odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

杉本良男「ガンディー」(平凡社新書) 彼は非暴力的抵抗と殉教のイメージの人ではない。21世紀には評価が揺らいでいる。

 マハトマ・ガーンディー「真の独立への道」(岩波文庫)1909年を読んだが、ガンディ(表記は揺らぎがあるが、ここでは本書の表記を採用)の考えはよくわからなかった。そこで、2018年にでた評伝を読む。

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 重視するのは、ガンディの思想のオリジナルを探すのではなく、19世紀から20世紀前半にかけて流行った秘教思想、神秘主義の影響をみるところ。なので、まず冒頭の章にある19世紀西洋の秘教主義・神秘主義の流行に関する情報に驚いた。すなわち18世紀の科学主義の反動か、19世紀は宗教的リベラリズムがヨーロッパとアメリカで流行ったのだった。自分はこれまで19世紀の反科学運動はロマン主義の系譜でみていたがそれだけではなかったのだね。この宗教的リベラリズム(ほかの宗教の良いところも取り入れるナンデモありの立場で、宗教的な普遍主義をめざしたらしいもの)は心霊主義があり、グノーシス主義・ヘルメス主義の異端の宗教に関心をもっていた。ダーウィンのような科学主義で教会の権威が落ちていきつつあったので、教会批判に対抗する目的もあったらしい(なので、コナン・ドイルの秘教思想チェスタトンの反科学がどこからでてきたかがみえてくる)。アメリカではスウェーデンボリ思想やメスメリズム思想が流行(これはエドガー・A・ポーを読むと歴然)。この秘教思想の中心にいるのが、マダム・ブラヴァツキー。彼女の作った神智教会は多くの会員を各国で持ち、支部ができたが、ブラヴァツキーらはインド思想に強い影響を受けて、インドに支部を作った。そしてイギリスの植民地になっていたインドの独立を果たそうとするインド国民会議には、神智教会の会員が多数いた(宗教ナショナリストも当然いた)。インドにはヒンドゥーイスラムの信者が多数いて、独立や自立を宗教的な信念から実行する。ここは日本と大きな違い(朝鮮や中国には宗教的な独立運動結社があったので、日本が珍しいのか)。
 ガンディは1869年生まれ。中流から上流階級の生まれ。19歳でイギリスに留学。もともと宗教的な理念の持ち主であったが、留学先で菜食主義団体と接触するなかで神智教会を知る。いずれもキリスト教批判の強い人の集まり。そこで培われたことが、弁護士として派遣された南アフリカの差別体験(白人から受けるものとアフリカ系への加害するものと)で、独自の考えを持つにいたる。もともと植民地エリートとして留学したように親英であったのが、神智教会の秘教的キリスト教を知り、さらにトルストイの宗教的普遍的な愛の思想と、ヒンドゥー教などがまじりあい、インド独立の運動方法としての非暴力的抵抗も徳を高めるしゅうきょうてき実践として規定される。社会運動と存在革命をいっしょに進行させるわけだ。ボルシェヴィキのような社会革命を優先する考えではなく、宗教的な苦行のなかに社会運動があるとする。当時インドの独立運動にはエリート主義現実主義のネルーやボース、あるいはヒンドゥ至上主義のグループもあったが、ガンジーの特色は民族主義(反エリート主義)と理想主義。政治的にはガンディーは負け続けであったが、容姿や服装、清貧な生活や断食などの苦行をするところから民衆の強い支持を受け、多数の人々が参集した(ときに彼を聖人視するものもいた)。そうしてインド独立戦争の中心人物になったが、強いヒンドゥー主義はムスリムらの離反になり、インド(ヒンドゥー)とパキスタンムスリム)の分離独立の原因になった(ガンディーとムスリムの指導者との個人的な反目が分離独立になったとみる研究者もいる)。1947年、インドの独立後にヒンドゥー至上主義者に暗殺される。
 こういう経歴をかたってもガンディーが見えてこない。本書によると、没後70年でガンディーには、1.インドナショナリズムのシンボル、2.ガンディ主義者、3.奇人、4.神話化された聖人像の4つの見方があるという。インド国内では1であり、国外では4である。とくに市民運動、反差別運動などでは非暴力的抵抗(というのはガンディーの思想を表現していないという)と殉教のイメージが強く、そこだけが引き合いにでてくる。そこは、キング牧師マンデラオバマ(自分はマルコムXも追加)のような人物に共通している。どうも自分はキング牧師マルコムXと同様、ガンディーもやったことと考えていることの全体がつかめなくて、どう評価してよいのかわからない。彼らがいずれもマイノリティであるというところが、俺の内なる差別に由来した理解しがたさになっているのだろうな。
(さまざまな市民運動にたいして、ガンジーのような「非暴力的抵抗」をしろと「善良」なアドバイスをする方がおられるが、ガンジーの抵抗は警察や軍隊が排除や逮捕、暴行をしてくる場面になっても、無抵抗でその場を動かないというもので、怪我をするのは当然、ときには死者もでるというものだった。こういう「過激」なやり方をとるべきなのでしょうか?)

 

 

 追記
 夏目漱石は1867年2月9日生まれで、30歳前後にイギリスに留学する。その後帰国して小説家となり、1916年に49歳で早世。生まれと経歴の一部が重なっている。漱石はのちに中国人や韓国人への差別意識を持つようになる(「満韓ところどころ」「満韓所感」など)。イギリスからするとアジアの異国民であるのに、どうしてこうなったのか。漱石とガンディーの違いはなにかということを最近(2021年)考えている。