odd_hatchの読書ノート

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ジェイムズ・M・スコット「人魚とビスケット」(創元推理文庫) WW2時代の海難とサバイバルの物語。極限状況で尊厳を貫くことは可能か。

 「1951年3月7日から2カ月間、新聞に続けて掲載され、ロンドンじゅうの話題になった奇妙な個人広告。広告主の「ビスケット」とは、そして相手の「人魚」とは誰か?それを機に明かされていく、第二次大戦中のある漂流事件と、その意外な顛末。事実と虚構、海洋冒険小説とミステリの融合として名高い幻の傑作、新訳決定版。」
人魚とビスケット - J・M・スコット/清水ふみ 訳|東京創元社

 タイトルだけで判断して手にしないというのは間違いだということを教えられるミステリでした。江戸川乱歩もタイムズも都筑道夫もこういう面白いミステリがあることを教えてくれなかった。植草甚一だけが紹介しているようだったが、翻訳は手に入らなかった。そしてきわめて遅れてこの本を手にしたというわけだ。

 ストーリーは枠構造。冒頭は上記のとおり。この記事に興味を持った作家(「わたし」)がビスケットとブルドッグと会い、広告の裏側の事情を聴きだすまで。匿名の人物と出会うまでの段取りがうまくいきすぎて、納得いかないけど、まあいいや。
 中心は、第二次大戦勃発時にインド洋で座礁した船で生き残った4人の漂流譚。日本軍のシンガポール陥落に伴い、避難する貨物船が潜水艦の襲撃を受けた。ラフトに残ったのは、男三人に女一人。男のうちの一人(白人と黒人のハーフで片足のパンサー:客室乗務員とされる)は粗暴で危険な雰囲気を持っていて、互いに信用ならないという状況に陥っている。生き残るためには協力しなければならないが、協力を拒むような空気がある。同時に女は謎めいていてこの極限状況にも愚痴ひとつこぼさず、一人で人間の尊厳を守ろうとしている。このような単純な設定で、しかもたった4人の登場人物がいるだけで、しかも舞台は4人が座ると満員になってしまう小さなボート。少量の水と食料。日中の熱射と夜の寒さ。ときおり嵐。というわけで、このような緊迫した状況を設定し、それを書ききったということだけでも、これは傑作というしかない。状況を説明する文章は人物を完全に突き放していて、どの人物に共感を覚えるということもなく、出来事をあいそなく描写しているにすぎない。しかし、そのような文体であるからこそ、この極限状況のすさまじさが表現できるわけで、ダーウィンの報告書を読むような味気なさも実は周到に計画されたものであるといえるだろう。
 漂流譚は約190ページ。途中無人島に漂着する。「15少年漂流記」のような無人島生活の後、再び漂流が再開される。事件といえば、無人島でなたを手に入れたナンバー4がキャプテンになろうとすることや、ブルドッグが彼を放置する試みを何度かすること。いずれも人魚の嘆願で成功しなかったが、最後にはナンバー4は洋上に置いてけぼりにされる。
 謎は人魚とは誰か、なぜ冒頭で人魚はかたくなに姿を現さなかったのか、なぜナンバー4の脅迫状が事件から9年後に届いたか、ということになる。もちろん合理的な解決が行われる。このあたりの論理的な説明はイギリス風のものだ。しかし、それ以上に心に残るのは、ラフトの上の四人の心理であり、だれが正義を体現しているのかということか。名前と肩書きを失った極限状態において、ヒトの正義はどのように貫かれるのか、そのとき見かけや喋りだけで判断することがいかに本質(というのがあるかはわからないが)を見失わせるか、というあたり。不思議なのは、登場するイギリス人が虚栄でもジェントルであろうとしないことだ。この種の品格はすでに絶滅していたのか、それとも極限状況においては放り出されてしまうものなのか。ラストには漂流を経験した3人が再会するわけだが、それぞれ正義が実現したか定かではない。このちゅうぶらりんな感覚が読者に残り、傑作を読んだという充実感とともに、未解決の問題が押し付けられたようでどうにも落ち着かない。この居心地の悪さがなにか声高にこの小説を語ることを拒むような気がする。
 海洋小説はイギリスのお家芸ともいうべきもので、「ロビンソン・クルーソー」の昔から今日に至るまでしきりに書かれてきたものだった。そういう文学史的な興味とは別のところで考えるとすると、この小説が書かれたのは1955年であったということに注目するべきだろう。同じ頃にはゴールディングの「蠅の王」が書かれていて、やはり海難とサバイバルの物語が書かれていたのであった。同じ時期に、日本では大岡昇平「野火」、武田泰淳「ひかりごけ」など、戦争と極限状態に関する小説が多くかかれたということを思うと、戦争という事態が人間に及ぼした影響を深く考え込むことになる。20世紀に書かれた小説のいずれもが、正義についての問いかけがあることに注目しておこう。
ヒッチコック監督の「救命艇」を見ておこう。)