この本の基底にあるのは、1930年代にこの国の哲学徒としてファシズムに対する抵抗(行動でも思想でも)を行うことができなかったこと、「アウシュビッツ」「ヒロシマ」という大規模なジェノサイドが行われたことに対する批判を有効に行えていないこと、これらに対する個人的な経験を含めての反省。
I 思想者とファシズム ・・・ なにしろ出ていきたときはなんとも馬鹿げたもので、すぐに愚劣なことが周知されるだろうと思っていた運動がなぜ国民全体を巻き込み、しかもそれをとめるには外部の力を借りなければならなかったのか、さらには批判的であった人ですら「あの時代においては仕方がなかった」「それしか道はないのだから全力を尽くすしかなかった」と合理化したのか。著者の思考はたどりにくかったので、読み手の勝手な思いを述べると、彼の言う「責任」を自分は正しく理解していず、またいまだによくわかっていないのだということ。通常企業あたりでは責任は、賠償責任と説明責任に分けられる。やってしまって損害を出した財産に対する賠償と、知っていたのに周知しなかったという後者。これらの責任は、担当者が自分の行為が社会的理性的にどのように認識されるかを十分に知っている場合におけるもののようだ。では、自分の思想が反社会的・非社会的であることを理解しておらずむしろ自分の思想を広めることが使命だと思っている場合(いわゆる「確信犯」)や、自分の行使や思想が反社会的非社会的であることを知っているがあえて自分の思想を広めるために有益であるとする場合(いわゆる「故意犯」)の場合、彼らの「責任」はどのように追求され、彼らの責任はどのように負われるべきなのだろう。たぶん法に規定があると思うが、まだ調べていない。
このような責任を追及するときによく見られる態度は、ニヒリズム(無関心)とシニズム(ふてくされ)。
後半ではナチスに対する哲学者の有様が描かれる。ハイデガーとヤスパースとサルトル。ナチスとのかかわりはそれぞれ共犯と受難と抵抗(著者の評価)。ハイデガーのナチス加担問題が問われるようになったのは1960年代後半からと思うので(木田元「ハイデガー」岩波新書)、この書(1972年刊)はきわめて早い時期の指摘になる。
II 思想の現代的状況 ・・・ 1960年代の思想状況を概観すると、カソリック=ネオ・トミズム、弁証法的唯物論、実存主義、分析哲学の四潮流だが、いずれも他に対して単なる罵倒のような非難を応酬しあっている。こんな状況でどんな問題が解決するというのか。(というわけでこの数年後に、構造主義が流行し、10年を過ぎるとポストモダニズムになるのであった。彼らの応酬をみると、構造主義のすっきりさと人間中心主義批判は魅力的だったのだろうな。)
III 現代思想とヒューマニズム ・・・ 人間疎外を考えてみるといくつかの点が指摘できる。(1)人間の専門化、一面化。かつて一人が行ってきたことの範囲が狭くなり、行動や思考の限界が設けられていること。(2)専門馬鹿。限定された生活や知識などのために、全的な関心や判断をもてなくなること。(3)共訳不可能性。専門が異なると、考えの基盤になる方法みたいなことがばらばらになり、同じような分野でも言葉が通じなくなり、知的関心を持てなくなること。ここにある考えの基盤が共通であるように見えるのはほとんど「自然科学」くらいに思える(とはいえ、「自然科学」の中でも共訳不可能性は発生しているのだが)。まあ、こんなところがあり、われわれは事態をクエスチョン(質問)として捕らえ自分とは関係のないものとみなしやすい(上記のニヒリズムとシニズムの克服が必要になるわけ)。重要なのはプログレス(課題)として捕らえることだ。後半は当時(1970年代)読まれていたマルクーゼ批判。彼のいうように人間に一面化、社会の管理化というのは起こらないのじゃないのというが批判の骨子。
そのうえで、われわれはイデオロギーとか何か立場にではなく、「人間として」考えるヒューマニズムが重要と主張する。
事例が古いのであまり共感することがなかった。渡辺一夫、務台理作とヒューマニズムについて書かれた本を続けて読んだものだが、ヒューマニズムの立ち位置というか考え方がまだよくわからない。「人間として」考えよう、というのはよいとして、「人間」というのをどういう風にまとめる、その位置というか場所というか、考えのもとというか、そんなのが自分には見えてこないなあ。たぶん「人間」というのがあまりに概念的で、実体とつながっていそうで、実のところは個人的な体験の中で醸造された苦い概念でありやすいから、なんじゃないかしら。「人間として」考えているというと、その先の追及があいまいになるというか、手出ししにくいところを作っている。そこで論者は自分の考えの都合のいいように「人間」を決め付けてしまうのではないかな。自分の考えにもそういう傾向があるので、注意しないと。
あと著者は1906年生まれ。戦前に大学の哲学講師となり、自由主義的な雑誌を作ったことによる獄中経験を持っている。彼の考えのもとにあるのは、あのファシズムがなぜ力を持ったのか、なぜ知性や理性はファシズムや興奮、不寛容に負けたのか、ということ。彼らから1920年代生まれの人たちの多くは同じ考えの下から出発していると思え、思考が粘っていてしかも力強い。細部には同意できなくても、彼らの生き方には感服することがある。