odd_hatchの読書ノート

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大江健三郎「壊れものとしての人間」(講談社文庫)

 1970年初出。著者34歳の評論集。タイトルは暴力にさらされるこわれもの(fragile)としての人間を考え、それは核時代の人間の「自由」を考えることであるという認識からつけられた。

出発点、架空と現実 ・・・ 谷間の村の幼年期の記憶。歴史的遠近法を使うと、ここにかたられる記憶はその後の創作の方向を決めている。ひとつは、父の死、その不可解さ、それ以来の死と狂気に不安を持つようになる。ひとつは、幼児にとってリアルである村の歴史は書かれた言葉ではなく、ある片足びっこの小さな老婆の語りである。老婆は幼児を呼んで村の歴史を語る。そこでは三代の「弟」は一人の人間であり、歴史を通じて遍在していて、祭りの明るさをもたらす。明治初年の一揆や何度か起こる暴動が祭りのよう。母も酒蔵の大樽を壊し、中身を分け合った記憶を語る(そこから「亀井銘助」の名がついたのだろう)。幼児のころは戦時中であり、村の祭りは禁止されていたから、このような語りにおいて記憶を反芻し、明るさを体験した。そのような語られる言葉を聞くことは経験であるものの、谷間の村の読書では書かれた言葉に対応する事物がないので体験というには程遠い。この村の歴史を長じて語ると、同世代や都市生まれの誰もが笑うので、書物の架空の世界が必要になった。スタイロン「ナット・ターナーの告白」

言葉が拒絶する ・・・ 村の言葉が「母国語(マザー・タング)」であったのに、長老の死とともに消える。著者にとっては標準語、日本語が「にせの言葉(決して自分のほんものの実質となりえない言葉)」に思える。なので、書いた言葉/書く言葉とは常に緊張関係があり、その出会いや触発などが想像力や現実の読み取りの力になる。サルトル「蠅」、「ハックルベリー・フィンの冒険」、「白鯨」、ロス「不満足」、柳田国男

パンタグリュエリョン草と悪夢 ・・・ 現実で見る悪夢(性的なるもの、政治的なるもの、そして自分が狂気になること)に対する「パンタグリュエリョン草(言葉によって意味を拡張されたありふれたもの」の役割。たぶん文学の「効用」について。ヘラー「キャッチ22」、アップダイク「カップルズ」。

核時代の暴君殺し(タイラニサイド) ・・・ 暴力を加えられる肉体(それは暴力を加える肉体に容易に転化する)が暴力に基づく想像力を働かせることは、死の危険を個人的にも集団としても回避することにつながる。しかし、核の時代には暴力に基づく想像力を働かせる余地のないほどの大きさで破滅をもたらす。

作家にとって社会とはなにか? ・・・ サルトルの問いかけとか、社会主義リアリズムとかからの問いかけに対するぐだぐだな弁明。サルトル「猶予」、ロブ=グリエ「新しい文学のために」(タイトルに!)、ル=クレジオ「大洪水」。(19世紀の芸術が世界の矛盾を解決する手段であるという思想に基づけば意味ある問かもしれないけど、20世紀以降は芸術家もひとつの職業なのでこの問いはどうでもいいでしょう。SEにとって、農家にとって、コンビニ店員にとって、社会とは何か?と問われても、仕事と政治は切り分け可能。仕事で得意なことを持つなら、それを政治にいかせばいいだけ。作家なら啓蒙や煽動の文章をつくれ、画家ならプラカやプライヤーをデザインしろ、電気器具に得意ならデモや街宣の音響や照明をつくれ、そんなこと。政治の局面には運動の頭数になって、無名の一人として声を上げ、デモンストレーションに加わればいい。もう芸術家と芸術作品は存在が特権であるわけではない。なので、作家の問いとその弁明は無効。)まあ、芸術がしばしば引きこもって社会との接点をなくすと、「社会」との関係に大きな意味を持たせたがる気分になるのはよくわかる。仕事の成果に対する評価も間接的だ。編集者やプロデューサーなど限られた人しか批判しないし。他の職業だと成果の反応はダイレクトに帰ってきて、評価やつながりを実感できる。

個人の死、世界の終り ・・・ 幼児期に村に来た理科生から聞いた地球の終わり、宇宙の終わり。それに先立つ個人の死。死後の虚無の恐怖。往生要集の地獄図。このあたりの回想は「同時代ゲーム」第6の手紙に酷似。そのような個人に対して暴虐の限りを尽くす権力や国家。これらが個人に押し付ける大量殺戮、その現代版である核兵器。狂気に陥ることの恐怖と狂気の人の暴力にさらされる恐怖。

皇帝よ、あなたに想像力が欠けるならば、もはやいうことはありません ・・・ 個人的な死、不条理で暴力的な死をもたらす権力。その恐怖を克服するための救済、救いを熱望。セルバンテス、フォークナー、メイラーなど。

自註と付録―――核時代の「悪霊」または連合赤軍事件とドストエフスキー経験 ・・・ 「壊れものとしての人間」は1970年に刊行されたが、1972年に文庫化された際に、「世界」1972年6月号に掲載された埴谷雄高との対談「革命と死と文学」のうち、著者の発言の抜粋が付録になった。「悪霊」のリンチ事件と連合赤軍事件との類似を検討する。この対談は再録された様子がなく、図書館で読むしかないのかもしれない。自分はたまたま全文が収録されている河出文芸読本「ドストエフスキー」(河出書房)1976年を持っているので、いずれ全部読むことにしよう。さて、発言のなかで注目したところ。「20世紀はポジティブな人類のイメージ、世界のなんとか自分で責任をとらねばならない全体のイメージを失っている。なので、連赤事件(に限らず)を「他人事」として見る人間的、人類的貧しさがある。」「ニヒリズムとは市場遠いところに戦後民主主義がある。」「短期的には戦後民主主義が希望であるが、(宇宙や地球の滅亡まで視野に入れた)長期的には暗い裂け目しかみえない」


 著者の小説の方法や主題などの変化を見るのにとても参考になる一冊。少し前の「遅れてきた青年」が「フィクショナルな自伝」であるとすると(裏表紙の解説など)、これは「言語を獲得するまでの自伝」となる(あんまりうまいコピーではなかった)。世界や社会や人間の全体を十分に表現できる言葉は、村の語る言葉以外にない。その言葉は、戦後長老が死亡して失われ、村を出ると通じず、しゃべるとけなされるか、笑われる。著者にとって、日本語(の標準語)は外部から押し付けられて緊張関係をもたずにはしゃべることも書くこともできない言葉になる。だから、フランス語を読んだり、英語でしゃべったりすることと同じように、日本語(の標準語)は習得するべき言葉になる。この感覚が日本語(の標準語)をマザー・タングにしている多くの日本人(とはいったい何か、誰か)には共有されない。なるほど、そのような日本語との「緊張関係」が著者の語りや文章に現れるのか。この本にもあるように、著者がしゃべるときは早口でどもりぎみになるのだが、それは日本語(の標準語)を十分習得していないときに、他人の蔑みや嘲笑を避けるための防御のふるまいであるわけだ。それは文体においても見られて、19歳のときの作品から独特であった。とりわけ30代になってからは文章のうねり、ひねり、ねじまがりは顕著になって、極めて複雑な構文をつなげるものであった(なので多くの人に悪文の典型といわれる)。40代になると、平易な文体を複数使用するスタイルになるのだが、このころは小説でも評論でも同じ緊張した文体であった。なぜその文体であったかが、この評論集でよくわかる。
 この少し後に著者は戦後文学の見取り図を作るのであるが(「同時代としての戦後」講談社文庫)、先行する戦後文学者もまた著者と同じように日本語を新たに自分のものにする試みをしていたのであった。野間宏「暗い絵」、埴谷雄高「死霊」、大岡昇平「野火」などがそういう文体獲得の苦闘の足跡。著者の戦後文学への親近感はテーマや戦争体験の共通性のみならず、文体獲得にもあったとみた。
 とはいえ、後半の「政治と文学」議論は21世紀には有効な問題設定にはならず、読み返すと中身のない話を延々と連ねているように見える。前半の「言葉」の獲得が自分の体験で語られて切実さと説得力を持っていた。後半になると、ほかの作家の引用が増え、体験のかわりに思考が増える。その思考の流れが回りくどくて、意図がよくわからない。1970年代であれば熟読する必要もあっただろうが(難解だという感想で何も残りそうにないが)、今はスルーしてかまわないでしょう。著者は運動の人ではないので、そちらからの考察はないので(ただ、著者は運動の頭数になることにをよく理解していて、実際にデモや街宣や集会などになんども参加し、さまざまな団体や運動にカンパしている。この足まめさには敬服)。
 あと、著者のさまざまなオブセッション(狂気になることへの恐怖、個人的な死の恐怖、宇宙や地球の終わりに対する恐怖など)は、ほかの本でも繰り返し書かれるので、ここでは取り上げない。ただ幼児期の父の死とそのあとの奇妙なふるまいに原体験のあることは注目しておこう。「同時代ゲーム」以降の作品で、いろいろ変奏して小説に書いているので。