odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

粟屋憲太郎「昭和の政党 昭和の歴史6」(小学館文庫)-1 昭和(1927年)になってから以降の政党の動き。普通選挙法施行によって票が読めなくなり、政党は大衆相手の政治活動に変わる。

 本書では昭和(1927年)になってから以降の政党の動きを見る。それ以前の政治状況は以下のエントリーを参考に。
金原左門「昭和への胎動 昭和の歴史1」(小学館文庫)-1
金原左門「昭和への胎動 昭和の歴史1」(小学館文庫)-2
 政党はそれまでなかったわけではなかったが、有権者が国民の数%に制限されていたので、少数の特権者を相手にした政治をしていればよかった。それが1926年の普通選挙法施行によって、大幅に有権者が増える(といってもさまざまな制限があって対象者は総人口の20%)。そのために票が読めなくなり、大衆を相手にした政治活動に変えなければならなかった。変わったのか、変わらなかったのかをみていく。

政党政治家と国民 ・・・ 斎藤隆夫の「粛軍演説」「反軍演説」と反響。

没落期の政党政治 ・・・ 明治憲法では、首相選定の明確な法律規定はなく、天皇の大権行為とされていた(なので天皇が組閣命令をだしていたわけね)。通常の三権(立法、行政、司法)とは別に、宮廷、枢密院、軍部という特権勢力があり、昭和になってからは政党はどこと組んで政治的な安定を得るかに腐心した。その結果が政党への不信感となる。政党は普選法施行(1926年)後の投票行動が読めず、無産政党が躍進し、右翼の政治家テロが頻発していたなどで選挙に消極的になっていた。でてくる内閣はいずれも短命だった。

政党内閣と特権勢力 ・・・ 政党や議会に対抗する特権勢力には、1.元老:1889年からの制度で元老が次期首相を推薦し天皇が指名する形式をとる。憲法の規定外の仕組み。ずっと藩閥から首相を選んできたが、原敬の時代に政党から選ぶようになった。西園寺公望は自分を「最後の元老」と認識していた。死んだときには軍国主義になり指名制が意味をなくしていた。2.貴族院:主に維新の功労者と高級官僚からなる。政党に反対。3.枢密院:天皇の最高諮問機関。議会の決定(のうち天皇に関わるものを主に扱う)を評議する。ときに議会の決定を違憲としたことがあり、内閣総辞職になることがあった。4.軍部:議会や内閣で力を振るったのは、統帥権、軍務大臣武官制、上奏権があり政府や内閣から独立していると決めつけた。20年代軍縮に譲歩した代わりに政治に強力に介入するようになった。義務教育の軍事訓練-青年団-兵役-在郷軍人会と国民運動を組織した。在郷軍人会はおもに地方議会で議員を出した。

政策対立の現実 ・・・ 明治期の政党は家柄・教養・財産に恵まれた名望家を支持するものの集まりで、政策を体系的具体的に語ることはほとんどなかった。普選法で選挙人が大幅に増えたことから、政策を語る政党がでてきた。民政党軍縮・緊縮財政・金解禁の経済政策とリベラルな人権政策と訴え、政友会は積極財政と積極外交を歌う。議員立法はほとんどなく官僚頼みであり、リベラルな法案は貴族院で潰される。外交では軍部の独走があって、言動が一致しない。1927年張作霖爆殺事件で田中儀一外相が事件を上奏したとき、天皇に叱責され内閣がつぶれる。

「田中は、翌二八日に再度、天皇に説明したい、と申し出たが、鈴木貫太郎侍従長は、「陛下は御説明は茜』とおぼしめしもはや聴し召されずとの思召なり」と答えた。こうして田中は、「最早御信任の欠乏なり」と感じて辞職を決意したのである。田中内閣の総辞職は七月二日であった。(P131)」

 天皇は政治に関与していたことの証。
 二大政党制を目指したが、政策はとおらず軍部の動きに縛られ、なにもできない。信用を失う。一方、1925年に成立した治安維持法(初めて法律に「国体」が明記)によって治安体制の強化が行われる。

「田中内閣は治安対策の強化に躍起となり、中心閣僚の右翼的体質が際だっていた(P137)」

 一方、労働組合法案、選挙法改正案・婦人公民権法案・小作法案などの民政党の看板法案は貴族院の反対などですべて廃案になった。

選挙と党略 ・・・ 1925年に普通選挙法が可決。有権者が1240万人、総人口の20.1%になった。婦人選挙権と植民地の議会設立は否決された。政権与党は内務省人事を握って内務次官・警視総監・警保局長を任命する(すると地方の公務員が与党側に変わる)。時に内務省が与党の選対になることがあった。大規模な買収と野党への選挙干渉が行われた(なるほど前の巻にあるように、棄権・白票・滑稽投票がでるはずだ)。無産政党社会主義政党は人気があっても票を取れない。乱立、抗争で票を落とした。

 

 1920年代になってWW1から立ち直った西欧が輸出を再開すると、日本の商品はアジアで売れなくなり不況になる。そこに1923年の関東大震災が追い打ちをかける。
2021/03/11 小沢健志「写真で見る関東大震災」(ちくま学芸文庫) 2003年
2021/03/12 吉村昭「関東大震災」(文春文庫) 1977年
 日本で政権を持つような政党は、人民・国民・市民などの社会運動を基盤にもっていない。名声や財産をもっている「名望家」が家業に都合がいい政策にしようと同業や同郷で集まって政治参加する過程で作られた。それが全国に統合していく。政策や理念で統合しているわけではないので、マニフェストの出しようがない。ある階層(富裕層や資産家、大規模土地所有者など)の利益を代弁するのだが、同じ政党内で利益が相反することがある。そのあたりの調整をするのが官僚上り。
 1920年代に作られた政党はWW2の敗戦を経験しても変わらなかった。

 

 

2022/12/19 粟屋憲太郎「昭和の政党 昭和の歴史6」(小学館文庫)-2 1988年に続く