odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

カール・ポパー「果てしなき探求 上」(岩波同時代ライブラリー)

 かつては、トーマス・クーンの「科学革命の構造」を読んで影響を受けたり、1980年代前半の還元主義批判に惹かれていたりしたので、ポパーの科学論は打倒する対象のように思っていた。最近になってパラダイム論に対する批判が起きてきたこと、ニセ科学批判の方法にポパー反証可能性が持ち出されるようになったこと、また佐和隆光などが経済学批判を行うとき、「歴史主義の貧困」を引用していたことがあって、少しずつ気になってきた。
 「歴史主義の貧困」は最初の50ページくらいで頓挫中。代わりに彼の自伝を読むことにする。もとは岩波現代ライブラリーで1978年に邦訳されたもの。装いを変えて出版されたものを古本屋で一冊105円で購入(なんともありがたや)。
 ポパーは1902年ウィーンに生まれた(1994年没)。法律家、弁護士の父、ピアノをたしなむ母のもとで成長。16-17歳にかけて共産主義運動に参加したが、イデオロギッシュな指導者・参加者たちに幻滅して即座にやめる。1920年代にはウィーン学団に近いところにいて、しかし論理実証主義を批判するという微妙な立場にあった。1937年にナチスをのがれてニュージーランドに移住。このあたりまでが上巻に書かれている。
 彼の思索を追いかけるのは自分の手に余るので、他のことに驚いた。
1.ウィーンという場所の面白さ。1900-1920年までは学問と芸術に関してはトップの人たちが集結していた。そのためにここに生まれたポパーは、意外な人たちとの交友関係があった。コンラート・ローレンツは少年時代からの友人で、大学生のときにシェーンベルク新音楽協会に参加していたので、主催者のみならずウィーン学派アルバン・ベルクウェーベルンと知り合い、ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とは同年齢の友人となる。この時期にアドルノと知り合っていたと思うが、のちに論敵になるというのは奇遇なこと。1930年代には量子力学勃興の時代にあって、観測・確率などの解釈を哲学から行ったので、アインシュタインハイゼンベルクボーアシュレディンガーなどの科学者と個人的な知り合いになった。こういう多彩な人物がページをめくるごとにあらわれるので、その豊かさに陶然としてしまう。
 もう一人の重要人物はウィーン大学にいたハイエクで、彼はユダヤポパーの危機を何度か救う。さらに、ポパーの弟子に世界的な投機家ジョージ・ソロスがいる。
2.そのような知的影響関係を作ったのが、大学であるだろうし、そこに関係する教授・学生たちの個人的なネットワーク、勉強会、であった。たしか山口昌男の「本の神話学」ではフライブルグの図書館を中心にしたネットワークを記述していたが、同じようなものがウィーンにもあったというわけだ。この追想録のなかでも、貧しかった(第1次大戦後のインフレによる)にもかかわらず徹夜の議論を行っていた、という記述が何度もでてくる。
3.20世紀前半の知識人たちの運命、ないし政治による翻弄。たぶんこの主題は下巻で語られるだろう。たとえば、ベンヤミンとかベラ・バラージュと重ねてみるのも面白い。
ベラ・バラージュ「視覚的人間」(岩波文庫) 無声映画で顔と表情を至近距離から見ることができて、人間の真実が明らかにされる。 - odd_hatchの読書ノート


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2011/05/01 カール・ポパー「果てしなき探求 下」(岩波同時代ライブラリー)に続く