odd_hatchの読書ノート

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大江健三郎「みずからわが涙をぬぐいたまう日」(講談社文庫)-2「月の男(ムーン・マン)」  「純粋天皇」にこだわる昭和40年代の「地下生活者の手記」

2016/02/04 大江健三郎「みずからわが涙をぬぐいたまう日」(講談社文庫)-1

 続いて中編ふたつ。

みずからわが涙をぬぐいたまう日 1971.10 ・・・ 「かれ」は病棟に入院中。セロファン紙を貼った水中眼鏡を離さず、雇いれた「遺言代執行人(あるいは看護師)」に敗戦前後の日々を語る。なんとなれば、「かれ」が「あの人」と呼ぶ、すなわち「父」と同じ年になり、自らが末期の膵臓がんにあると思い込んでいるからである。このような現在の状況において、物語は「かれ」のかたる敗戦前後の村の様子となる。満州にでていた「あの人」は1943年1月1日の突如村に帰還。養蚕の倉庫に理髪店用のいすを持ち込み、西洋製のラジオの故障を直し、ヘッドフォンをつけて毎日ラジオを聞いていた。村人からはスパイと揶揄され、村長あたりの大人からは誤解されるからよせと言われながら、ほとんどしゃべらずぶくぶくと巨体に膨れ上がる。8月15日の敗戦ののち、「あの人」ははじめて倉庫を出て、徹底抗戦派の軍人を引き連れて、町で決起しようとし、射殺されたのである。当時10歳の「かれ」は「あの人」の世話をすべく、リヤカーにのった「あの人」と行動を共にし、唯一の生き残りとなった。だがこの話は、「あの人」の妻であり、「かれ」の母によるとまるで異なるのである。倉庫に蟄居して無為な生活をしていた「あの人」は敗戦の翌日に満州から持ち帰った株券を金にしようとリヤカーにのって銀行に行き、交渉のあと治安軍に射殺されたのであった。という同じ出来事の二つの解釈が拮抗し、もちろん「あの人」が死んだ年と同じ年齢になった「かれ」の話にいかなる正当性もないのであるが、「かれ」は固執している。
 これも昭和40年代の「地下生活者の手記」。もしかしたらありえたかもしれないもうひとつの戦後史の構想。そこに若くして亡くなった「父」の意味を重ね合わせる。「あの人」は決起に向かうなか、ドイツ語の歌を歌う。自ら流す涙をぬぐう日が来るだろう(それは感謝と再生の象徴だ)という内容。「あの人」は(純粋)天皇がそのような涙をぬぐうことを夢想する。そのときに黄金の菊の花が全土をおおいつくすだろうとも。バッハのカンタータにある歌詞から触発されたこのイメージは、そうだな「政治少年死す」のラストシーンに重なる。他の小説の「父」は弱弱しいか、沈黙に閉じこもっているのであるが、この肥満し膀胱がんで失禁と下血が止まらない男は以前満州で黒幕的存在であり、石原莞爾東条英機をつなごうとも画策する力を持つ男。それが1942年末にいきなり覇気を失い蟄居する。そこに現れる(純粋)天皇のイメージ。自身がグロテスクな容貌を持つにつれ、彼の抱くイメージもおのずとグロテスクにならざるを得ない。発表年に注目すると、1年前に三島由紀夫が自殺しているのであって、事件のありさまも重なっているのであろう。
 そのイメージと記憶に「かれ」は固執しているのであるが、小説の中では、批判者が二人いる。ひとりは「あの人」の蟄居に愛想をつかし、世話を放棄した母。そのために「かれ」は「あの人」の世話を買って出たのであるが、母の記憶は「かれ」を裏切る。なので「かれ」は母と対決せざるを得ず、挫折するしかない(ここは「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」の繰り返しになる)。もうひとりは、「遺言代執行人」。彼の書くことに対して、つっこみを入れる。このような批判者に対して「かれ」は反論や弁明をせざるを得なくなり、自分のイメージや記憶を検証せざるを得ない。もちろん「かれ」の曖昧さをことするために、さらに捏造や新たな解釈で補強することを繰り返す。まあ、リアルな生活においてはやってはいけないことが、小説の中では、複数の文体が拮抗して、「かれ」の翻訳調で晦渋な文体の平坦な話を途切れさせ、ひっくり返すポリフォニックな効果を生む。そのうえ批判者はいずれも女性であるところにも注意。男性視点やロゴスの方法を女性原理で批判する仕掛けになっている。
 という具合に、歴史的遠近法を使うと、このあと「小説の方法」に書かれた方法が先取りされていて、のちの作品の萌芽もたくさんみつかる。ただし、単体で読むと、なかなか読み進めるのが困難だった。

月の男(ムーン・マン) 1972.10 ・・・ 作家の小説には無礼で突飛な行動をとる闖入者がよくでてくるがこれもそのひとつ。いくぶんユニークなのは、元NASAの開発者のアメリカ人であること。当時のこの国は戦後25年戦禍がなく、固定相場で意図的に通貨安にされ、エキゾチックな雰囲気を濃厚に残していた。なのでアメリカなど西洋諸国人が観光に訪れ、中には居住する人も現れた。その四半世紀前には「飼育」「人間の羊」のように外国人は驚異で忌避するか畏怖するような「他人」であって、この国のひとはなかなか打ち解けようとしない。でもこのころにはこの国を理解しようと進んで入ってくる人もでる。そうすると、この国の人たちはその抜けの善良さを持つようになる。彼らの中から日本人的なものを見出そうとして、そこを手掛かりに友好を持とうとする。この小説の「ムーン・マン」と呼ばれる人がそうだし、諸井誠のロベルト(「ロベルトの日曜日」中公文庫)や都筑道夫のキリオン・スレイもそう。そういう昭和40年代の外国人受容のモチーフがある。また1980年代の作家の短編には批判的役割の外国人がしきりに登場する。その手法の最初のひとつ。脱線すると、戦後文学を書いた人にはこういう「外国人」との関係の仕方はあまりみられない。堀田善衛のように幼少から外国人との付き合いがあったり、大岡昇平武田泰淳のように戦地で関係を持ったりして、恐怖とか畏怖ないし忌避にならずに、付き合いができる。彼らの方が個人主義を実践しているみたい。そのような接点のなさそうな石川淳が戦前に「白描」のような亡命ロシア人を書いているのが慧眼。で、戦後生まれになると今度は外国人への興味を持たなくなって、小説にでてこなくなったのではないかと妄想している。閑話休題
 当時進められていたアポロ計画は人類の月旅行であったわけだが、このアメリカ人はその計画が「神への冒涜」「人間としてやってはならぬこと」ではないかと恐れていた。きっかけは1967年2月21日のアポロ1号発射演習時におきた事故で数人の死者が出たこと。そのショックでNASAをやめて日本にわたってヒッピー風の暮らしをしている。40歳の日本人女性詩人が世話をしているが、自殺願望があるので目を離せない。物語はこのムーン・マンがアメリが軍の脱走兵を援助する組織と接触したいというところから転がる(ベトナム戦争中で、日本にいたアメリカ兵がときに脱走したりした。べ平連などが国外脱出を支援していた)。語り手の「僕」はそこにつながる人脈をもっていたが、新左翼系のジャーナリストでテレビ制作をしている男・細木大吉郎(この名前は「日常生活の冒険」の斎木犀吉を思わせる)を紹介する。その席にはスコット・マキントッシュなる詩人で鯨学者もいて、ムーン・マンは意気投合。一緒に環境保護の運動を開始する。その蜜月もムーン・マンのいたずらで瓦解(勇魚屋という鯨料理店でロバートに鯨の刺身を食わせるというもの)。アメリカに残したムーン・マンの妹がレイプされるという事件があり、ムーン・マンはこどもをはらんだ40代の女性詩人といっしょに帰国する。そこでは飛行機の代わりに内燃エンジンを持たないグライダーを通じた環境保護運動に乗り出していた。
 ムーン・マンのオブセッションが彼の経歴や行動と一緒にかたられるのわかりやすい。上記のように人間は冒涜と堕落の極にある。その象徴が月着陸。いずれ人類は地球から離脱して宇宙を開拓する旅に出るだろう。そのような宇宙的な脱出に興味を持たない/資格や能力を持たないものは、地球に取り残され汚わいまみれた死を迎えるであろう。それをもっとも深く嘆き悲しむのは鯨であり、彼らの歌は地球への挽歌であり人間への非難であるだろう。こういう感じかな。個人的経験をすてて純粋化して行くと「洪水はわが魂に及び」「治療塔」に至る(自分の記憶になかったが「勇魚(いさな)」が鯨を意味するとは「洪水は我が魂に及び」には言及がなかったと思う、こっちで知って合点がいった)。
 このムーン・マンは天皇にも思いを馳せ、このような人類の危機(反自然、反人間的試み)に対する対抗の象徴になれるのではないかと夢想する。「現人神」という存在形式に注目し、救済の象徴を居たのだ。もちろんこの国の象徴天皇制と人間にそのような力を持たないのであり、それは「僕」によって揶揄されるのではあるが、そのような法と人間の桎梏を取り除いた形式とシステムとしての「純粋」天皇を志向する。そこでもまた黄金の菊の花が全土をおおいつくすイメージが生まれ、「みずからわが涙をぬぐいたまう日」の主人公「かれ」を「僕」がムーン・マンに紹介しようかと持ち掛けられる。この(純粋)天皇イメージは最後の少し現れるだけであって、この後に描かれた作品には表れない。
(三島の作品ではたぶん純粋天皇は最後の時に慈愛と全肯定の光をもたらすのであろうが、このふたつの中編で「あの人」と呼ばれる人は「流出説」のような無限で無償の力を流れ込ませはしないのだよね。むしろガンに侵された身体から血尿と下血を流し、臭いにおいを漂わせ、周囲の人々を苦しめ断罪する他者なのだ。それから三島の純粋天皇ではこの国の正史や伝統の基盤をなすものとされるのだが、こちらの「あの人」は正史には表れない影の人であるし、伝統とは遮断された、むしろ伝統の破壊者としてあらわれる。そのうえに、最初の中編の「かれ」は「あの人」に肩入れ過ぎて、社会や家庭から追い出されたわけだが、そのような排除される「スケープ・ゴート」のイメージが「あの人」と追随者に付与される。この聖者でありかつ穢れたものである「あの人」は、ムーン・マンがイエス・キリスト的な顔貌をもっていると形容されたようにイエスに起因するだろうし、のちの「怪(け)@洪水は我が魂に及び」「大物@ピンチランナー調書」「壊す人@同時代ゲーム」「ギー兄さん@懐かしい時への手紙」「教祖@宙返り」に引き継がれる。)


 「大江健三郎全作品 II-3」には付録として「ふたつの中編をむすぶ作家のノート」が収録されている。ここでは「政治少年死す」が出版されていない状況の報告と「純粋天皇」イメージにこだわることが書かれている。「ムーン・マン」のさいごでふたつの中編の主人公があいさつする場面を入れて、「自分の想像力を前に進ませるための、一対の滑車」にしたとのこと。世界や地球の破滅を恐れ、取り残される孤独に耐える男のイメージはひとつにつながって、のちの作品に広がる。自分の今回の再読のように、のちの作品を読んでからこの中短編を読むと、のちの作品で説明されていないところが理解しやすくなる。晦渋で時空間の錯綜する読みずらい作品ではあるのが玉に瑕。