odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

テア・フォン・ハルボウ「メトロポリス」(中公文庫)-1 数奇な運命をたどった映画と小説。

 フリッツ・ラングの大作映画「メトロポリス」。初めて見た時から魅了された。よくあるオールタイムベストテン映画にはキューブリック2001年宇宙の旅」が第1位になることが多いが、俺なら「メトロポリス」だな。ストーリーのめまぐるしさ、複数あるテーマの多彩さ、大がかりなセット(オフィスのドアが10mはありそうなんだぜ)、数千から数万人のエキストラ、斬新なショット、特殊効果撮影、アニメと実写の融合。そんなこんなでよい所はどこまでも挙げられる。俳優の演技は大げさなのだが(前作の「ニーベルンゲン」ではそう感じなかったのに)、まあ目をつぶろう。
 でもこの1927年の映画は不遇。プレミエ上映では4時間かかったというが、各地の上映では至る所でカットされ、オリジナルフィルムは行方不明になってしまった。なので1980年代にロック音楽を伴奏にしたモロダ―版がでたときは80分ほど。そのあとポロックの復刻版がでたとき110分。失われたと思われたオリジナルの伴奏音楽のスコアによる伴奏がついたDVDが2003年にでたとき120分。アルゼンチンで発見されたフィルムを追加した版が2010年にでたとき150分。さらにその後世界で発見されたフィルムが追加され180分の版ができた。どうやら今のところは96%が復元できたとされる220分の版が最長。のちに追加されたシーンは画質が落ちているので、みればすぐにわかる。全体は3部構成で、途中に二回の休憩(インターミッション)がある。(復元版では音楽が入っていないことが多いので、BGMは各自で手配しよう。自分はマーラーの第6番交響曲バルトークなどのささくれ立って尖った同時代のクラシック音楽を使った。)
 こうした経緯のためにカットされた版ではストーリーが腑に落ちなくなるし、主人公にからむキャラクターの意味がわからない。そこで、脚本を書いたテア・フォン・ハルボウ(当時はラングの配偶者)が小説化したものを読む。1990年代に創元推理文庫で出たことがあるが入手難なので、新訳の中公文庫で読んだ。注意しないといけないのは、ハルボウの小説は必ずしも脚本の小説化ではないようだ。ラングの映画はハルボウの脚本をそのまま映像化したものではないらしい。「第三の男」「サイコ」「2001年宇宙の旅」のように同タイトルで映像とテキストのそれぞれの個性が別々の表現をしたものだとすることにしよう。とはいえ、この区別をしながら感想を書くのも面倒なので、以下ではそれぞれを俺の脳内で合体した折衷版を参照している、ということにする。(たとえば、小説版には、痩せた男の手引きでメトロポリスを脱出するヨザフォートが飛行機のなかで殺されかけたり、ヨーが塔の最上部に住む母に会い忠告されたりするが映画には出てこないので、ここでは言及しない。)



 フリッツ・ラングとハルボウのその後を解説などで補完する。フリッツ・ラングは「メトロポリス」で莫大な費用を使って映画会社を倒産させたが、ドイツ時代には無声の大作を次々と制作。「ニーベルンゲン」「ドクロル・マブゼ」「M」「月の女」など。ナチス政権誕生のころにアメリカに亡命。ハリウッドで西部劇やノワール映画を制作。「暗黒街の弾痕」。戦時中はナチス批難のプロパガンダ映画も。「死刑執行人もまた死す」「恐怖症」。以後は二流映画を監督するが、アメリカの映画人にほぼ忘れられる。淀川長治が渡米中にラングと会って「メトロポリスに感心した」と伝えたら当人が感激したというエピソードも。1965年のゴダール監督「軽蔑」にフリッツ・ラング役で出演。ハルボウはドイツにとどまった。彼女はナチスに加担したと伝えられるが、本書の解説では深い関係にはならなかったようだ。

 まずこの社会の構造から。メトロポリスという汎用語を固有名にしている都市がある。都市の外にはなにもなさそうで、交易も行われていないようだ。こういう都市はありえないが、あることにしよう。都市は地上部分と地下部分に分かれていて、異なる階層が暮らしている。通常、この階層があうことはない。都市全体はヨー・フレデルセンという技術者にして経営者にして政治家が独裁している(というかメトロポリスという企業都市を経営しているよう)。この独裁者を直接支援するエリート層が地上部に住む。いわばメトロポリスの「頭脳」。

地下は都市のエネルギーを供給する機械を稼働する労働者たちが住み労働に従事している。いわばメトロポリスの「手」。労働者層はいくつかのグループに分けられていて、労働に関しては機械を管理するグロートがまとめ役。この二つの階層は物理的に遮断されていて、日常では会うことはない。地上と地下には巨大なエレベーターがつながっているが、階層ごとに使用できるものが区別されているようだ。地上部エリートは労働時間制限があり、余暇を好きに過ごすことができる。地下の労働者は長時間の単純作業を繰り返し、誰かと協働することはないので、孤独・孤立化している。エリートは「人間らしく」生きることができるが、労働者は疲れ切り孤立化しているので人生は苦痛でしかない。
 こういうエリート層と労働者(奴隷)層に分けられたディストピア社会になっている。ハルボウとラングが秀逸だったのは、エリート層のために「ヨシハラ」という倶楽部があるとしたこと。ここには独身男女が集まり、終日遊んでいる。都市が提供するのは、スポーツ(sports)、性(sex)、酒(sprits)。3S。日常を飽きさせないための娯楽があって、彼らが自発的に考えることをしないで済ませるようにしている。


 さらに小説は都市を複層性を強調する。すなわち、工場長グロートは地下施設の中で行われる集会参加者から地図を発見する。その地図は地下の労働者層のさらに下にある古代の死者の街を示していた。

メトロポリスは千年前の死者の街の上に建てられたゴシック様式の都市なのである。その事実は記憶や歴史から失せてしまったのかもしれないが、メトロポリスゴシック建築の最上部には鐘楼が設けられていて、そこには七つの大罪を示す彫刻が安置された大聖堂があるのだった。近代化・工場化され、宗教的生活がほぼない都市は宗教都市の装いをもっている。

 宗教都市のアナロジーは、メトロポリスの別名が「バビロン」であることに現れている。当然、それは旧約聖書にでてくるバベルの塔を指している。天に届く塔を建設するという行為が冒涜的であるとみなされ、建設に関与する人々が別の言語を使うようにされた。その結果、意思統一が図られなくなり、塔の未完になり、のちに崩壊した。「頭脳と手を繋ぐものは心でなければならない」の格言が生まれるゆえん。メトロポリスは地上部と地下部が分断されているので、頭脳と手がつながっていない。それはシステム的な欠陥であるだけでなく、神話的な象徴を表してもいるのだ。たんにテレビ電話を設置するだけでは、分断を回避することはできない。

 

テア・フォン・ハルボウ「メトロポリス」(中公文庫) → https://amzn.to/40XEmBF https://amzn.to/3IAQSAY

 

2025/08/28 テア・フォン・ハルボウ「メトロポリス」(中公文庫)-2 大人の主人公たちの欲望はアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」と同じ死んだ女への追慕。 1926年に続く