探偵作家としてのエドガー・ポオ
1 推理三味(ざんまい)
探偵小説史は一八四一年から始まると云われているとおり、ポオの処女探偵小説『モルグ街』は、その年の四月フィラデルフィアの〈グレアム雑誌〉に発表されたのだが、彼はそれ以来一八四五年まで引きつづいて、毎年一編ずつ必ず探偵小説を発表している。すなわち『モルグ街』の翌一八四二年には『マリー・ロジェ』四三年には『黄金虫』四四年には『お前が犯人だ』四五年には『盗まれた手紙』とつづいているが、これはポオの探偵小説熱が決して一時的、突発的なものでなかったことを語るものだと思う。
小説だけではなく、謎と論理に関係の深い随筆評論にまで視野を拡げると、一層このことがハツキリする。すなわち『モルグ街』の五年前一八三六年には『メルツェルの将棋差し』があり、『モルグ街』と同年には『暗号論』と『詐欺――精密科学としての考察』があり、翌年の『マリー・ロジェ』と同じ年には『ディケンズ作「バーナビー・ラッジ」評』があり、最後の探偵小説『盗まれた手紙』の次の年一八四六年には『構成の原理』がある。
前記五つの探偵小説に加うるに、この五つの随筆評論は、すべてポオの謎と論理への異常な愛情を示すもので、都合十編を年代順に列べて見ると、ほとんどポオの作家としての短い生涯(ポオが小説を書いた期間は大体一八三三年から一八四七年までの十四、五年間であった)の大部分を蔽っていると云ってもよい。
私はこれまで誤解をしていた。それは、ポオの本領は『鴉』などの詩や『リジイア』『アッシャー家』などの怪奇神秘の作品にあって、探偵小説は単なる余技にすぎず、ポオをあげつらうのに探偵小説などを持ち出すのは見当違いだという考え方で、これは私だけでなく、多くの人々が陥っている錯誤ではないかと思う。
ポオの探偵小説は厳密には三編、広く考えても五編しかないのだから、これを一時の気まぐれ、余技と見るのは一応もっともではあるが、前記のように随筆などをも加えて、年代順に列べて見ると、ポオの探偵小説心とも云うべきものは、決して一時的な気まぐれでないことが分る。そして、そのことは彼の代表的文学論『構成の原理』を見るといよいよ明瞭になって来るのである。
『構成の原理』という表題は少し大げさで、実際はポオの信ずる小説や詩の創作の骨(こつ)を記述し自作の詩『鴉』に例をとって、その構成の順序を解説しているのにすぎないが、そこでは、独創を重視し、「エフェクト」を冷静に考察し、デヌーマン(結末)の見通しが明確にならなくてはいかなる作品にも取りかかってはならないと強調している。そして、例にとった『鴉』の作詩法について次のように記している。(例に詩を採ったけれども、無論小説にも共通する法則として書いたものである)
「その構成の一点たりとも偶然や直観に帰せられないこと、すなわちこの作品が一歩一歩進行し、数学の問題のような正確さと厳密な結果をもって完成されたものであることを明らかにしたいと思う」(篠田一士訳)そして、以下数ページに亙って『鴉』の構成順序を精密に記述している。
この論文を初めて読む人は、まったく病的な幻想から生まれたように見えるポオの詩篇にすらも、かくの如く論理的、数学的構成が意図されていたことを知って、一驚を喫するであろう。これがポオという作家の本来の性格であった。詩にしてすでに然りとすれば、その他のあらゆる怪奇幻想の散文が、いかに「エフェクト」を考慮し、デヌーマンに目標をおき、数学的計算の上に組立てられていたか推して知るべきである。ジョセフ・W・クルーチ(『E・A・ポオ/天才の研究』一九二六年)などは、非難する意味で、ポオのこの性格を「推理マニア」と呼んでいるが、私の場合は非難ではなく、やはり彼が狂的にまで「推理三昧」の性格であったことを認めざるを得ない。
彼のこの推理三昧は、小説では『マリー・ロジェ』にもっとも遺憾なく現われている。あの微に入り細を穿った、退屈なほど詳細を極めた論理というものは、結論の為ではなく、論理の行程そのものを楽しむ性格でなくては書けないところであろう。この小説はニューヨークのメアリ・ロージャーズ殺しの謎を解いたと云われているが、それは実は伝説にすぎず、ポオ自身この小説の後の版に、二人の事件関係者がポオの推理を肯定したと記している以外、別段の事実もなく、犯人は分らないままに終わったのだから、この小説は実際の犯罪を解決したというような意味で価値があるのではない。又、この小説の論理には前後矛盾する個所が二、三あり、被害者の下着から引裂かれた布の寸法について、大きな間違いなどもあって論理の正確なるが故に価値があるのでもない。そうではなくて、作者が論理の行使に惑溺し、データの組合せの中から、常人の気づかないような隙間を発見して、論理のために論理をやっている、その推理マニア的な面白さなので、読者の方も同じ推理マニアでなくては、この小説は楽しめない。そして、世の探偵小説好きというものは、程度の差こそあれ、皆この推理マニアに外ならないのである。
ポオは『モルグ街』の冒頭にデュパンの性格を説明して「分析的知性はその持主にとって、常に、この上なく溌刺とした楽しみの源泉であるということだ。ちょうど身体強健な人間が肉体的な有能さを誇らしく思い、筋肉を動かす運動をおこなって満足を味わうのと同じように、分析家は錯綜した物事を解明する知的活動を喜ぶのである。彼は、自分の才能を発揮することができるものなら、どんなつまらないことにでも快楽を見出す。彼は謎を好み、判じ物を好み、秘密文字を好む。そして、それらの解明において、凡庸な人間の眼には超自然的とさえ映ずるような鋭利さを示す」(丸谷才一訳)と書いているが、これが、とりもなおさずポオ自身の性格であった。クルーチも云うように、ポオはその作品において常に彼自身を描いたのであって、デュパンすなわちポオ、一方では『アッシャー家』の主人アッシャーすなわちポオであった。だから、前記の一文はデュパンを描くことによって、計らずもポオ自身の過度の推理癖を告白する結果となっているのである。
ポオがデュパンと同様に謎々を愛し、難題を愛したことは、五つの探偵小説のほかに、『メルツェルの将棋差し』『暗号論』『バーナビー・ラッジ」評』などの随筆評論にも、きわめて明瞭に現われている。『メルツェルの将棋差し』は<新青年>昭和五年二月増刊に邦訳がある(本文庫「ポオ小説全集1」)。客の相手になって自動的に将棋を差し、しかも多くの場合客に勝ったというこの不思議な人形は、もとハンガリーのケンプレン男爵によって発明され、その人形がメカニズムの秘密と共にメルツェル氏に売渡され、大陸の各都市よりはじめて、イギリスからアメリカ各地に亙り、数年間旅興行をつづけたのだが、ポオはこれを何度も見物して、ついに自動人形の秘密を看破し、一文を草して<メッセンジャー>誌によせたのである。それは一八三六年のことで、『モルグ街』発表の五年前に当たる。この秘密看破の推理は『モルグ街』や『マリー・ロジェ』の推理となんら異なることなく、順序正しく、純論理的に矛盾を指摘し、弱点を突いて行くところ、論理そのものの楽しさに充ちている。
『暗号論』これも<新青年>大正十一年八月増刊に小酒井不木博士が翻訳し、解説をつけておられる。ポオがこれを発表したのはフィラデルフィア在住時代、『モルグ街』と同年の一八四一年だが、この年から翌年にかけては、ポオの生涯でももっとも幸福な時代であった。すなわち同市の雑誌経営者グレアム氏の信頼を受けて、<グレアム雑誌>創刊と共にその編輯長となり、編輯、執筆に努めて、はじめ五千部であった同誌を二万七千部までのばし、年俸も八百ドルに昇給した。これはポオの生涯での最高の給料であった。愛妻ヴァージニアはまだ健康だったし、生活は確保されたし、雑誌は好評を博するし、病的なポオがもっとも健康な生活をつづけたのもこの頃であった。その前年一八四○年には、それまでの数年間に発表した怪奇異常の作品を集め、『グロテスクとアラベスクの物語』二巻を出版したが、彼はその序文にこれらの作品が二三の批評家から「ドイツ的」で陰惨だと評されたのを駁し、しかし今後この種の作品は書かないだろうと記している。(だが、この言葉は決して実行されず、引きつづき死と暗黒の作品が発表されたことは人の知るところである)
一時的にもせよ、過去の作品にそういう考えを抱いたことと、順調な境遇の影響もあって、ポオはこの年、作風の一転を計ろうとしたのではないかと云われている。つまり、彼自身の病的な作風に堪えられなくなって、もっと健康なものを模索したというのである。そして生まれたのが、世界最初の探偵小説『モルグ街の殺人』であった。クルーチはこの転換を評して「ポオは探偵小説を発明することによって狂気を免れようとしたのだ」と警句を吐いている。
さて『暗号論』であるが、ポオはこの年、彼の編輯する<グレアム雑誌>で、読者から難解な暗号を募り、これを解いて見せることをはじめた。ポオの推理マニアが暗号解読を楽しむと共に、これを雑誌の人気取りに利用したのである。数号に亙ってこれが続けられ、ポオはその悉(ことごと)くを解いたと誇称している。彼の『暗号論』というのは歴史上の各種の暗号記法について解説したあとに、その読者出題を例示し、彼の解答をも示したものである。ポオがそれから三年の後、暗号小説『黄金虫』を書いたのは、決して偶然ではなかった。しかもポオはあの『黄金虫』の暗号を、もっとも簡単な易しいものと称しているのである。
『「バーナビー・ラッジ」評』は、翌一八四二年(『マリー・ロジェ』発表の年)に書かれたものであるが、その中で、ポオがディケンズの長編の犯人当てをやって、見事に的中した手柄話を報告しているのは、はなはだ興味深いことである。この評論は相当長いもので、まず初めに『ラッジ』の梗概を記した上、ディケンズの構想を詳しく分析批評している。この作には殺人があり、トリックがあり、最後まで犯人が隠してあるという意味で、はなはだ探偵小説に近い作品である。ディケンズの長編では普通、未完の『エドウィン・ドルード』と『荒涼館』が探偵小説と云われているが、『ラッジ』は名探偵こそ出て来ないけれども、やはり広義の探偵小説に属せしめてもよいのではないかと思う。もっとも、ポオも云っているように、中程で、殺人の謎よりも、宗教一摸の焼打ち騒動の方に描写の力が注がれ、それが謎の興味を中断しているのだが。
ポオはこの評論を書く前年、一八四一年五月の<フィラデルフィア・サタデイ・イヴニング・ポースト>紙上に、『ラッジ』の犯人推理の一文を寄せた。彼は前記の評論の中にその新聞寄稿の一部を引用して、犯人当てに成功したことを誇っている。その時は『バーナビー・ラッジ』の最初の方が雑誌に発表されたばかりだったが命ポオは後に全体で一一一百二十三ページ(大判週刊誌の)になった物語の第七ページ目で、すでに犯人を当てたのだと云っている。
ごく簡単にそのトリックだけを記すと、ヘアデールという人物が、ある夜邸内で殺害され、同時に執事と庭番が行方不明になるが、後に庭の池の中から執事の死骸が発見せられる。その発見者が執事が死んでいたと報告するのだが、ここの描写はその男の報告だけで、他の文にはそれが執事の死体だということを、一言も書いていない。ポオはここに疑いを持ち、その死体は執事ではなくて庭番であろう。ヘアデールの下手人は実は執事の方で、その罪を庭番に転嫁するため、先ず庭番を殺してから、主人ヘアデールを殺害し、庭番の部屋に戻って死体に自分の服を着せ、これを池に沈めて逃亡したのだと推定し、それを新聞に発表したのである。
ところが、この推定は順序が少し違っていた。ディケンズの小説では、まず主人を殺し、その犯行を庭番に気づかれたので、それを殺して替玉にするという、一石二鳥を考えついたことになっている。それにしても、ポオは確かに犯人を云い当て、ディケンズが最後まで隠しておいた替玉トリックを、第七ページ目で看破したのであって、彼が自慢するのももっともであり、その子供らしさは、同じ病癖を持つわれわれ探偵小説好きにとって、はなはだ懐かしいものである。
ハーヴェイ・アレンのポオ評伝『イスラフェル』(一九二七年)によると、ディケンズはこのポオの推理を読んで「まるで悪魔のような男だ」と驚嘆している。『イスラフェル』にはポオとディケンズの関係が詳しく記され、ディケンズが例の有名なアメリカ旅行をやった時、ポオがその宿を訪問して会談するところなど非常に面白いのだが、ここには直接関係がないので他日に譲る。
次に『詐欺――精密科学としての考察』という随筆はユーモラスに気軽に書かれていて、ポオの推理癖の傍証としてはあまり有力なものではないが、しかし探偵小説の内には詐欺小説も含まれているのだし、中国の裁判小説、詐欺小説が東洋古来の探偵小説と云われている聯想などから、このポオの随筆は、やはり彼の旺盛な探偵趣味を語るものとして、看過することは出来ない。
なお、ポオの推理癖を証する作品としては、『メェルシュトレエム』『ハンス・プファァル』など多くの科学小説があることも忘れてはならないし、又推理はないけれども謎とサスペンスに富む『長方形の箱』なども、ポオの別の意味の探偵趣味を語るものとして見逃がすことは出来ない。カロライン・ウエルズは『ミステリー小説の技巧』の中で「ポオの『長方形の箱』はこれまで書かれた内のもっとも優れた謎文学(リドル・ストーリイ)の一つである」と云っている。
以上見て来たところを要約すると、ポオは五つの探偵小説を書いたほかに、暗号解読の遊戯に耽り、手品人形の種探しに熱中し、他人の探偵小説的作品の犯人当てに興じ、進んでは詐欺手口の蒐集にまで及んでいることを考えると、ポオの探偵趣味は決して一時の気まぐれではなく、彼の本質に根ざしたものであることが分かるのだが、さらに『構成の原理』によれば、彼は幾多の独創的な怪奇小説や幻想の詩篇すらも、数学的計算に基く推理によって構成したというのであって、かかる分析癖、推理癖そのものが本質において探偵小説と相通ずる性格であることを思えば、いよいよもって、探偵小説を除外してポオを論ずることは無意味であり、探偵小説的性格こそ、ポオのあらゆる作品の根底に横たわる、もっとも大きな特徴の一つだと云っても、決して間違ではないようである。
2 原型の確立
ポオがゴシック・ロマンスの余力いまだ衰えざる時代に生まれ、怪奇と恐怖の作品においてはその影響を受けながら、突如として、前代未聞の探偵小説という文学形式を発明したことは、いくら驚嘆しても足りないほどである。もしポオが探偵小説を発明しなかったら、コリンズやガボリオーは生まれていたかもしれないが、恐らくドイルは生まれなかったであろう。随ってチェスタトンもなく、その後の優れた作家たちも探偵小説を書かなかったが、あるいは書いたとしても、たとえばディケンズなどの系統のまったく形の違ったものになっていたであろう。随って現在の形式の探偵小説は今世紀に入っても生まれなかったかも知れない。イヤ、一九四九年の今日でも、まだ生まれていなかったかも知れない。(しかし、もしポオが出なかったら、それに代わる別の天才が現れていたのではないだろうか。ポオの原型に心酔し、探偵小説とはこういうものだと思い込んでいるわれわれには、想像も及ばないのであるが、そういうまったく別の探偵小説が生まれていたかも知れないと考えることは異様なスリルである。それは、将来、ポオの影響力がまったく消え去った時、現在では想像も出来ないまったく別の探偵小説が、生まれて来るのではないかという、可能性に想到するからであろう)
ポオは純探偵小説をたった三編、広く考えても五編しか書いていないにもかかわらず、その五編をもって探偵小説百年の大計を建てたのだと云える。アメリカの評論家フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンは一九四一年<ヴァージニア季刊評論>に寄稿した『盲目小路の死体事件』という諷刺的な表題の論文において、「ポオの探偵小説の決定的な構成法は、ほとんど変化することなく現代に継承されて来た。彼の哲学的な傍白(わきぜりふ)は今日においても模倣され、彼の雰囲気の効果に至っては、後代の作家たちが希望しながらも、追随し得ざるところである。探偵小説はかの印刷術と同様に、最初発明されたままの唯一の機構の範囲内で、進歩して来たにすぎない。しかもその芸術的価値においては、グーテンペルクの『聖書』とポオの『モルグ街の殺人』を凌駕するものを、嘗て見ないのである」と極言しているが、いかにも面白い比喰だと思う。
ポオはまず天才探偵デュパンを創造し、これに配するに、その解説者、引立役として、無名の「私」なる人物をもってした。後年ドイルはこれを模してホームズとワトスンを造り出し、この引立役を「ワトスン役」と通称することになったが、「ワトスン」は天才探偵には欠くべからざる相手役であり、天才探偵を主人公とする作風においては、現在でも「ワトスン」を廃止することが出来ない状態である。ポオがその最初において、いかに抜きさしならぬ構成を確立していたかを知るべきであろう。ウエルズ女史は『技巧』の中で、ワトスン役を古代ギリシア劇のコロスに比しているが、面白い見方である。コロスは今のコーラスの前身で、当時は事件の進行を歌い、あるいは登場俳優に問いかけたりして、演劇の意味を明瞭ならしめる役割を勤めていた)
又、天才探偵の原理は現在でも半ば以上の作家が踏襲するところで、一九二○年フロフツが平凡探偵を登場せしめて、ポオの天才原理に反逆するまでには、八十年を要した。しかもフロフツ流の凡人探偵派は必ずしも優勢ならず、現在でも天才探偵を主人公とする作家が遥かに多いのである。
次にポオは『モルグ街』において「出発点の怪奇性」と「結末の意外性」という法則を樹立した。前者は人力をもっては行ない得ざる暴虐と密室の怪奇、後者は猿類が犯人であったという極度の意外性である。又、彼はデータは出来る限り読者の眼前に曝し、しかも意外の結末をつけて見せるという「挑戦」の原則をも打建てた。『モルグ街』における新聞記事の引用、ことに猿類の声を聞いた、国籍を異にする数人の人々が、それぞれ自国語以外の言葉であったと証言するくだりなどは、鮮かにこの原則の効果を出している。窓の留金が内部で折れていたのを、閉されていると誤認したのは、いささかアンフェァではあったが、全体の意図としてはフェア・プレイが考慮されていたことは申すまでもない。『マリー・ロジェの新聞記事の引用も、同じくデータの明示であった
ポオはまた、推理に関する二三の重大な原理に着眼していた。その一つは、途方もなく奇怪な事件、たとえば『モルグ街』の如きものは、外見とは逆に捜査し易いが、一見平凡な事件、たとえば『マリー・ロジェ』の如きは、かえって捜査が困難だという原理で、前者は小説的犯罪、後者は現実の犯罪に相当する。
今一つは、あらゆる可能性を検討し、次々とエリミネートしていって、最後に残ったものは、たとえいかに不可能に見えようとも、それが結論である。いかに犯人らしくなくても、それが犯人であるという原理で、後にガポリオーはルコックをしてしばしばこの原理を語らしめているし、その後今日に至るまで、このエリミネーション」による推理は、探偵作家の金科玉条となって来た。
又、デュパンは『モルグ街』でこの原理を説いたあとで、「むしろ、こういう見せかけの『不可能性』が、実際は存在しないのだということを証明するのが、ポオくたちの仕事として残されているわけですよ」と云っているが、この言葉は往年私がよく筆にした「探偵小説は不可能を可能にする術」という言葉と背中合せで、いわゆる「不可能興味」につながるものであり、現にカーなどの作品の中心興味となっている不可能犯罪(インポシブル・クライム)の観念は、早くもポオの第一作の中に含まれていたのである。
そのほか、推理の過程をそのつど読者に打ちあけることなく、小説の最後において、探偵がこれを一括して物語るという形式なども、ポオの原型がそのまま踏襲されているし、又、ヴァン・ダインによって有名になった探偵小説とペダントリーの近親関係も、実はポオによって創始され、後代の多くの作家にその影響を残したものである。ポオは、充分の学問をしていない為に、組織された知識を持たなかったけれども、彼の超絶的性格は逆にこれを蔽うために、街学をこととした。(アンドルー・ラングは、ポオは学者的素養なくして、学者的趣味を持っていたと云っている)彼はラテン原典の引用など往々間違いをやっていたことを、後の学者によって指摘されているが、専門の学者から見れば、たとえ生半可にもせよ、彼は常人の及びもつかぬ奇異なる知識を豊富に貯え、これを随所に点綴して、作品に一種の美観を添えたのである。
3 トリックの創造
次に私はポオの五つの作品のそれぞれについて、彼が創案したトリックの主なるものを調べ、その後代への影響を考えてみたいと思う。
まず『モルグ街』では、後代に影響を与えた意味でもっとも大きなトリックは、たとえその解決がアンフェァであったにしても、やはり「密室犯罪」の創案を挙ぐべきであろう。これを模して、ドイルは『まだらの紐』(『ホームズの冒険』)を書き、ザングウィルは『ボウ町の怪事件』を考案し、引きつづいて、いかなる探偵作家も生涯に一度や二度は「密室」を扱わなかったものはないほどの流行を来たし、近年に至ってはカーを総帥とする「密室派」(ロックド・ルーム・スクール、あるいはシールド・チェンバー・スクール)の一団を生むに至ったほどである。
又『モルグ街』では、犯人の意外性においても、「動物犯人」という飛切りの着想が創案されている。ドイルはやはり『まだらの紐』で、オラン・ウータンを毒蛇に変えて、これを応用し、アントニー・ウィンは『キプロスの蜂』(本文庫『世界短編傑作集3』)で昆虫殺人を案出し、ある作家は生きたトカゲを這わせた煙草・ハイプで人を殺すことを考え出した。いずれも人間以外の犯人を作り出すことによって意外性を強めようとしたもので、『モルグ街』の「動物犯人」手法は、その俑(よう)をなしたのである。
チェスタトンの『三つの兇器』(『ブラウン神父の童心』)で、打撲傷を受けて屋外に倒れている死体を取りまいて、兇器が見つからぬと騒いでいるところへ、ブラウン神父が現われ、この兇器は余り大きすぎて目にはいらないのだ、兇器というのはほかでもないこの大地(つまり地球)である。被害者は階上から墜落して、大地にぶつかって死んだのだと説明する個所があり、私はこの着想を非常に面白く思っていたが、今度この小文を書く為に『モルグ街』を読み返してみると、これはチェスタトンの発明ではなくて、それと同じ言葉をデュパンが喋っているのに気づき、ポオ探偵小説の底知れぬ鉱脈に一驚を喫した。すなわち、デュパンはレスパネー夫人の死体の打撲傷について「(警察の人たち)は、これは何か鈍器で傷つけられたものだと言っていた。その限りでは、この二人の紳士の意見は正しいでしょう。鈍器というのは、明らかに、中庭の敷石なんですよ。レスパネー夫人は窓のそばの寝台から、その上に落っことされたのさ」と云い、早くもブラウン神父に先鞭をつけていたのである。
ドィルの『まがった男』(『ホームズの回想』)は犯罪現場に残された奇妙な動物(マングース)の足跡から、ホームズがその動物の持主を探す話だが、これは『モルグ街』でオラン・ウータンの持主を探す着想と酷似し、ドイルはここでもやはり、ポオの作品から暗示を受けている。
トリックではないけれども、ドイルが『モルグ街』の中の着想を、そのまま使用しているものが二つある。その一つは観察と推理による読心術で、デュパンは「たいていの人間は胸に窓をあけているようなものだ」と云い「私」という人物が心中で考えていた事を看破して見せる個所があるが、ドイルは『入院患者』(『ホームズの回想』)にこれをそのまま取入れ、ホームズをしてワトスンの心中を看破せしめている。
今一つの類似は、『モルグ街』でデュパンがフランスの盗賊あがりの名探偵ヴィドックを評して「例えば、ヴィドックは、たしかに勘も鋭いし、忍耐強い男だ。でも、無学だから、捜査に熱心になるあまり、いつも失敗ばかりしていた。あいつは、対象をあんまり近くからみつめるせいで、よく見えなくなるんですよ。まあ、部分的には一つ二つ、たいへんはっきり見える点もあるだろうけれど、そうなれば必然的に、全体を見失うことになる。(後略)」と非難すれば、ドイルは第一作『緋色の研究』で早速これを真似て、ホームズにデュパンとルコックの悪口を云わせている。すなわち
「ぼくにいわせれば、デュパンははるかに劣っている。十五分間も黙りこんだあとで、気の利いた意見をはいて友人の思索を破るなんて、あんなやり口は見栄をはった、浅薄なやり方だ。ある程度には、分析の天才だったにちがいない。だからといって、ポオの想像していたほど非凡な人物とはけっしていえない」又「ルコックなんて、へまばっかりで、見ちゃいられない。ただ一つのとりえといえば、精力という点だけだ。あの本(ガボリオー作「ルコック探偵」)はまったく、やりきれぬほどいまいましい。問題の焦点は口を割らない被告の身元を外部から確認するだけのことなのだ。ぼくならまる一日かかればできる。ルコック先生は半年もかかっている。あの本は探偵のおちいりやすい誤ちをしめす教科書になら役に立つだろう」(阿部知二訳)
デュパンはヴィドックの唯一の取柄をその根気強さとなし、ホームズはルコックのそれを精力的な点にあるとし、努力探偵を軽蔑することで一致しているのは面白い。近年ではこの考え方が逆になって、クロフツなどの根気強い足の探偵も又名声を博するに至った。ホームズはデュパンの悪口を云っても、ドイルはポオを尊敬していた。それなればこそ、ポオの創造した原型を踏襲し、多くのトリックをも模倣したのだし、又、ホームズにしても、「見栄をはった浅薄なやり方」と軽蔑した読心術を、後に彼自から演じていることは前に記したとおりである。なお、ドイルはポオについてこう書いている。「エドガー・アラン・ポオは探偵小説の父であった。しかし、彼は探偵小説に関するあらゆる手法を案出してしまったので、あとに続くものは彼自身の創意をどこに見出したらよいのか、私にはその余地がほとんどないように思われる」(メリ・フィリップス『人としてのE・A・ポオ』による)しかし、ドイルはこの困難をよく克服して、彼自身の創意を生み出している。一方ではポオの模倣もしたが、一方ではポオの知らなかった手法をも編み出しているのである。
クルーチの『天才の研究』は精神分析的な優れた洞察に富むとは云え、ポオを余りにこきおろしすぎている点に同意し難いものがあることは、前にも記したが、そのクルーチはポオの探偵小説の後継者について、次のように記している。
「シャーロック・ホームズは彼自身の性格においても、又二人の引立役(いささか間の抜けた彼の友人と無能な警察官)との関係においても、おかしいほどデュパンそのままであるが、しかし、ホームズが登場する物語の色調はポオのそれのように病的ではない」この間にポオの科学小説の後継者ジュール・ヴェルヌについて述べた後「コナン・ドイルとジュール・ヴェルヌは本質において白昼の作家であり、これに反してポオは、極度に合理主義的な作品においてすら、その情景や気分は、闇夜とは云わないまでも、黄昏の作家である」
クルーチは「病的」「黄昏」などを悪い意味に使用しているが、貝殻の病気から真珠が生まれることを信じている私は、例によって、この点には同意出来ない。むしろ逆に、私などはドイルの白昼的平俗にあきたらず、ポオの夜の夢(黄昏ではなくて夜だ)の「架空のリアル」に心酔するものである。私のもっとも愛するポオの言葉「この世の現実の出来事は、私にとっては単なる幻影にすぎない。これに反して、夢の国の物狂わしき影像こそ、私の日々の生命の糧であり、さらに強く、かかる夢の国のみが、私にとっての全実在である」
天才探偵デュパンはこの物狂わしき夢の国から生まれて来た。それ故に、共にエクセントリックでありながら、ホームズとはまったくその本質を異にする。デュパンは本物、生まれたもの。ホームズは造りもの、つけ焼刃。ポオの作品において、記述者の「私」はまったく影が薄く、デュパンの方が生きているのは、彼こそポオの分身だからである。これに反して、ホームズ物語では、ホームズよりもワトスンの方が生きている。ドイルの分身はホームズではなくてワトスンだからだ。
ポオの小説の記述者「私」は、オーギュスト・デュパンと、モンマルトルの名もない図書館で、稀本を猟っていた時に、知合いになった。そして、サン・ジェルマンの淋しい廃屋に共同生活を送ることとなり、完全な隠遁生活にはいった。デュパンは夜そのもののために夜を愛し、昼間は鎧戸を閉め蝋燭をともして、夜を模造した。そして、二人は古色蒼然たる書物に読み耽り、妖異怪奇なる会話を楽しんだ。これに反して、ワトスンとホームズは部屋代倹約のために、同居の協定を結び、ホームズは初めから探偵事務所を開いた。ホームズはエクセントリックながらも、交友は広い方であった。一方は夜の夢、一方は昼の実務、デュパンとホームズの性格は、似たるが如くにしてはなはだしく異なっていた。両方共通するところは、濛々たるパイプの煙の中に思索する性癖くらいのものであろう。
第二作『マリー・ロジェ』は事実に基いた小説だから、トリックにこれというものもないが、ここにはもっとも興味の深い暗合(コインシデンス)と確率(プロバビリティー)の問題が提示されている。
ポオは、偶然の暗合というものは実は偶然ではない。それらは地上に露頭した一小部分であって、その下部には見えざる巨大なる地下構造があり、もしその全部を計算し得たならば、偶然も偶然でなくなる。プロバビリティーの計算とは、かかることを為しとげんとするものである、という意味のことを、デュパンに云わせているが、しかし、ポオはここでは小説『マリー・ロジェ』と実際の「メアリ・ロージャーズ事件」との暗合という、象徴主義的な意味でこの言葉を用いているので、犯罪又は捜査に直接これを応用しているわけではない。
プロバビリティーの法則を殺人手段に応用したのは、谷崎潤一郎の『途上』が一番早いのではないかと思う。私も『赤い部屋』で不器用にこれを真似たことがある。外国の作品で私の読み得たのは、一九四五、六年頃の<クイーン雑誌>に載ったプリンス兄弟作の『指男』にこれがあり、フィルポッツの長編『悪人の肖像』(一九三八年)に充分意図してプロバビリティーの殺人が描かれていた。寡聞にしてこれらより早いものを知らない。
又ここの意味とは違うけれども、ポオは『アッシャー家』の末段に「暗合」そのものの恐怖を非常に巧みに描いている。朗読していた古代の物語の中の文章に記された物音と、現実の異様な物音とが、一度ならず暗合して、悲惨なカタストロフィiに陥ちて行くこの場面は、谷崎潤一郎の『恐ろしき戯曲』の、脚本と実際の殺人との、あの人為的暗合と異質のものではない。
第三作『黄金虫』は前半の怪奇小説の部分を褒める人が多いけれども、私はやはり後半の推理の部分に心酔している。ポオ自身はこれをもっとも簡単な暗号と云っていたにもせよ私は初読の時、この暗号解読の手順のすばらしさに、文字どおり驚嘆したものである。あとになって、アルファベットの頻出度の統計は、ポオ以前から言語学者によって行なわれていたことを知って、やや失望したが、それにしても、これに着眼して小説に取入れたポオの創意には敬服せざるを得ない。ポオの『構成の原理』の原理によれば、この小説の着想の中心は恐らく暗号解読にあったと思われる。その中心題目を捨てて、前半の怪奇のみを賞美するのは、作者の真意にも添わないわけである。ドイルはこの『黄金虫』の暗号の部分を採って『踊る人形』(『ホームズの帰還』)を書いた。タイプライターの記号を、旗を持つ人形に変えたのみで、解読の方法はまったく同じである。
現代の暗号記法は、ポオの時代とは比べものにならぬほど複雑化している。アメリカの女流探偵作家ヘレン・マクロイは最新の暗号知識に基いて、長編『パニック』(一九四四年)を書いたが、暗号発達史を理解するのには役立つけれども、暗号そのものは機械的で機智がなく、少しも面白くない。又、一九四七年レイモンド・ポンド(米)編纂の『暗号ミステリ傑作選』(創元推理文庫刊)が出版され、好評だったので、私も一読したが、探偵小説始まって以来の佳作を集めたその中にも、『黄金虫』ほどの驚異のある作品は一つもなかった。結局、ポオは暗号小説においても、もっとも古く、しかも優れた作家だったということになる。
第四作『お前が犯人だ』は前記『黄金虫』と共に純探偵小説として認められていないものである。ヘイクラフトは『娯楽としての殺人』の中にこう書いている。
「往々にして『黄金虫』は探偵小説と呼ばれるが、これは間違っている。ミステリーの、また分析推理の傑作ではあるけれども、主人公ルグランのすばらしい推理のデータが、予め読者に示されていないという、簡単明白な理由によって、これは探偵小説ではない。『お前が犯人だ』についても同じことが云える。この小説は形式において『黄金虫』よりも探偵小説に似ているが、やはり重要な推理のデータが故意に隠されている。この小説では、被害者の乗馬の体内にとどまっていた弾丸の個性鑑別によって、一応犯人が指摘されるが、後になって馬の傷は貫通銃創であったことが、読者に告げられる。これは探偵小説として許すべからざる反則である」
ヘイクラフトは他の場所では必ずしもそうでないのに、ここでは単なるミステリーと探偵小説とを峻別している。こういう考え方をすれば、西洋の傑作集などにはいっている探偵小説の半ば以上が、不合格になってしまうであろう。
『黄金虫』は形式は普通の探偵小説と違っているけれども、仮りに前半と後半を分けて考えれば、少くとも後半の暗号解読の部分は純探偵小説である。これほど推理の快感を盛った作品は滅多にないと云ってもよい。又、データを示さないと云うが、暗号文は解読にはいる前にちゃんと示されている。それが徐々に解かれていって奇妙な文章となり、さらにそれを解読するという順序を踏んでいるのだから、別にデータを隠したことにはならない。型どおりの探偵小説ではないにしても、その推理興味の強烈な意味で、世にありふれた本格物などよりも、遥かに本格味を持っていると思う。『お前が犯人だ』にしても、この方は確かに論理的興味は稀薄だけれども、この程度の探偵小説は世間にいくらもあるのだから、強いて非本格を主張することはないであろう。貫通銃創が隠されていた点が読者に不満を与えるのは事実だが、そういえば『モルグ街』だって、窓の釘が折れているのを、わざと調べさせないでおいて、無理な密室を作ったという非難を免れまい。その相違は五十歩百歩である。
ところが、そういう風に無視されている『お前が犯人だ』には、意外にも、探偵小説の重要な手法が豊富に含まれている。まず、犯人を話の初めから読者の目の前に曝しておく手法が、大胆に実行され、この点ではもっともフェアだと云える。又、相当手のこんだ偽証のトリックがある。その偽証の一つ、乗馬の体内にとどまった(と称する)弾丸についている鋳型の癖によって、ピストルの持主を指摘する手法は、銃身の弾道によって生じた弾丸の外面の微細な擦り傷を検鏡する最新の鑑識法と、本質として同じものであり、ポオが早くも弾丸の個性鑑別に着眼していたことを語っている。
しかし、この小説のもっとも大きなトリックは「モスト・アンラィクリー・パーソン」の法則を創始していること、すなわち探偵の役割を勤めていた人物が、実は犯人であったという極端な意外興味の着想である。もっともこの作は最後の死体が起き上がって物を云う怪異に重点がおかれている為、犯人の意外感についての用意が、ややおろそかになり、その上どこかユーモラスな書き方をしているので、犯人が早くから分かる欠点はあるが、探偵が犯人であったという形式は、一応創案されている。「探偵即犯人」トリックは「被害者即犯人」トリックと共に意外興味のもっとも極端なもので、その後多くの作家によって使用されているが、ポオは不充分ながらも、この作でそれにも先鞭をつけたのである。
もう一つ云えば、この作には腹話術が出て来る。腹話術の欺瞞は各時代の探偵作家のペットとなって来たが、それを初めて探偵小説に取入れたのもポオであった。
第五作『盗まれた手紙』はポオの探偵小説の中でもっとも好評の作品である。クイーンも短編ベスト・テンのポオの作としては、これを選んでいるし、最近私が統計を取ってみた英米の十五冊の著名な短編探偵傑作集でも、作品の頻出度でこの作品が第一位を占めている。又ヘイクラフトは前記の著書の中に、この作について次のように書いている。
「『盗まれた手紙』はデュパンの登場する三つの探偵小説の内で、構図の巧みさにおいても、文学的価値においても、遥かに群を抜いた満足すべき出来栄えである。これは他の二作よりも単純で、短くて、よく縄り、作の主題をしっかり掴んでいる。冒頭に例の賎舌な理屈が続くことなく、単刀直入に本題にはいっているのも快い。わずか数行で舞台面が描写され、しかも、従来の作に比べて、ずっと巧者に、自然に描かれている」
私もポオの探偵小説で何を採るかと云われたら、結局『盗まれた手紙』を選ぶことになると思うが、しかし、ヘイクラフトが云うような纏りがよいとか巧者だとかいう理由によるのではない。私としてはやはり、もっとも巧みな隠し方は隠さないことだという心理的テーマを第一として、地図の中の大きい活字ほど探しにくいとか、相手の顔つきを真似ればその考えが分かるとかいう、常識以上の機智の面白さに惹かれる。
もっとも巧みな隠し方は、露出しておいて、しかも相手の盲点に入れることだというこの着想は、探偵作家のしばしば用いる「盲点原理」の先駆であって、チェスタトンの作中、私のもっとも愛する『見えない男』(『ブラウン神父の童心』)の、いつも目の前にいながら、犯人が郵便配達夫であった為に、盲点にはいっていたというトリックも、これとまったく同じ原理によるものである。チェスタトンはポオのこの作から暗示を得て『見えない男』を書いたのではないかと推察される。
看板の文字や地図の中の活字は、大きいものほど探しにくいという考えも、やはりチェスタトン好みで、先に挙げた「大地という兇器が、大きすぎる為に目にはいらなかった」という着想とも、一脈の通ずるものがある。
ドイルはほとんどこの作を模して『ボヘミアの醜聞』(『ホームズの冒険』)を書いた。デュパンは大臣の書斎の窓の外で空砲を撃たせて、大臣が窓際へ駈けつけた隙に、手紙を取返したが、ホームズは女優の窓の外で、煙を立てた上「火事だ」と叫ばせ、女優の注意をそらしておいて、問題の写真を取返した。一見してポオの模倣であることは明瞭である。しかし『ボヘミアの醜聞』にはそのほかになんら創意あるトリックもなく、面白さにおいても文学的価値においても、『盗まれた手紙』とは格段の相違があり、模して及ばざるのはなはだしきものであろう。
以上で五つの作の主なトリックと、その後代への影響について、あらましを記し終わったが、これらのトリックの内、その後もっとも多く使用せられ、もっとも長い生命を持った著しいトリックは「密室殺人」と「探偵犯人トリック」と「盲点原理」の三つであろう。たった五編の探偵小説によって、かくも重要なトリック原型を三つまでも創案し、その後百年に亙って、多くの作家にこれを模倣せしめたことは、ポオの独創力がいかに偉大であったかを語るものである。
ポオ以後に考案されたトリックは、右のほかにもたくさんあるが、そのもっとも大きなものは「一人二役」のうちの被害者が犯人だったという逆説的トリックである。面白さにおいても、使用された頻度においても、変形が無数にある点でも、このトリックが断然他を抜いている。そういう最大のトリックを元祖ポオはなぜ見のがしたのか、私はそれをこう解釈している。
このトリックにはディケンズが『バーナビー・ラッジ』で先鞭をつけた。しかも、ポオは前にも記したとおり、それを看破して新聞にまでのせている。又トリックに重点を置いた『「バーナピー・ラッジ」評』を書いている。ポオはディケンズと共にこのトリックを知っていた。それを海の向うの先輩に先に書かれてしまったので、同じトリックを又むしかえす気がしなくなったのだと、私は解釈している。つまりもしディケンズが『バーナビー・ラッジ』を書かなかったら、被害者即犯人トリックを用いた探偵小説を、ポオの方で書いていたかも知れないという意味である。
付記 この「探偵作家としてのエドガー・ポオ」は、<宝石>昭和二十四年十一月号に発表され、その後、評論集『幻影城』に収められた著者の代表的作家論の全文である。ただし、御遺族の了承を得て、表記を新しくし、書名、引用は、本文庫版、並びに小社発行の『ポオ全集』の訳題、訳文に拠ったことを、お断わりしておく。
なお、文中にある『詐欺――精密科学としての考察』『構成の原理』、およびディケンズの『「バーナビー・ラッジ」評』の三編、および『鴉』をはじめとする全詩集が、いずれも『ポオ全集』第三巻(注:単行本)に収録されているので、そちらを参照されたい。(編集部)
再付記 その後、本文庫に『ポオ詩と詩論』が加えられ、『鴉』を含む詩全編と『構成の原理』などの代表的詩論が収められたので、併せて御愛読をお願いしておく。(編集部)
ポオ小説全集4
1974年9月27日初版
1980年9月2日10版