odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「白痴 上」(新潮文庫)第2編6-12 金儲けの欲望にまみれた地上の人間は金に執着しない天使人間の前で醜態をさらす。

2024/11/29 フョードル・ドストエフスキー「白痴 上」(新潮文庫)第2編1-5 ロゴージンの前から許嫁の消え、ロゴージンはムイシュキンを襲う。 1868年の続き

 

 新潮文庫木村浩訳は人名を原文通りにしているようだ。そのために、同一人物がさまざまな名で呼ばれる。主人公ムイシュキンからして、「ムイシュキン」「レフ・ニコラエヴィチ」「公爵」の3つが混在。これが端役でもそうなので、いったい誰のことなのかわからない時がある。自分でキャラクター表をつくってもいいが、今回は先人の仕事を使った。wikiの「白痴」に登場人物一覧がある。

ja.wikipedia.org

6 ・・・ 発作を起こしてから3日後に、ムイシュキンはコーリャが同行してレーベジェフの別荘に向かう。すると見舞いとして、ガブリーラ一家にイヴォルギン将軍一家、エパンチン家の面々が集まる。ムイシュキンをそっちのけにして、彼らはおしゃべりに高じる。
(前の章の緊張を和らげるためのダレ場。内容はないのに思わず聞き入ってしまう会話を楽しむ。)

7 ・・・ そこにエパンチン将軍に連れられてラドムスキー公爵が入ってくる。彼は詩の朗読を始めたが、アグラーヤが遮ってプーシキンの「あわれな騎士」を朗読した(途中でナスターシャの頭文字を当て込む。ムイシュキンへのあてこすり)。さらにイポリート(イヴォルギン将軍の情婦の息子:肺病で余命数週間と見込まれている)とドクトレンコ(レーベジェフの甥)らの青年が入ってくる。
(新たな三角関係の開始と、天使人間ムイシュキンに対する煉獄の住人イポリートの登場。)

8 ・・・ 彼ら青年が来たのはムイシュキンに面会したいため。イポリートは新聞の記事を読めと強要する。コーリャが朗読したのは、ムイシュキンへの中傷記事だった。すなわちスイスのサナトリウムにいる間、パヴリーシチェフが彼の生活を支援していて、ロシアに帰る手配をしたのに、莫大な遺産からまったく遺族に支払おうとしない(2年前にパヴリーシチェフは死亡)。遺族であるブルドフスキーはある事情で名乗れなかったのだ、いますぐ支払えとわめく。それを聞いたムイシュキンはブルドフスキーが偽物であるのはわかっているが、1万ルーブルを支払うといった。詳細はガブリーラが説明するだろう。
(誹謗中傷記事の煽情的な文体は当時のロシアの雑誌によくあるものだったのだろう。ドスト氏自身も雑誌「ヴレーミャ」「作家の日記」で似たような文体を使ったことがある。)

9 ・・・ ガブリーラはパヴリーシチェフ氏を知っていたので、ブルドフスキーが生まれた年は外国に行っていたのがわかっている、実はブルドフスキー自身がパヴリーシチェフの支援を受けて育ったのだと暴露する。混乱し青ざめるイポリートにドクトレンコにブルドフスキー。前にムイシュキンがブルドフスキーに与えていた250ルーブルを返すと札束を叩きつけると100ルーブルしか入っていない。返したという事実が大事であって金額が少なかろうと問題ではないとイポリート。イヴォルギン将軍夫人リザヴェータが彼らの無作法をなじり、ブルドフスキーはムイシュキンの金を受け取らず代わりに殺すと予言する。肺病で2週間後には死ぬというイポリートが一座に茶を要求した。
(強気な愚連隊が弁舌だけでやり込められるという笑い。皆饒舌にしゃべる。一度に複数人がしゃべるものだから、ドスト氏をもってしても全員の発言が聞き取れるわけではない。全力で耳を澄ました結果がこの章。若いころの滑稽小説より各段に優れた描写になりました。たくさんの声が聞こえているのが重要。あとやり込められた愚連隊が垂れる愚痴がよくある詭弁ばかり。ドスト氏は詭弁の類型もよく知っています。)
(イポリート他はムイシュキンを告発したが、逆にやり込められ自分らの「犯罪」を暴かれてしまった。彼らは恥入り虚勢をはるしかない。衆人の前で恥をかかされ、名誉が地に落ち、全員に笑われる。これは恥辱刑と同等の効果になる。鞭打ちと同じような処罰効果をもっている。ほかのドスト氏の小説でも衆人の前で恥をかかされて街から逃亡してしまうキャラがいる。「伯父様の夢」のマリア・アレクサンドロヴィナおばさんや「罪と罰」のルージン。ラスコーリニコフが恐れたのは衆人に笑われることだった。それを踏み越えるのがラスコーリニコフの大きな課題だった。ではイポリート他の青年たちはその町で数十年の笑われるような恥辱を受けてどうするか。逃げるか、受け入れるか、開き直るか。)

10 ・・・ 夜会は落ち着き深夜0時が近づき皆帰りたがり会話ははずまない。そのなかでムイシュキンの中傷記事を書いたのはレーベジェフであることを自慢する。休んでいるイポリートがしゃべりだす。活動家になりたい、コーリャが後継ぎ、自分は用のない人間、ばか者だと。イポリートはムイシュキンを憎んでいる、体が動けば殺してやりたい、自分の葬儀にはムイシュキンに来てほしい。誰かが「クプフェルの手形はロゴージンが3万ルーブルで買った、これで2・3か月安心できる」というがムイシュキンには意味が分からない。
(初読では全くわからなかったが、イポリートはムイシュキンのネガになるキャラなのだった。彼は肺病とされているが、スーザン・ソンタグ「隠喩としての病」(みすず書房)によると、19世紀に結核は次のような隠喩をもらされていた。

結核は目に見える体の変化がある。色白、咳、吐血など。エネルギーが充溢する。肉体の軟化、消耗とみなせる。時間の病気。生をせきたて、霊化する。体の上部の霊的な場所が侵される病気で口にしやすく、魂の病気とみなされる。下流界層の貧困と零落の病気。環境の変化でよくなるとされる。結核による死は安楽死、繊細で美しい死。

 まさにこのような特質を持ったキャラとしてイポリートは造形されている。ムイシュキンは脳の病気で無知無学だが、イポリートは肺の病気で博学で心は邪悪。このふたりが対比され対立していくのだろう。ラスコーリニコフvsスヴィドリガイロフのように。)

11 ・・・ 3日後、静養中のムイシュキンを人々(シチャー公爵、ガブリーラ、ケルレル、レーベジェフ、コーリャ、ワルワーラと結婚した高利貸し)が訪れ、情報や噂を伝えていく。前の章の「クプフェルの手形」はラドムスキー公爵のもので不渡りになりかけたところでロゴージンが買い取ったのだった。ナスターシャがペテルブルグに帰っていて人気ものになっている、ロゴージンの行方は不明、ワルワーラは夫と不仲など。
(この章ではムイシュキンは自己評価によると「しつこいくらいの信頼」と「どす黒い下等な猜疑心」が同居していて、コーリャによると「疑い深い人」で「嫉妬深い人」。これらの性格はもともと(スイスにいたころから)あったものなのか、それともペテルブルクに来てからの交友によって育まれたものか。天使人間も俗世界に落ちると変化するのだろうか。)

12 ・・・ エパンチン将軍のリザヴェータ夫人がムイシュキンの部屋に乗り込んでくる。ムイシュキンがアグラーヤに宛てた手紙を見つけて激怒しているのだ(ナスターシャがムイシュキンと結婚できるといっていたり、アグラーヤの別の縁談を計画しているので)。手紙にはアグラーヤを恋していないと書いてあるので、夫人はムイシュキンとアグラーヤを結婚させないと釘を刺す。エパンチン家への出入りを禁止したが、今朝アグラーヤがムイシュキンに絶縁を言い渡す手紙を示されて、夫人は一変。家に招待する。
(この会話で追加する情報は、ワーリャの仲立ちでアグラーヤがナスターシャと知り合いになり、ガブリーラがアグラーヤと「交渉」を持つようになったこと。ムイシュキンがペテルブルクに来てから、人々の愛憎関係が錯綜し、それぞれの情念にしたがって活発に行動するようになった。)

 

 ドスト氏の後期長編ではここまで率直な恋愛小説はない。どうしても社会問題や人間存在の意味などを問う人がでてくるからね。この長編では問題を持ち込むうっとうしい人物はイポリートくらい。かれにはコメディリリーフの役割が付与されているから重くならない。この軽さは、「白夜」と「伯父様の夢」くらい。そうするとドスト氏の小説の入門編として最適(もう一つの入り方は、ドスト氏の問題が網羅されている「罪と罰」を性根をすえて熟読すること)。

 

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2024/11/26 フョードル・ドストエフスキー「白痴 下」(新潮文庫)第3編1-4 天使人間ムイシュキンに魅了された二人の娘は愛情と嫉妬と憎悪に分裂する。 1868年に続く