odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

納富信留「哲学の誕生 ──ソクラテスとは何者か 」(ちくま学芸文庫) 死後に彼の強烈な個性を記録する「ソクラテス文学」がアテナイで生まれ、哲学を記述する形式に発展した。

 昭和に高校で哲学を学んだ者にとっては、ソクラテスは職業教育者で詭弁を弄するソフィストとは違っていて、(訴追理由はよくわからないが)アテナイの民会で裁判を受け死刑になったのであり、彼が哲学を作ったのであり、その方法は対話術で、思想の核心は「無知の知」と「悪法も法なり」であるとなる。それから半世紀たつと、学問の方法が一新して、かつてはここまで覚えれば大学入試には十分だったソクラテス理解は歴史からみてもテキストから見ても誤解ばかりであるというのがわかった。これまではプラトンの初期ソクラテス対話篇(「ソクラテスの弁明」「クリトン」「パイドン」)でソクラテスをみてきたが、それでは不十分であって、クセノフォン他同時代と死後のテキストをできる限り見直してみようとしたため。ソクラテスの裁判は最も重要な出来事であるが、当時のアテナイの政治と外交も十分に調査して考えよう。なにしろプラトンやクセノフォンのテキストには実在した人物が登場し、彼等の事蹟も記録に残っているからだ。


 というわけで、ソクラテスを中心にして古代ギリシャ哲学史を書き換える。重要なことだけをメモする。
ソクラテスを哲学の始まりとみると、そのまえの思想家たち(今は初期ギリシャ哲学者)のことを貶めてしまう。彼等は上記のようにさげすまれたが、それはプラトンの著作に起源があるようだ(田中美知太郎は「ソフィスト講談社学術文庫で19世紀ドイツの哲学史家由来といっていた)。ソフィストと呼ばれた思想家は人間の知的領域を超える領域(自然、宇宙など)を考え、職業教育者として大衆受けしていた。一方、最初の哲学者ソクラテスは人間の領域(真、善、美など)だけを考え、対話術によって相手の無知をさらけ出したので市民の憎しみを買うことが多かった。
(19世紀以降ソクラテスを貶しソフィストを持ち上げる風潮が起きた(ニーチェハイデガーポパー、たぶん柄谷行人も)が、そうするのはよくない。この指摘は恥ずかしい。俺もやってしまった。)

ソクラテスの同時代やその死後でも、ギリシャの思想家はさまざまなschoolを作って弟子を教育していた。プラトンもそのひとり。なので、ソクラテス-プラトン-アリストテレスのschoolだけが突出するとみるのはあやまり。

・裁判になる前の状況。橋場弦「古代ギリシアの民主政」(岩波新書)も参照しよう。紀元前450年ころにアテネは最盛期になるが、その後スパルタやペルシャと仲が悪くなって、戦争を開始した。その時の将軍アルキピアデスが戦略ミスで敗戦。彼はスパルタやペルシャに亡命し、アテナイ侵略に加担した。その危機の時代にアテナイは寡頭制になって、スパルタ風の仕組みにして市民1500人くらいを殺害した。表現の自由に反感を持ち敵対的だった。寡頭制の時代に青年はソクラテス風の弁論術を行使して、屁理屈で言い負かすことをしていた。民主派の人びとは一時期亡命していたが、帰国して、寡頭制を廃止し民主政に戻した。ソクラテスが訴追されたのはそのような時期。彼は若いころの将軍アルキピアデスを薫陶した。訴追理由にある「若者を扇動する」はこのことを指しているらしい。老人とはいえ奇行で知られ、対話術で市民の憎しみを買っていた。そういう事情があったらしい。(ここはプラトンの「弁明」だけではわからないところ。不敬神、青年の堕落の原因という訴追理由の背景がみえなくなってしまう。)

ソクラテスが死刑になったあと、市民は裁判の賛否論争があった。その結果、数年後にソフィストの一人が「ソクラテスの告発」を書き、評判になったので、クセノフォンやプラトンが「弁明」を書いた。ほかにも告発や弁明がでて、市民は複数を読み比べていたという。いずれも裁判や死刑から時間が経っていたので、著者の意図や意見を反映しているが、裁判を正確に記述しているわけではない。創作が含まれる。そしてソクラテスを主人公に様々な市民と対話・討論するという「ソクラテス文学」がでた(残っているのはクセノフォンとプラトンだけ。断片は多数あって概要はある程度分かるとのこと)。「ソクラテス文学」はプラトンが著作活動を行った紀元前370~350年ころまで続いた。プラトンは「ソクラテス文学」をソフィスト批判と「哲学者」提示に利用した。プラトンの多くの対話編は実在したソフィストソクラテスが対話する形式で書かれている。
(初期ギリシャ哲学は思索のスタイルをめぐって実験を行っていて統一した形式はなかった。「ソクラテス文学」ができて共通の形式(すなわちジャンル)ができ、相克と共同のうちに思索を展開するようになる。ソクラテスを直接知っていた人がいなくなると「ソクラテス文学」は歴史から消える。たとえばアリストテレスは「ソクラテス文学」を書かなかった。)

・この「ソクラテス文学」において、ソクラテスを「哲学者」とした。
(すみません。本書を読んでも「哲学者」とはなにかはわかりません。魂を肉体から切り離して考える、私自身の在り方をを考える、対話を交わすくらいしかメモできてません。)

・日本では昭和の頭のころに、ソクラテスを「無知の知」「悪法も法なり」で紹介する本がでてきて、あっという間に人口に膾炙し、教科書に載り、多くの人が誤りに気付かない。本来は、「知らないことをその通り知らないと思う」ということ。(「無知」「不知」であることを知っていると思うことが大事。知ると思うは別のこと。「無知」「不知」は知ではない。思うことを他人との優劣の比較に使うのもダメ。ソクラテスは誰が優れた知者かはデルフォイの神託でしかわからないと言っているのだ。)

 

 以上がおおよそ1990年以降のソクラテスの見方らしい。それまではクセノフォンやプラトンの「弁明」その他のテキストでソクラテス像を作ってきた。それだと、この人達の立場や偏見をそのまま採用することになってしまう。おのずと「ソフィスト」「ピタゴラス派」などを低く見るようになってしまう。一方、19世紀末からでてきたソフィストをあげて、ソクラテスを下げる見方もよくない。ソクラテスの影響を軽視することになるから。日本(と韓国)で流通している間違った説明もダメ。というわけで、もっと多くのテキストを参照し、同時代の文脈も反映して見直しましょう。なるほど、そういうやり方の方がソクラテスを魅力的にし、古代ギリシャをよく見通すことができる。
 というわけで、これから著者による放送大学の「西洋哲学の根源 古代ギリシア哲学」2022年開講を聞きます。本書を含めた古代ギリシャ哲学の最新知見を教えてもらえそう。

 

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