odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

荒俣宏「決戦下のユートピア」(文春文庫)

 目の付け所が違うなあ。「あの戦争」を語るとなると、切り口はいろいろあれど、被害者か兵士であった日本人というところに落ち着く。空襲や機銃射撃、空腹、いじめ、買い出し、インフレ、物資不足、教練の記憶か、新兵訓練に外地派遣、死地、飢餓、収容所体験、そんな感じ。著者はそれはもちろん知っているが、でも戦争中にも庶民はいたでしょう(後述するように詐欺師も)と問いかける。古本屋で集めた雑誌に単行本を読みこなし、庶民の話題を集めてみると、そこには日常を残そうとする涙ぐましい、微笑ましい、愚かしい、ばかばかしいできごとがみつかる。なるほど、昭和20年になるまでは戦争は海の向こうの遠くにあって、それほど切実なものではない。ちょぼちょぼの生活が営まれ、平和時のわれわれとそれほかけ離れていない生活をしていたのだ、とわかる。この視点は重要。

 取り上げられたトピックに寸評を交えて。
結婚相談所: 人口増と若い男性不足のために結婚を増やそうと、相談所を私設・公設で作る。母親の高望みは今も昔も変わらず。

もんぺ: もんぺの普及を阻んだのは、都会の女たち。あんなのださくてみっともない、と。

幼児教育: 物資と人員不足で悩む若い母親の啓蒙活動。そこでは赤ん坊も戦時体制に組み込まれていた。

小国民教育: 小学校を改名した小国民学校で図画工作と音楽教育が重視された意外なわけ。

貯金: 全国民あげての貯蓄運動。給与の40-50%が貯蓄された。そうしないと戦費を調達できない我が国。当時この国で国債を発行しても買う国はどこにもないものね。

保険: 破格の生命保険が国策で作られたが、戦災で給付ができないことになる。それを「救った」のは戦後のインフレ。貨幣の価値が下がったおかげで、支払は帳消しになってしまった。あと保険の詳細を知らせない悪質な勧誘員もいたとか。

料亭、芸者の禁止令: でもそれを破ったのは軍人たちだった。戦後もいち早く、占領軍向けの芸妓が集められる。

歌舞音曲の禁止令: 寄席に残った喜劇役者の抵抗。一方、軍人は芸人の慰問部隊を作らせ、戦地を巡業させた。意外な余禄があったので、芸人たちも張り切った。小林信彦「日本の喜劇人」(新潮文庫)には漏れているので、この本で補完しておこう。ほかに徳川夢声、古河緑波などの日記、加東大介の本などが参考になる。

食料不足: 買い出しの苦労。政府や軍部のとんちんかんな食生活指導。配給のごまかしに、軍部と配給所自身が加担していたとか。

グルメ: 高級食材を使う料亭などは営業を停止させられたが、実際は流行っていたし、軍人が使ってもいた。

宣伝: 日本軍の対敵宣伝戦の弱さ。ここでは東京ローズの話があるので、戦後のことは読売新聞編集部「マッカーサーの日本」(新潮文庫)で補完しておこう。多川精一「戦争のグラフィズム」(平凡社ライブラリ)も参考になる。

文筆家の動員: 伏字から削除への検閲。定航と迎合のあった文学者の動向。

オカルティズム: 戦士他が増えるにつれて、政府・軍人・民間人が心霊に夢中になる。まあ、ナチスもそうだったという。あと墓相とか戦死者弔いで詐欺師がたくさんでたとか。

宗教: 戦時動員体制におかれた宗教界。ここでは昭和20年の一斉祈願。ここにはないけど「不敬」とされた新興宗教弾圧のあったことも忘れずに(大本教天理教その他)。

科学研究: 小国民から科学研究者までの新兵器案出動員。廣重徹「科学の社会史」(岩波現代文庫)だとこの国の科学動員は失敗だった。実際、紹介されるエピソードはせこいか、ばかばかしいか。


 この国に残った人があの戦争を懐古すると、いくつかの感情のパターンにはいってしまう。なるほど敵軍の空襲他にさらされたり、軍部や政府に狂信者たちに恫喝されて息苦しかったというのはそのとおりだ。ただ、サイパン島グアム島が占領されるまでの昭和19年晩秋まではこの国にはまだのんびりした「日常」があった。そこで、庶民は平時の生活を営み、そこで喜怒哀楽のこっけいでせせこましく、愛らしい生き方をしていたのだと知れる。そういう日常があったということにまず目を開いておこう。その種の報告はたくさんある。上にあげた以外にも、永井荷風山田風太郎など。その一方で、軍部や高級官僚は好きな芸妓や料亭は専用に残したり、配給所の職員が不正を働いたり、市中には詐欺師がいたり、悪質営業がはびこったりと、平時と変わらない悪もあったのだよね。「戦時」「収容所群島」だったといって、完全に画一な社会ができていたわけではない。そういうふり幅の大きさが、我々の社会のありかただ。
 その一方で、「戦時」であって浮足だったのか、ことさらに「平常」を行動することで安定を図っていたのだともいえる。それは自分らも危機や災害やパニックに襲われたときに、意識的に日常を取り戻そうとするのと同じであるのかもしれない。実際に、そのような印象や感情をその時代に記録しているものもある。この二つの考え方(戦時下であっても日常を忘れない、戦時下だから日常を回復しようとした)は、両立していて、当人たちも区別できなかっただろう。まあそうい印象や感情を推測するより、戦時下に日常や平時があったということに注目すればよい。
(注意しないといけないのは、上記のような「庶民の暮らし」ができたのは、昭和19年まで。空襲と物資不足で「本土」「銃後の人々」がそろってひどい目に合うのは、昭和20年に入ってから。昭和20年の約半年のひどい時期だけが「戦時中」の生活であるとはおもわないように、というのが自分とたぶん著者の考え。)
 そのうえで、この国の人たちのもう一つの心情に思いをはせることになる。さまざまな制限や恫喝、圧迫、不足などの鬱屈した生活で、社会批判を試みたり、学問を研究したり、芸術に慰めを見出したりした人々。こちらは別の人々の手記や日記で読むだろう。渡辺一夫林達夫中島健蔵などをまず挙げることにして。
 あと、この本の裏読みのやり方は、「戦時」になったときに、政府や軍部はなにを国民から取り上げるかという事例を見出すこと。まずは食糧に衣料に消耗品か。これらは軍用に供出されで不足する。その上で歌舞音曲に芸能娯楽。マスコミの報道は窮屈になるし、芸術、エンターテイメントもなくなる。かわりにネーション感情を鼓舞し、ヒステリックで非合理的な思考とアジテーション。その前提になるのは、社会主義者や「第三国人」などの恐怖を煽り立て、民族主義の名をかたって暴力を行い、人々の抵抗や批判をつぶしていること。なにごとかを主張したり行動するのが危険であるという雰囲気を作ってから、さまざまな制限や抑圧を押し付けるのだ。自分の生きている時代を戦時下と比較してみて、どういう変化が表れているかを見るのは重要。