odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

日本古典「中世なぞなぞ集」(岩波文庫) 中世日本の知識人階級の言語遊戯集。偏見や差別がないのはこの国の小噺集ではとても珍しい。

 「なぞ」とは「何ぞ」という問いかけの言葉に由来する、とのこと。本書で言えば「天狗のなみだ、何ぞ」と問いかけ、相手はその答えを考えなければならない。こういう言語遊戯の由来や起源を詮索しても詮無いことであるが、古代からすでにあるという。もとは神秘を伝えるものであったらしいが、次第に言語遊戯に代わる。古典や古語に通暁していないと問題を作れないし、解くほうもそれに匹敵する教養をもっていないとバカにされる。というわけで、なぞは教養と余暇のある階級でないと遊べない。中国の古典の影響を受けて、奈良や平安の宮廷で行われている。というのも、そのような階級が生まれたのは古代の全国統一の国家ができて、生産にはかかわらず国家運営に専念する階級がそのころ生まれたからだ。この階級は歌の交換や物語の回し読みをしていた。
2012/02/16 土田直鎮「日本の歴史05 王朝の貴族」( 中公文庫)
2016/04/15 堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま学芸文庫) 1986年
2016/04/14 堀田善衛「定家明月記私抄 続編」(ちくま学芸文庫) 1988年
2020/12/17 森谷明子「千年の黙(しじま)」(創元推理文庫) 2003年

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 さて、本書に収録されているのは、室町から江戸初期にかけてつくられたなぞのアンソロジー。なぞの愛好家になり、情報を交換しているなかに、筆まめな人が記録していったのだろう。それを別の誰かが筆写して、普及していく。上の参考エントリーにあるような、宮廷文化が鎌倉幕府成立後も継続していたのがわかる。ただ、このころになると宮廷も資産不足で平安時代までの鷹揚な生活ができなくなり、武士からの上納金を当てにしないといけなくなり、政略結婚のネットワークは広がる代わりに、知的レベルは落ちる。それは本書を読めば如実で、たいていのアンソロジーとは逆に、あとになるほどなぞの出来が悪くなる。一つの理由が、なぞの言語遊戯に武士が加わるようになり、古典や古語の教養の代わりに彼らの日常言語がはいるようになること。論理の飛躍が小さくなり、奇想天外な発想がしにくくなること。なぞの通俗化が進むわけだね。
 いくつか中世のなぞを引用。

「はは(母)には二たびあひたれどもちち(父)には一どもあはず」 「くちびる」
(古代から中世にかけて、日本人はハ行をfで発音していたことを示す例としてよく引用される)
「古てんぐ」 「こま」
「天狗のなみだ」 「まないた」
「背中の後ろは駒の住処」 「はらまき」
「武蔵野ははてもなし」 「むさし」
「まろき(丸き)もの」 「すみとり」
「うみのみち十里に満たず」 「はまぐり」

 なぜこの解になるかは本書の解説を読まないといけない。古典や当時の習俗の知識がなくてもわかるものもあれば、解説をみてもわからないものがある。たんに読んで楽しむにはそれで十分で、毎日数ページを読んでちびちびと味わえばよい。
 中世のなぞは「〇〇、何ぞ」「✖✖」の形式だったが、江戸時代になると、「〇〇とかけて、△△と解く。その心は✖✖」に変形する。いまでも落語の界隈になぞかけとして残っている。
 日本人の作ったこばなしになると、偏見や差別が露骨に表れて、嘲笑が下卑たものになるけど、本書ではそれはない。知識階級の美意識か矜持か。不快な気分にならずに済むのは助かる。

 一点不満があるのは、同じ謎が繰り返し出てくるとき、本書では解説を書いた前掲ページだけ表示するにとどめる。すでに答えを忘れているときは、ページを繰って確認しないといけない。この手間を省くには紙の書籍という形式はうまくない。といって電子書籍でも実現は難しい。よい表示形式が生まれることを望む。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス/アドルフォ・ビオイ=カサーレス「ボルヘス怪奇譚集」(晶文社)

浜田義一郎「にっぽん小咄大全」(ちくま文庫) 日本の小噺はシステムや共同体にこもってぬるま湯にあるものが、その外にいるものを馬鹿にし、虚仮にし、嘲笑するものばかり。日本人の愚劣さ、度し難さはこういうところに現れる。

 言文一致にかんする面白い記事を読んだ。2018年8月11日朝日新聞書評欄の座談会。すなわち、福沢諭吉が英国のスピーチをみて感激。スピーチで社会をうごかすために1875年5月1日に三田演説館を作った。福沢の演説を見た講談師の松林伯圓(しょうりんはくえん)がテーブルに花を置いて講談を行い、その伯圓の講談を東大の初代総長・加藤弘之がみて授業の仕方を工夫する。一方、三遊亭圓朝が一人でザブトンから動かずにしゃべるスタイルを作り上げた。これらの講談、大学の授業、落語の口演が速記されて出版される。その影響が二葉亭四迷坪内逍遥ほかの文学者にはいり、1890年代に言文一致の文体ができる。文学が言文一致の文体をつくりだしたのではなく、言文一致の文体が先にあって、文学がそれを模倣することによって近代文学が作られたことになる。

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 この議論は柄谷行人日本近代文学の起源」(講談社文芸文庫)がやっている。柄谷の本では、講談や落語よりも官庁の文章の影響が大きいとされる。
柄谷行人「日本近代文学の起源」(講談社文芸文庫)-1
柄谷行人「日本近代文学の起源」(講談社文芸文庫)-2
 というような枕をもってきたのは、備忘のためであるが、もうひとつは落語のスタイルが明治の半ばになって確立したという事実。たとえば、大多数の日本人は義務教育を済ませたくらいなのだが、世間の知や人情の機敏をよく知っていたのは寄席の落語を聞いていたからだと説明されることがある。そのような道楽ができたのは落語のスタイルができてからのこと。しかも寄席が町中にあったというのはせいぜい東京ほかのいくつかの都市でしかなく(落語家の養成システムではたくさんの弟子を一度に育成できないし)、地方では寄席などなかった。そういうわけで、世間知や人情などの教育システムに寄席がなったことはない(さらに加えると、日本人の識字率の高さを誇る人がいるが、大正時代ころの徴兵検査では兵隊の学力の低さを軍の担当者は嘆いていたのだ。日本人が総体として優秀というのは神話や伝説の類い)。
大江志乃夫「徴兵制」(岩波新書)

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 さらに脱線をした。では日本人は口話による笑いをもっていなかったかというと、そうではない。内輪の席では小話、地口、謎解きの類で遊び、笑いあっていたのだ。戦国武将になると御伽衆という話術家を召し抱えていた(曽呂利新左エ門が有名)。それらの話は中世のころから記録されていて、日本の中世文学の泰斗が13世紀から19世紀までの笑話本を編集したのが本書(昭和37年1962年初出)。
 笑話集は好きでいろいろ集めていたが、本書はだめ。つまらない。笑えない。
 理由はいくつも思い当って
・権力批判がない
・セクハラ、パワハラの加害者が被害者を嘲笑
・社会的弱者(女性、子供、障碍者など)を嘲笑
・共同体に対する異人(田舎者、不粋者など)を嘲笑 など
 システムや共同体にこもってぬるま湯にあるものが、その外にいるものを馬鹿にし、虚仮にし、嘲笑するという図式が延々と続く。現代になぞらえれば、百田尚樹「幸福な生活」(祥伝社文庫)みたいなのを読まされていることになる。日本人の愚劣さ、度し難さはこういうところに現れるのだなと、途中で巻を閉じた。

 

 日本人の名誉のためにいえば、日本古典「中世なぞなぞ集」(岩波文庫)は面白い。笑える。これは鎌倉から室町前期ころまでのなぞなぞを集めたもの。貴族や僧侶、上流武士などの知識階級が競作したもので、知的な楽しみがある。節度をもっているので、セクハラ・パワハラとは無縁。こういうスノッブな階級やサロンを実行できる粋な人々は、鎌倉政権の誕生で京都から失せた。できのいい歌集は生まれなくなり、知識人文学も消えて、最後の残差がこのなぞなぞ集なのかと暗然とする。
<参考エントリー>
堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま学芸文庫) 
堀田善衛「定家明月記私抄 続編」(ちくま学芸文庫)

三浦靱郎「ユダヤ笑話集」(現代教養文庫) 差別を受けてきた人たちの秀逸なジョーク集。だがイスラエル建国以降、ユダヤジョークは死んだ。

 関楠生「わんぱくジョーク」(河出文庫)やポケットジョーク「1.禁断のユーモア」(角川文庫)がネーション―ステートを持っている側の笑いであるとすると、こちらのジョーク集はネーション―ステートを持たない側の笑い(強者の笑いはアレン・スミス「いたずらの天才」(文春文庫) )。
 ローマ時代に自治区を破壊されたあと、世界中に離散しながらも、共同体を維持してネーション意識を持っている人々。その代りに、どの時代のどの場所でも差別を受けてきた。ユダヤ人の歴史や意識を解説することなどできないので、それは本書の解説に簡単に書いてあるので見ておくとよい。

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 ネーション意識を持っているとはいいながら、場所によってありかたは千差万別。ここに集められたのは東欧周辺のもの。他の土地の人々よりも共同体を残していて、集住していたので、このような笑い話・ジョークを好んでしゃべったのだろう。通常、語られて消える笑い話が翻訳紹介された(1975年)のは、この地域出身の研究者が採集して出版したため(同じ文庫には、同じ編者と訳者による「新編 ユダヤ笑話集」1978年が出ている。
 ユダヤの人々はぞれぞれの土地で差別を受け、土地を持つことを許されなかった。なので、生産(農業や工業)につくことができず、商人や知的職業(医師や弁護士など)につくことが多かった。それがまたやっかみを生み、現在にも残るような陰謀論やデマの標的になっている。過去にもそれらはあって、正面から対応・反撃することが難しいときには、このような笑い話で憂さを晴らすことになった。ことに、本書で一章を割かれているナチス・ジョークは批評の切れ味と辛辣さにおいて第一級のもの(比肩できるのは、スターリン時代のソ連アネクドート)。
 このあたりは本書からでも垣間見えること。商売や結婚では契約が重視される(ほかの共同体との間で「交通」するから、契約を交わすことは必須)。共同体の内部では、宗教の戒律の厳しさがあり、他の宗教(ことにキリスト教)から宗教問答を持ちかけられるので、差異と協調を伝えることになる。差別に対しては、自らを道化にしたり、抵抗や反逆をしめすことになり、反ユダヤ主義の悪意には機知で切り返す。
 この国の笑い話にはないところなので、貴重で、読むと新鮮(というか再読に耐えるジョーク本の数少ない一冊)。

  
 ただし、WWII以後、イスラエルを建国してからは、この笑いは消える。著者はユダヤジョークは死んだと書く。強力な支援(政治的、財政的)があって、周辺諸国や民族を圧倒する軍事力をもち、殺戮を躊躇なく行う国家からは抵抗と自嘲のジョークは一掃された。

 

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