odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

エリザベス・フェラーズ「私が見たと蠅は言う」(ハヤカワ文庫)

 「ロンドンの安アパートは、女流画家のケイ、評論家のテッドとその愛人メリッサ、建築家のチャーリーに、作家志望のナオミなど一癖も二癖もある住人揃い。ある日、フランスへ行くとアパートを出たナオミの部屋からピストルが発見された。みんなが不安を煽られたその矢先、ナオミ自身が射殺体でみつかり、容疑者にされたアパートの住人たちはそれぞれ勝手に推理しだす……二転三転する真相から目が離せないユーモラスな本格」
Amazon CAPTCHA

 九鬼紫朗「探偵小説百科」に載っていたタイムズだったかのオールタイムベスト99(100でないのはあと一つを自分で選べ、ということか)にこの作品があげられていた(と思っていたが、そうではなかった。江戸川乱歩の「幻影城」とか「加田伶太郎全集」の序文あたりと思う)。それを知ったのは中学3年のとき。読みたいと思ったが、ハヤカワポケットミステリは品切れ中(2000年ころ復刊したらしい)。「僧正殺人事件」そして誰もいなくなった」などの、マザーグース見立て殺人物という系譜があることを知っていたので、そういう作品だろうと思っていた(タイトルは「誰が駒鳥殺したの」という有名なマザーグースの歌。このままのタイトルでフィルポッツが作品を書いている)。
 以来約30年を経て、ようやく読んだ。上記の思い込みはみごとにハズレ。大戦初期のまだ安全だったころのロンドンで、貧乏な下宿人たちにおこる殺人事件の話(初出は1945年)。多くは一人暮らしの女性で、家族もちはいない。このあたりは、時代を写し取る鏡としてのミステリが如実に現れていると思う。戦争の勃発で、男が徴兵されて職場から消え、女性が代わりに仕事をすることになったあたりを書いているのだ。当然、社会的な自立を獲得するかわりに孤独な一人暮らしを強いられる。ひとつの部屋にこもらざるを得なくなった人々の間には、心や気持ちを通わせる仕組みがない。そしてどろどろとした気分が内にこもっていき、犯罪に爆発する。そのことによって、20−30年代のミステリが家族の解体を主題としているものから、40年以降には個人の孤独を主題にするようになったのだ。
 中盤は、容疑をかけられた下宿人たちが表面上なごやかに、しかし一人としてお互いを信用していないで、推理ゲームを続けるシーンが続く。このあたりは退屈なのだが、面白いのは女性作者ということで、女性の描き方がとてもリアルであるということ。男性作家が女性を描くと、「マリア」「ヴィーナス」「老婆」「少女」の4パターンくらいしか描けないのだが、女性の筆になると、そんなふうにパターン化されることがない。そのリアルさが面白い。生活の些事でもって、その人物を印象つけるところも、眼が細かい。その代わり男性がパターン化していて、「王子」「ジゴロ」「老爺」「少年」というパターンになってしまうのはご愛嬌。男のキャラクターはみんな宝塚みたいだった。