裁判所が異端審問をするマニュアルを作ってから生まれたという印象がある。サバトや黒ミサが中世にあったとは思えず、異端審問者の訊問や調書が作られ普及しているうちに実体があるように思われるようになったのじゃないか。悪魔学という観念ができてから遡及的に起源が作られた、という感じ。)
・それもあるけど、本書を開いた冒頭で

「精神的な高い地位に女が向かないのは道理であろう。ちょうど音楽の演奏家には女が多いけれども、作曲者には極めて少ないという事情に似ている(P11)」

という文章を読まされて、気持ちが萎えた。なるほどキリスト教や異端に女性蔑視の思想があるというのは了解。それは歴史的事実である。でも現在のことでこういうミソジニーがでてくるようでは。あるいは「男色」に関する偏見の助長もそう。1960年代のこの国では社会の性差別に力は強かったのはわかるけど、ここまで強く書かれると。
 ほかの本を読んで著者に熱狂しなかったのは、このあたりにあるのだろうなあ。それはほかのオカルト本の大多数と同じ特徴なので、本書のカテゴリーは「トンデモ」にした。あまたいるオカルト本の著者よりもずぬけて知識はあるけど、それだけというのが俺の評価。もう著者の本は読まない。