odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

横溝正史「蔵の中・鬼火」(角川文庫)

 新青年の編集長をやめ文筆一本で生きようとしたら、結核で一年間の療養。そのあとに書かれたものを収録。

鬼火 1935.02-03 ・・・ 信州・諏訪湖のほとりにある瘴気に囲まれた陰気なアトリエ。そこに放置された強大な裸婦像。その絵の背後に隠された妄執の物語。本家の息子・万蔵と分家の息子・代助。同年生まれの二人は幼いころから激しいライバル心と嫉妬をもっていた。いくつかの葛藤ののち、同じ画家になり一人の女を取り合う。代助の仕事を見た万蔵は嫉妬のあまりデマの密告状を投書し、同時期の共産党検挙事件に連座させた。しかし、万蔵は汽車の脱線事故でひどい怪我を負う。アトリエを作り、引きこもりの生活をしているところに、脱獄した代助がお銀を頼って訪れる。
 ここで目に付くのは銀の仮面。万蔵の怪我した顔を隠すためのものであるが、それに代助はひきつけられる。まあ、言ってみれば、これはいがみ合う万蔵と代助が<顔>を持とうとする執念の話なのだ。二人のいがみ合いは相手にどの場面でも優位に立ちたい気持ちであって、なにかの自己実現とは無縁。先に都会に出た代助への羨望だけが万蔵を画家にした理由。代助が獄舎にあるとき、つまりは「主体」を持たない万蔵はやることがなくなっている。怪我をしたのを幸いに、銀の仮面というかりそめの顔でとりあえずの「主体」を保持するわけだ。代助も同様に、警察に追われる身を隠すための手段が銀の仮面という顔。顔を持つこと=主体の回復が成人した彼らの欲望。それをたきつけたのが、過去にも未来にも煩わされず現在にだけ生き、肉体そのものが主体であるお銀という「運命の女」。こんな図式でよいかな。このような不在の主体を回復する欲望は、作家の作品にはたくさんあったとおもう。とくに金田一の訪れる古い庄屋では、父権が喪失したときに、主体を回復しようとしたものが犯意を募らせ、事件を起こすのだった。あと、珍しく男色が書かれていて、乱歩ならともかく、横溝には珍しい(追記:いいえ「白蝋変化」がありました)。そっちからみると、これは男3人の失敗した心中事件ともいえる。

蔵の中1935.08 ・・・ 雑誌「象徴」の編集者が、素人の持ち込み小説を読む。そこには誰にも知られていないはずの自分の行動が逐一記録されていた。という物語の枠が壊れて、どちらが図でどちらが地かわからないという倒錯感。それよりも、唖の姉と女装趣味の弟の妖しい関係のほうにより興味をひかれる。舞台になるのが商家の蔵。フロイト的な性倒錯の意味をいくつも発見したくなる舞台。そこにこもって外界を遮断。外との関係は遠眼鏡ひとつ。ここには視覚をめぐる倒錯もあるわけで、この三重の倒錯が妙に心地よい。江戸川乱歩「人間椅子」と比べるべし。
(蔵にこもって遠眼鏡で外を覗くというのは、乱歩「孤島の鬼」「押絵と旅する男」、小栗虫太郎「人魚謎お岩殺し」などがあって、それぞれの視姦の欲望に差異があると思う。識者の検討を待ちたい。)

かいやぐら物語1936.01 ・・・ 尖端恐怖症の医学生と肺病の女学生の失敗した心中。肉体へのフェティシズム木々高太郎「睡り人形」に似ているかな。かいやぐらは蜃気楼のこと。

貝殻館奇譚1936.01 ・・・ I半島にある通称貝殻館。当主の妻の座を月夜から奪った美枝は犯罪を目撃されたことを恐れて、小屋住まいの少年に接触する。横溝版「お前が犯人だ」なんだけど、清楚なお嬢さんがあるきっかけから犯罪者に変転するのは、のちの作家の女性犯人(あれのあの人とか、これのこの人とか)を彷彿。彼女らは美枝と同じような心理過程を経たのだろうな。貝殻館の内装が描写されて、「パノラマ島奇談」のような華麗な筆致で描かれる。でも執拗さが乱歩ほどではないのは枚数に限りがあったからかな。

蝋人 1936.04 ・・・ 若い美貌の芸妓が繭問屋の旦那に買われた。しかし、芸妓・珊瑚は美少年の騎手・今朝治に惚れる。一瞬のきらめきの日々も旦那の知れるところになり、今朝治はひどい仕打ちを受ける。珊瑚はチブスの病篤く盲目の身となれる。それでも、珊瑚は今朝治の思い立ち切れず、彼によく似た人形を手に入れ、夜ごと愛撫する。タイトルは今朝治によく似たマネキンの云いであるが、もうひとつ今朝治に施された処置による。まあ、「トリスタンとイゾルデ」の本邦版であるが、よりグロテスクにより煽情的になり、ここには形而上の観念ではなく、それぞれの狂気だけがしがらみあう。

面影双紙 1933.01 ・・・ 朴念仁の男と結婚した17歳の商家の娘。娘は芝居に踊りにと遊びに余念がなく、夫はそれを放置。ついに芝居役者を連れ込むようになって男はいきなり失踪した。そのような夫婦(淀川長治の父母に似ている)を親にもつ子供の打ち明け話。ルヴェルのような人情の怪異。


 キーワードは「閉じ籠もり」。話の主要人物や聞き手の誰かが様々な理由で部屋に閉じこもり、外との接触を遮断して暮らしている。たいていの理由は病気、外傷など、自分の外の原因で閉じこもりを余儀なくされた。そのためか、語りの相手が自分一人になって、独り言を繰り返しているうちに、他人との関係の持ち方がおかしくなり、他人に対して観念とか妄想をどんどんふくらまして行き、それにおびえていく。あるいは観念や妄想に自分が使われるようになり、自我がどんどん小さくなっていく。主客が転倒した倒錯状態にあるわけだな。だから他人との関係がいびつに、おかしくなっていく。外に出ると、他人に対しては迎合的か被害妄想的になる。そういう人たちの悲劇。
 同じように部屋にこもる人を描いたのは乱歩がいるけど、こちらは自分から進んで篭もることを決めた「引き篭もり」。こちらの人物の場合は、すでに他者との関係は切れていて、自我が肥大していき、内なるパラダイスを妄想する。変人・奇特な人の評判を持っていてそれを気にしない。主の妄想が拡大・発展して社会とのずれが大きくなっているのだ。外に出て行動的になると、他人には支配的・抑圧的にふるまう。それが悲劇の原因になる。
 横溝の「閉じ籠もり」と乱歩の「引き篭もり」。見かけは似ていて、しかし決定的に違う。
 あと、文体が変わった。以前のジャーナリスティックな勢いのある書き捨ての文体が消え、漢語を多用した美文になる。その結果、物語の速度は落ちてしまったが、登場人物の妄執をじっくりと描き、読者の心底を寒からしめるのに成功した。この文体は書くことが大変と思え、この文庫本に収められたもののほかにはめったに見られない(戦後の大作ではここまで凝っていない)。なので、この時期の作品の幾つかを珍重する理由になった。