odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

デイヴィッド・リンゼイ「憑かれた女」(サンリオSF文庫) 至高体験による上昇と世俗の重力による下降を繰り返す選ばれた人たち。

 サセックスの森林に囲まれたランヒル・コート館。そこにはウルフの塔の伝説があり、中世には最上階がトロール(ヨーロッパの伝承などに登場する妖精)の手で運び去られたという伝説がある。失われた部屋の階下は「イースト・ルーム」と呼ばれている。この館を買いたいという伯母を連れて許嫁といっしょにやってきた女性(画家)は、イースト・ルームに上に登る階段があるのを見つける。しかし、彼女以外には階段は見えない。階段をみることができたのは、彼女と館の所有者と心霊術師の三人だけ。彼女は階段の先で見たことを思い出そうと、館に足しげく通う。

f:id:odd_hatch:20200331091815p:plain

 1922年に書かれた小説なので、当時の上流階級を思い出さないといけない。すなわち、心情の吐露ははしたないことであり、男性とは距離を置いて機知にとんだ会話をしなければならず、女性の権利など皆無に等しいが、家事の命令をすることで間接的に家の支配ができるかもしれない。なにより恋愛の自由はまずなく、いちどフィアンセを決めたら、それ以外の男性と親しく口を交わすことはマナーに反することである。そういう時代であって、上品さを装いつつ、真情を隠すという離れ業を女性は行わなければならない。その中で、階段をみることのできた女性、イズベルは画家であり、芸術において美の追求をする「開明」的である。
 イースト・ルームの階上で見られるのは「九月の霧の中から現れたプラムの青い花のような風景(ヴィジョン)」。古代の風景ににているようであり、ほのかな匂いと寂しげな低音のメロディの聞こえる場所。なによりもそこが重要なのは、階下の世俗の場所と異なり、心情の吐露が可能であり、恋愛の自由があり、美や崇高さを語ることができること(美や崇高さはその場所にあるように思われるが、階段を上ったばかりの人はその世界に触れるだけで、探検できず、全貌はつかめない。ただ芸術的な美や崇高さが満ち溢れている世界のようである)。このような物理現実にはあり得ない場所に行くことのできる人は限られており、そのうえ行けたとしてもその場所にふさわしい意志をもたず、努力できないものは排除されてしまう。「あの世界」に長年住んでいられる人はもしかしたら伝説の人ウルフのみかもしれない。
 このような至高体験を経験したにもかかわらず、イズベルも塔の所有者ヘンリー・ジャッジも心霊術師ミセス・リーチボロウも、世界にとどまるだけの強さをもたず、いつかは階段を下りて世俗に戻らねばならない。残酷であるのは「あの世界」で美や崇高さにふれた体験は世俗に戻ると同時に記憶から失われ、忘れないように交換した指輪や手紙やハンカチーフなどが世俗の人間関係ではタブーに触れることになり、彼らに不安と疑惑をもたらし、離れることを決意しなければならないほどになる。
 それほどに人間は一方で至高体験を経たうえでの上昇を目指すものでありながら、一方で世俗や社会規範の重力から逃れられないもの。上昇のためには意志と努力(おそらくそれにともなう苦痛)が必要であるが、どのように・どのくらいの・いつまでのは開示されることはなく、どうすればよいのかは誰にもわからない。ウルフの塔をのぼる扉ないし階段が開くのは気まぐれなようであり、人間の側からはどうすることできない。
 作者のテーマはこんな感じか。物理現実や世俗を嫌い、芸術的な崇高な世界のヴィジョンにとらわれた人間のあがき(それほどどろどろしたものにならないのはイギリス上流階級の上品さのおかげ)。物語はイズベルは、ひとりで、ジャッジと、さらに心霊術師と、3回階段をのぼるだけ。最後に心霊術師が死亡した後に、館で階段を上らずにジャッジと「あの世界」で再会する。あいにくそれは喜びにはならず、イズベルとジャッジの魂の交友が破壊されることで終わる。なんともペシミスティックな物語。
 イズベルとジャッジは「あの世界」で互いに愛を感じていることを確認したにもかかわらず、キスどころか抱擁すらしない。21世紀にこの潔癖さ、冷淡さに感情移入するのはなかなか困難。好事家向けの小説。
(まあ、自分はこののんびりした展開と無個性な人物の退屈な会話が、ジョン・ディクスン・カーの幽霊屋敷ものの探偵小説冒頭部分だなと思い当たって、それなりによめました。イズベルとジャッジの隠しあった逢瀬は、それこそ「震えない男」「魔女の隠れ家」「曲った蝶番」「剣の八」「死時計」「毒のたわむれ」「囁く影」「プレーグコートの殺人」の被害者周辺にありそうな話じゃないか。)


 サンリオSF文庫には、コリン・ウィルソンによるデイヴィッド・リンゼイ論「不思議な天才」約100ページも収録。主には「アルクトゥールスへの旅」の分析。「憑かれた女」への言及はさほどないが、訳者あとがきで委細を尽くしてるので充分。上記のような至高体験と意志による自己変革がウィルソンのテーマにぴったりなので、この不遇で忘れられた作家の発掘になったのだろう。
サンリオ文庫版の「憑かれた女」は廃刊・品切れだったが、2013年文遊社により再刊。ここにはウィルソンによるリンゼイ論は収録されていない。)

 

デイヴィッド・リンゼイ「憑かれた女」(サンリオSF文庫) → https://amzn.to/3vi0NFn
デイヴィッド・リンゼイアルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)→ https://amzn.to/4a8wS1g https://amzn.to/3vi0Tgd

 

2020/04/07 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-1 1920年
2020/04/06 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-2 1920年
2020/04/03 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-3 1920年
2020/04/02 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-4 1920年